あくまで天使な子供たち

齊刀Y氏

あくまで天使な子供たち


「噂の悪魔は絶対にあの子よ」


 のどかなお昼時、知人たちと顔を突き合わせてランチを食べていると、誰かが突然そんなことを言いだしました。

 唐突に出てきたインパクトの強い単語に、私は思わず咳き込んでしまいます。


 悪魔。

 それは悪の擬人化、怠惰の権化、邪まなる者の隣人にして、偉大なる父への敵対者。

 負の具現とも言えるその名を、聖なる学舎で口にするのはあまりに不適切で、そんなに軽々しく出てくる名前でもないと思っていたのですが、もしや私、何か聞き間違いしています?


「噂のクマは絶対にあの子よと言いましたか?」

「なんで突然クマの話を始めるのよ! いないから、この学校に熊っぽい子」

「ほら、最近噂になっているでしょ? この学校に悪魔がいるんじゃないかって」


 一体、何処からそんな噂が浮上したのか分かりませんが、どうやら聞き間違いではないようで、知人たちはそのまま噂の悪魔の話を続けます。

 しまった。藪蛇でしたか。

 もっと露骨に怒るか無視するかするべきでした。

 私は美味しいお弁当を食べたいだけなのに、これでは飯がマズくなります。


「あの子の様子が最近おかしいの」

「はぁ……あの子とは?」

「あの子よ、あの子」


 じろりと動く知人の瞳を追って視線を教室の隅に動かすと、そこには1人寂しくお昼を食べる生徒の姿がありました。

 まだ入学してから日が浅く、まともに話したこともないのですが、確か名前はプルメリアさん。

 長い前髪で口元しか見えないその容姿は特徴的で、なるほど確かに怪しげですが、しかし悪魔と言うほどではありません。


 むしろクマの方が近いくらいです。

 小熊感ありますよ。

 マスコット的可愛さを感じますね。


「確かにクマっぽいですね」

「だから違うって! 悪魔よ、悪魔」

「プルメリアさんが悪魔ですか。うーん、確か彼女、成績優秀でしたよね。優等生じゃないですか」


 私の記憶が正しければプルメリアさんの成績は学年トップ。

 入学時には生徒代表として壇上にいたはずです。

 それほどまでの人が悪魔と噂されるのはなんとも嘆かわしい話ですが、しかし考えて見れば、むしろ逆なのかもしれません。


 そうやって目立ってしまったから、矢面に立ったから、噂の標的にされたのかも。

 であれば大変不憫なのですが……。


「あんな見た目で成績が良いのも怪しいのよ」

「最近、プルメリアが校舎の裏にうずくまってブツブツ言ってる姿を見たって子がいてね、何か召喚してるんじゃないかって」

「考え過ぎですよ。そもそも悪魔がこんなところにいるわけありません」

「分からないわよ。実際、あの子の姉は堕天してるらしいし……」


 堕天。

 なかなか恐ろしげな話が出てきたところで、私はプルメリアさんの方へ再度視線をやります。

 彼女は両手を広げてコリをほぐす様に、羽を伸ばしているところでした。


 ……比喩ではありません。

 本当に真っ白な羽が背中から生えているのです。

 悪魔と呼ばれるにはあまりにも不釣り合いな特徴だと言えますが、これは別にプルメリアさんに限った話ではなくごく普通のことなのです。


 私の背にも羽は生えていますし、噂好きな知人たちの背中にも生えていますし、クラスメイトたちにも学校の生徒全員にも、やはり羽は生え揃っています。

 奇妙なのは羽だけではありません。

 みんなの頭上では輪が光り輝いているのです。

 美しく、綺麗で、真っ白に輝くその光輪が、それぞれの身の神聖さを証明しています。


 ここまで言えばもうお分かりでしょう、そう、ここにいるのは天使たちなのです。

 メダカの学校は川の中、天使の学校は天の上、ここは第7天使学校の新入生たちの教室の中。

 神聖さの欠片もない天使の会話にガッカリした人もいるかもしれませんが、天使と言うのは人に伝令するのがお役目なわけで、特に階級が下の方は人間らしい性格をしているものなのです。


