神々の愛した華【琥珀編】

七海美桜

全ての始まり

第1話 Fleur



 ほとほと、と紅い椿が降り積もった雪の上を彩っていく。

 長い月白げっぱく色の髪の少女が歩く度に、椿は舞う。それは、血の様な美しさで。


 両の手に握られた承和そが色の刀身が月の光を浴びて、白い肌の少女をより美しく魅せていた。少女は着物の上に、豪華な金糸の刺繍が施された紅鶸べにひわ色の単を、重そうに引きずっている。

 ふらふらと雪の上を歩く少女の先、雪を真っ赤に染めて倒れる男と泣きじゃくる童子が居た。もう数刻も経っているのだろう、その身体を覆うように雪が積もっている。

 少女の気配に気付いたのか、白童子しろわらしが顔を上げた。恐怖に強張る白童子を、少女が見つめる。顔の右側は乱れた長い髪に隠れているが、大きな黄支子きくちなし色の左目が僅かに笑みを帯びている。

「……魔獣が、いる?」

 深紅の唇が、柔らかに言葉を紡ぐ。それから、「この言葉は人に分かる?」と僅かに首を傾げた。

 白童子は、こくこくと頷く。それから、先の崖下に見える大きな横穴を震える指で示した。

「里にお帰り。アンタの父様はあたしが埋めてあげる。日が高くなったら、お参りにおいでね」

「……で、……でも、魔獣が……俺を追いかけて来るよ! 母ちゃんは先に死んだ! 父ちゃんの血の匂いで、俺は彼奴にバレなかった! 父ちゃんは俺を庇って喰われたんだ!!」

 かすれた悲鳴じみた声が、嗚咽と共に溢れだす。枯れた涙が、また大きな瞳からあふれて頬を濡らす。

「あたしがアンタを助けてあげる。アンタが里に走って逃げたら、魔獣がアンタを追う前に斬ってあげるよ。アンタは強いから、絶対に出来る。力がある」

 少女の声は、落ち着いていた。大人の男をも喰らう魔獣を怖がりもせずに、斬ると簡単に約束する。その時少女の脇腹から、椿の花がぽたりと落ちた。よく見れば、何かで切られた後の様で帯が僅かに裂けていた。そこから血の様に、赤い椿の花が散る。

「……お姉ちゃんは、怖くないの……?」

 魔獣に震えていた白童子の身体が、今は寒さに変わる。

「怖くないよ――斬るのが神様でも、あたしは怖くないよ」

 お行き、と少女は続けて歩き出した。促されるように里に向かい駆け出そうとした白童子は足を止めて振り返る。

「お姉ちゃん、お姉ちゃんの名前は?」

 少女も立ち止まった。雪を含んだ風が少女の月白の髪を舞いあげて、隠れていた墨色の瞳が月明かりの下浮かび上がった。

「…あたし、名前はないんだ」

 笑みを浮かべているが、白童子にも分かるほど、少女のその表情は悲しげに見えた。

「お行き」

 少女はもう一度そう呟くと、穴に向かい歩き出す。白童子も、振り返らずに里に向かい駆け出した。

 穴から、禍々しい瘴気が匂い立つ。少女は、だらりと握っていた双剣をぐっと構える。


 そう、名前もないんだ。


 大きな身体をのそりと出した魔獣に向かい、少女は走り出す。赤い椿の花が空を舞った。




 雪がようやく降りやみ。日が昇り明るくなってから、白童子は里の大人を何人か連れて山に登って来た。確かに父と子が倒れていた場所の近く、まだ血が微かに見える地面から近くの木々の中に、雪をどけ土を掘り返し再び埋めた跡が残っていた。

 血まみれの父の亡骸なきがらは無かった。約束通りに、少女が埋めてくれたのだろう。その父の亡骸の変わりに、崖の横穴の前には切り刻まれた魔獣が、もう動く事なく薄く雪をかぶり横たわっていた。


 赤い椿の花が、寒い空を舞っている。まるで、あの少女の涙の様に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る