第五幕〈智雪麗〉 an Immigrant

【1】


〈独白〉

【智】 

わたしが、香城と会ったのは、16歳のときでした。


白チ病などが影も形もなかった頃なので、当時の香城は、「予言者」ではなく、ただの「学者」でした。


ただ「学者」とはいっても、香城は博士号を持っていましたが、どこかの大学や研究機関に籍があるわけではなかったので、おそらく無職状態でした。


それでも、香城は、特にお金に困った様子はなかったので、なんらかしらの収入源はあったのだと思います。


とにかく、わたしにとっては、不思議な雰囲気を持つ「大人」でした。


池袋北口にある喫茶店で、よくわたしは、香城から「授業」を受けていました。


その「授業」の内容は、わたしが親や学校から教えてもらった常識とは全く異なるものであり、とても刺激的でした。


香城から教えてもらった知識が、私の世界を変えていきました。


香城が知識創造する世界の実現を想像しただけで、わたしの身体は熱くなっっていきました。


当時のわたしは、香城を本当に理解できるのは、自分だけだ、という強い気持ちで満たされていたのです。






【2】


〈独白〉

【智】 

大学に入る頃には、わたしと香城は、ほとんど会わなくなっていました。


わたしが、香城に連絡を取ろうとしても、取れなくなっていました。


わたしの中にあった香城への熱狂は、次第に冷めていきました。


高校時代とは違い、大学生としての日常は、自由でとても楽しかったこともありました。

アルバイトをし、多くの友人にも恵まれ、享楽的も言えるかもしれませんが、充実した毎日を過ごしていました。

 


楽しい……でも、どこか足りない。


そんな気分になったときは、大学図書館に蔵書されていた香城の本を手に取っ て自分を慰めていました。


結局、わたしの香城に対する熱狂は、わたしの身体の中で燻り続けていたのです。

  

そして、わたしが大学四年生になった春。


  

香城が、白チ病とともに「予言者」として現れたのです。



「預言者コウジョウ」



それは、高校時代のわたしが熱狂した香城という存在そのものでした。






【3】


〈独白〉

【智】 

わたしが16才のときに中国人である母が再婚しました。母にとっては三度目の結婚です。

相手は、木村という日本人。木村は、大阪で警察官をやっていたので、母は、大阪へ引っ越すことになりました。

  

わたしは、学校もあったので、そのまま池袋に残りました。


その時に、木村が、東京で離れて暮らすわたしを心配して自分の友人を紹介したのが香城だったのです。


木村の方が香城よりも年上でしたが、2人は古くからの知人のようでした。

木村は、一見粗暴にも見える雰囲気を持っていましたが、実際は知的で優しい人間でした。


血のつながりがないわたしのことを、本当の娘のように扱ってくれました。


母は、早い段階で白チ病に感染し亡くなりました。その頃は、白チ病が、漢民族特有の病気のような報道がされていた頃です。


母が亡くなった後も、木村は、わたしのころを気にしてくれていました。



大阪に来ないか、とも言ってくれたりもしました。



でも、わたしは、その木村の申出を断り、池袋に留まり続けました。

わたしは、大学4年生だったので、卒業に必要な単位は3年生のときにほとんど取得していました。

そのため、もう大学にはほとんど通わなくてよくなっていましが、そんなことは、この状況ではあまり意味がありません。


わたしは、持て余した膨大な時間を少しでもまぎらわすために、よく大学図書館に行っていました。


一度、大学図書館で顔見知りの後輩と遭遇しそうにったこともありますが、思わず後輩から隠れてしまいました。


わたしが、後輩から隠れた理由は、後輩が、香城を知っていたからです。


もちろん後輩は、香城に直接会ったことはなかったはずです。それでも、わたしは、他者と香城について会話する自信がありませんでした。


この感情を言葉にするならば、「嫉妬」というかもしれません。






【4】

 

〈独白〉

【智】 

わたしの周囲も[白]で覆われ始めたとき、一度だけ昔使っていた池袋北口の喫茶店で会うことができました。

  

店内は、比較的整っていましたが、当たり前のことですが、誰も注文を取りに来てくれませんでした。 


香城は、わたしの前に座り、そして、わたしの目をじっと見つめ「偽善に耐えることはできなかった」と言いました。

 

わたしは、その後に続く香城の言葉を待ちました。

ずっと待ち続けました。

でも、それっきり香城の口が開くことはありませんでした。

香城は、わたしと別れる際、「永住権は、取ったのか?」と聞いてきました。



取ってないけど……


    

わたしは、なぜ、香城がそんな意味がないことを聞いてくるのか理解できませんでした。


もう、この白い世界で永住権を取っても無意味であることは明らかです。


 

それなのに……どうして?


     

この無意味な会話が、わたしと香城との最後のものとなりました。

     


   暗転





【5】

 行政書士事務所(第一幕の〈私〉の事務所)。

 智の目の前で〈私〉が倒れたところから再現する。



〈独白〉 

【智】 

わたしの目の前で腕を押さえた倒れた行政書士を見て、事務所から出ました。

 

正直言って、怖かった……。


あの先生も、もうすぐ白い結晶になるでしょう。


そのリアリティを直視することができませんでした。

  

香城がわたしに永住権の有無について 問いかけてから、半ば強迫観念のように永住権の取得を考えるようになっていきました。

 

    

もはや、それは渇望といえるほどに激しいものとなっていきました。


    

頭では、永住権取得は、無意味であることや、もう入管が永住許可申請を受付れる状態ではないことは理解していました。

    

それでも、わたしは、無性に永住権が欲しくなりました。

  

    

いずれ遠からず、わたしも[白]くなる。それは、今日かもしれないし、明日かもしれない。

  

    

確実に、わたしは、[白]くなる。



    

それは、理解しています。



でも……


    

確実に……


    

わたしは、[白]に抗いたい。


例え、それが、香城が知識創造する世界の実現だったとしても……。


わたしは、この「白い世界」に抗いたい続けたい。


それが、香城が言う「耐え難き偽善性」であったとしても。

 

智は、舞台中央に立ち、観客席に手を伸ばす。


ああ……世界は、白く白く染まっていく……

 


   暗転


      

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【戯曲版】白チ世界 Brain B. @kislegaloffice

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