 私たちなど天使で言えば下の下の下な立ち位置なので、そりゃ人間臭くもなろうと言うものです。

 逆に階級が上がるほど人らしさから離れていくのですが、それはさておき。


 天使だからこそ、悪魔という存在を過剰に恐れているというのが今の会話の重要なポイントです。

 まだ若い天使たちは悪魔なんて名前でしか知らないわけで、実際の見た目や行動に深い知識はありません。

 恐怖と言うのは未知のものに強く働くものですから、未熟な天使たちが『悪魔』という今はまだ形のない恐怖に惑わされるのも、無理からぬことなのかもしれません。


 しれませんが……それでも誰かを悪魔呼ばわりするその態度は目に余ります。

 でも、まあ、何かをすぐ悪魔呼ばわりするのって、神聖な存在の悪い癖でもあるんですよねぇ。

 やれやれ、困ったものです。


「ねえ、委員長、あの子が何をしているのか調査してきてよ」

「……はい? えっ、私がですか?」


 傍観者を気取って諦観に浸っていると、寝耳に水な提案を受けてしまいました。

 目を丸くする私ですが、そんな私とは対照的に、みんなの顔は真剣そのものです。


「委員長なんだしさ、クラスに不審な子がいたら対処しないと」

「ええぇ……」


 なんと言う無茶ぶり、委員長を何だと思っているのか。

 いいですか、委員長って言うのはですね──点数稼ぎのための役職なんですよ!

 言わばそれは天下り先の閑職、偉そうなだけの地位なので、あまり頼られても困ります!

 ……なんてことは口が裂けても言えませんが。


 どうやら最初から私にこの役を振るために話を出したようですね。

 回りくどい真似をしてくれますよ、全く。

 できれば平穏無事に、静かに生きていきたい私なのですが、しかし、ここまで話を聞いて放って置くのも印象がよくありません。


 彼女たちの言う通り、問題発生時の責任の所在が私の可憐な両肩に乗っかりかねないのも事実です。

 その場合の問題とは『悪魔』ではなく『いじめ』についてのことになりそうですが。

 そして悲しいことに、私には立派な天使になるという巨大すぎる目標があるわけで、その為にも無視はできません。

 どうやら、この幼い天使たちの思惑通りだとしてもやるしかないようです。


「はぁ……まあ、プルメリアさんがクラスに馴染めてないのは私も心配してましたし、悪魔呼ばわりも気に食わないので、その疑いを晴らすのはやぶさかではありません」

「うんうん、それじゃあ委員長、よろしくね」


 にこにこと笑顔で私を送り出す知人たちの顔は汚れない天使そのものなのですが、しかしやっていることはまるで悪魔のようです。

 未熟な天使とは、ここまで人らしいものでしたか。

 いつあなたたちが神聖な存在になれるのか、私は心配ですよ。本当に。




 天使に性別はありません。

 しかしながら、男性らしく振舞う者と女性らしく振舞う者はいます。


 それに合わせて彼・彼女や兄・姉などを使い分けるのですが、まだまだ幼い天使にはそれほど振舞いが定まっていない者も多く、基本的には中庸な子が多いです。

 これ、呼び方に結構困るんですよね。


 仕方ないのでよく分からない時は、男女関係ない二人称だと思われる『彼』と呼ぶようにしているのですが、観察してみたところ、プルメリアさんはどうやら『彼女』寄りの振舞いをしているようです。

 細かい行動の違いで分かるのですが、これは恐らく堕天したという『姉』と呼ばれる人の影響を受けているのでしょう。

 身近な人に引っ張られるのはありがちな話です。


 ひとまず、プルメリアさんの観察と追跡を始めた私ですが、プルメリアさんはなんとも不思議な方でした。

 真剣に授業を受けているかと思いきや時に空をぼんやり見つめて停止したり、風が吹けば何よりもまず前髪を抑えたり、何もないところで転んだりと、奇妙な行動が目立ちます。

 端的に言えばちょっと抜けているところがおありのようです。

 優等生の意外な一面なのか、それとも妥当な一面なのか、判断に迷うところですね。


 さて、そんなこんなで放課後、物陰に隠れて観察を続けていると、プルメリアさんはぽてぽてと校舎裏へと歩き出しました。

 大変怪しい行動です。どうやらあの噂も完全に事実無根というわけではなかったご様子。

 生唾を飲み込みつつ、追跡を続けます。


 ……あっ、ちなみに追跡は天使らしい行いなのでセーフです。私は不審者でもストーカーでもありません!

 天使とは見守るものですからね。業務の範疇です。多分。

 不審者ではありませんが、委員長の癖にお勉強が苦手なので、成績不振者ではあるかもしれませんが……あははは、なんちゃって……はぁ。


 等と自虐している間にも、プルメリアさんは移動を続けていて、校舎裏へと辿り着き、噂通りにその場にうずくまりました。

 そしてその場でなにかを呟き始めます。

 これで本当に悪魔でも召喚していたらどうしましょうか、すかさず逃げるべきでしょうか。


 逡巡しつつも、ここで逃げてはあまりにもやもやしますので、その場にとどまり彼女の呟きに耳を傾けます。

 それなりに距離が離れているので聞き取り辛いですが、私の耳は『天使なのに地獄耳』と評判の高性能イヤーなので、なんとかその呟きを聞き取ることに成功しました。

 その内容とは──


「よちよち、よくたべるんでちゅよー」


 ──というものでして。

 えっ? 校舎の裏で赤ちゃんプレイとかしています?

 いや、天使が赤ちゃんプレイとかするわけがないですよね……これは流石に聞き間違いですか。

 再度耳を澄まします。


「お手、お座り、ちんちん」


 ちんちんですと!?

 まさか天使の口からちんちんという言葉が聞けるとは。

 これはなかなか衝撃的な展開です。


 ちんちん、それは要するに陰茎のことで相違ないと思いますが、実際のところ天使にちんちんはありません。

 絵画とかだとちんちん丸出しなことが多い天使ですけど、あれはあくまで想像に過ぎないのです。ちゃんと下の方に注釈で『※これはイメージ画像です』って書いて欲しいですよね。

 よって彼女は存在しないものの名を呼んでいることになります。


 言うなればそれは猫の足音、山の根本、魚の吐息、女の顎髭。

 天使のちんちん、意味するところは『ないけどある』という哲学的なメッセージなのでしょうか……?


 と、まあ冗談はここまでにして。

 プルメリアさんの言動を聞いて何をしているのか分からない私ではありません。

 どうやら取り越し苦労だったと理解したところで、そのままプルメリアさんに話しかけることにしました。


「プルメリアさん、ちょっといいですか」

「ひゃ、ひゃいぃ!?」


 まるで背中に冷や水でもかけられたように飛び跳ねるプルメリアさん。

 その両手が抱きかかえているのは……犬っぽい生き物でした。

 所謂『聖獣』です。


 天界にも天使以外の存在がいるのですが、聖獣はその中でもポピュラーな存在です。

 一口に聖獣と言っても種類は様々で、犬や猫、鳥やライオンなどが一般的なのですが、どうやらこの子は犬型のようですね。


「い、委員長さん」

「はい、委員長です。その子、どうしたんですか?」

「その……この子、最近、ここに住み着いてるみたいで、ご飯をあげているの……」

「プルメリアさんは奉仕の精神がありますね」


 顔を赤らめながらぼそぼそと事情を話すプルメリアさんは非常に愛らしく、実に天使らしい可愛さがあります

 どうやら噂の真相は『隠れてこっそり聖獣に餌をあげていた』というものだったようです。


 ちんちんという単語に思わず興奮してしまいましたが、それはお腹を見せる動物の芸のことでして、ちんちんがないので、逆にこの『ちんちん』という芸の言葉も恥ずかしげもなく言えるわけですね。

 一体、天界では陰茎が先にあったのか、芸が先にあったのか、どちらなのかとても気になるところです。


「奉仕なんてそんな……」

「しかし、こんなところに聖獣がいるなんて珍しいですね。基本的に野生というのはいないはずなのですが」

「えっと、う、うん、管理されているんだけど、でも、閉じ込めているわけでもないから、自由に動く子もいるの。この子は特別遠くまで来たのかも」

「お詳しいですね。さすがは優等生」

「そんなそんな……!」


 褒めると即座に顔を赤くするもので、ちょっと面白くなってしまいます。

 天使と言えども、ここまで純真なのは昨今珍しいレベルかもしれません。

 良いですね、好みです。


「いっそ、家で面倒みてもいいんじゃないですか?」

「た、多分、それも問題ないとは思う。むしろ、このまま放って置く方が問題があるかも……でも、その……私の住んでるところ、聖獣禁止で……」

「聖獣禁止!? とんでもなく罰当たりなところですね。いや、仕方ないのかもしれませんけども」


 神聖な存在にも関わらず、まるでペット禁止かのような雑な扱いを受けていてちょっと笑ってしまいます。

 しかし、天界という場所は神聖な存在しかいない場所ですので、聖獣という一点で特別扱いがされないのも当たり前ではありました。


「よく懐いているのに残念ですね。古来より聖獣と言うのは懐きにくいのですが」

「ユニコーンとか、その、凄まじいよね」

「あの子は果たしてどの面で聖獣面しているのでしょうね」

「ふふふっ、そうだよね。狂暴で高慢で獰猛だもんね。箱舟にも乗れなかったし、元々は本当に害獣扱いだったと思う。それが変化していったのはきっと容姿のおかげかな。それと、処女に懐くっていう習性から神聖さが移ったのかも」


 どうやら緊張も解けたのか、笑顔も見せるようになってきたプルメリアさんの語りは思いの外、饒舌でした。

 固くなっていた態度が柔らかくなるのと同時に、お口の縛りも随分緩くなったご様子です。

 それにしても語っている内容がなかなかに知的。

 さすがは本物の優等生。私のような仮面優等生とは物が違いますね。


「あっ……ごめん、べらべら喋っちゃって」

「どんどん話してくれて構いませんよ。面白い話はいつでも大歓迎です」

「その……委員長さん、聞き上手だよね」

「危機ジョーズ?」


 なんでしょうかそのサメに襲われて危機一髪な状況は。


「こんなに話したの久しぶりかも……」

「先ほどは聖獣と話していたではないですか。赤ちゃん言葉で」

「うきゃー! き、きき、き、聞いてたの?」

「聞いていましたよ。聞き上手なので」

「聞き上手ってそういう意味じゃないぃー」


 顔を抑えてうずくまってしまうプルメリアさん。

 元々赤かった彼女の顔を、更に赤く朱く紅く染め上げることに成功しました。やったぜ。

 からかえばからかうほど面白い反応が返ってくるので、ついつい遊んでしまいますが、本来の目的を忘れているわけではありません。


 悪魔の噂を調査し、その噂を払拭するために来たのです。

 そして幽霊の正体が枯れ尾花だと看破したように、噂の正体は聖獣だったと調査完了してはいます……してはいますが、噂の払拭となるとそれだけでは足りないでしょう。


 幽霊を見たと言っている人に、あれは枯れ木だよとどれだけ力説したところで無意味なように、悪魔だと信じている人に、あれは犬だよと説明してもなんの解決にもなりません。

 証拠品が必要です。

 そしてその証拠品は、この聖獣そのものでして。

 私はこの聖獣を矢面に出す方法を考えます。

 ……まあ、連れて行くのが一番でしょうね。


「……じゃあ、クラスで世話しますか」

「えっ、そ、そんなこと出来るの?」

「可能でしょう。天使の理念から考えても聖獣のお世話をするのは正しいことですし、却下するわけにはいかないと思います。それに、コネもありますし、何なら私の兄を使いましょう」

「委員長さんのお兄様って……れ、レッド様のこと?」

「そうですよ。よく知ってますね」

「し、知らないわけないよ! 主天使様だもん!」


 両手をわなわなと揺らしながら、全身をガタガタと震わせるプルメリアさん。

 どうして私の兄の名を聞いてプルメリアさんが驚嘆しているか説明しますと、天使には階級と言うものがありまして、上から偉い順に『熾天使・智天使・座天使・主天使・力天使・能天使・権天使・大天使・天使』となっているのですが、座天使以上は偉すぎて殆ど会う機会がなく、下っ端の立場では、実質的に一番偉く感じるのは主天使だったりするのです。


 もう座天使あたりからは見た目からして全く違いますからね。

 多分、未熟で神聖さの足りない天使では、意思疎通すら取れないと思います。


 まあ、要するに私の兄は偉い天使なわけですが、兄を良く知る私としてはそういった立場を理解してもなお、本当にこいつが偉いのかよと思ってしまうところですが。しかし実際偉いわけなので、兄に言えば聖獣1匹の処遇くらいはどうとでもなるでしょう。

 私はコネを使うことに躊躇がないタイプなのです。

 むしろ使いまくりたい。楽に生きたい。


「さすがに主天使様の手を煩わせるわけには……」


 どうやらプルメリアさんは私とは逆のタイプなようで遠慮されてしまいますが、頼ったら頼ったで面倒なことになる可能性もありますから、それも妥当な判断と言えます。

 カンカンに怒られて反感を買いそうですしね。

 自分たちで解決出来るなら、それが一番なのは間違いありません。


「まあ、使わないに越したことはないですね。ひとまず聖獣は私の家で預かりましょうか」


 これで逃げられでもしたら証拠の消失ですので、とにもかくにも確保しておくことが大事です。

 私は聖獣を抱っこしようと身を屈め、手を伸ばしますが……その瞬間、手に痛みが走ります。

 モロにガブリと噛まれてしまいました。


 そうでした、聖獣は懐きにくいんでした。

 中でも私のような者との相性は最悪と言えます。

 真っ黒ですからね。腹の内が。


「こ、こら! 噛んじゃ駄目!」


 プルメリアさんに可愛く叱られてようやく聖獣の牙が手から離れていきます。

 そして彼女の腕の中でこちらを威嚇してくる聖獣。

 こいつ、態度が露骨すぎませんか。

 可愛さか? 可愛さが足りないのか?


「やれやれ……こうなっては仕方ないので、プルメリアさん、そのままうちに来てください」

「えっ、い、委員長さんの家に?」

「そうです。それとも私が噛まれながら移動しましょうか?」

「い、い、行きます!」


 プルメリアさんの良心を利用してうちに連れ込むことに成功しました。

 可愛い子を家に誘えるのなら指の一本や二本、安いものです。

 ……いや、流石に高い買い物ですね。


「……ん?」

「ど、どうしました? 指が化膿してきましたか?」

「いえ、大丈夫です。行きましょう」


 咄嗟に誤魔化しましたが、校舎裏を立ち去る際、背中に視線を感じました。

 もしかしたら私に噂を伝えてきた誰かが見張っているのか、それとも無関係の何者かが見ているのか。

 気のせいという可能性が一番高いということは理解しつつも、何故だかその視線が強く気になってしまうのでした。



「あの……私、委員長さんに憧れてて」

「憧れ? 私にですか?」


 家に行く途中、聖獣を抱きかかえたままにプルメリアさんがそんなことを言い出しました。

 あらゆる褒め言葉を疑ってかかってしまう私としては、思わず首を傾げてしまいます。


「うん……いつもピンと背筋が張っててかっこいいし、決断もとってもはやいし、コミュニケーション能力も高いし、誰よりも天使らしいし、頭もいいし、それにそれに」


 エトセトラ、エトセトラとバンバン褒めてくれるプルメリアさん。

 なんだか褒められすぎて逆に煽られてるんじゃないかと思ってしまうほどですが、プルメリアさんのキャラ的にそれはなさそうなので、どうやら本気で褒めてくれているようです。


 しかし、頭がいいはちょっと嫌味に聞こえてしまいますよ。

 優等生様に言われたのではね。


「おつむに自信はありませんよ。少なくともプルメリアさんに尊敬されるほどではないですよ」

「いやいやいやいやいやいや、わ、私はお馬鹿で……」

「何を言いますか、謙遜のし過ぎは健全とは言えませんよ。それとも、新入生代表として壇上で見たあなたの姿は偽物ですか?」

「そ、そ、それは本物だけど……」

「そうですよね、殆ど聞こえない声でスピーチをしていた姿を今も覚えています」

「それはいわないでー……!」


 しかも背が低いものだから、あまり姿も見えませんでした。

 生徒代表に選んだお方は、もうちょっとプルメリアさんに合った出番を用意すべきだったと思います。


「その……勉強は、言われたことをするだけだから、やるかやらないかってだけだと思うの」

「斬新な考え方ですね。ふむ、まあ、強く否定はし辛いですが」


 馬鹿と呼ばれる者は基本的に勉強をやっていないだけ、というのは一種の真理ですし、勉強をやっていたとしてもそれが足りていないと言われれば、それを否定するのは難しいです。

 それでも、やるかやらないかだけだと言い切られてしまうと、やってない側の私としては困ってしまいます。

 やらないんじゃない、できないんですよ……!


「でも、私は言われていないことをするのが全然駄目で……むしろ、頭の良さが問われるのは、そういう不確かなものに対する対応力だと思うの。委員長さんはそういう能力が高いなって、思っていて」

「つまりアドリブが効かないってことですか」

「そ、そうそう」

「なるほど、言いたいことは分かりました。そして一理あります」


 言われたことをするだけなら馬鹿でも出来る──なんていうのは流石に暴論で愚論、曲論で極論だと思うのですが、これは馬鹿という文言が過激すぎるだけで、大意に無理があるとは思いません。

 自分で一から何かをするのは本当に難しいことで、それが苦手だというプルメリアさんの考えも分かります。

 露骨に苦手そうですもんね。ずっと慌てている感じがいかにもです。


「だから羨ましいなって……私、早く、天使の階級を上げたいの」

「へぇー、意外と意欲的なんですね」

「あ、姉を探しに行きたくて……」

「あー、そういう感じですか」


 純真で温和なプルメリアさんと出世欲というのが結びつかないので不思議に思ったのですが、姉という言葉を聞いて一瞬で全てを悟りました。

 彼女の姉は堕天しているはずです。


 そして堕天している姉を探しに行くというのは、地上、もしくは更に下の地獄に調査に出るということを意味しています。

 しかも単に行くだけではなく、そこで自由に行動するための地位が必要になるわけで、それほどまでの地位は、下っ端の下っ端な天使からするとあまりに高い目標です。


「少しでも階級を上げたいんだけど、私、トロい上にノロくてドジでヌケてるから……」

「トロノロでドジヌケは流石に自信なさ過ぎですよ!」

「トロノロでドジヌケなアホバカ……」

「追加しないでいいですから!」


 とにかく自分に自信のないプルメリアさんでした。

 けれど、これでキャラに似合わず彼女が成績優秀な理由が分かりました。

 天然で頭が良いのではなく、努力した結果として成績トップを掴みとったようです。


 それは大変素晴らしいことで、彼女が優秀な努力家なのは間違いないことでしょう。

 ただ、確かにプルメリアさんの今のままの行動力やコミュニケーションの力では、昇級に陰りがあるのも事実。

 いい子なので、応援してあげたいですけどねぇ。


 談笑混じりに歩いていると気付けば家についていました。

 やはり楽しい時間と言うのはあっと言う間で、いつもの半分くらいの道筋に感じます。

 ちなみに私の暮らしているところは普通の一軒家で、とても主天使様が住んでいるとは思えない大きさです。

 とはいえ、主天使様が暮らすべきに相応しい家というのも、あまり想像つきませんが。


「ただいま戻りましたー」


 ドアを開け元気よく帰宅すると、長い髪を携えた背の高い誰かが玄関に鎮座していました。

 やはりいましたか……兄。


「やあ、おかえり! 今日も健やかに成長出来たかな? 出来ていなかったとしても気にすることはない。それは君が君の成長に気付いていないだけなんだからね。君は成長出来ている。それはこのレッドが保証しよう。おや、友達もいるのかな? すごいじゃないか! 君が友達を連れてくるなんて初めてだ! 今日はお祝いのケーキを買ってこないといけないね。それともお赤飯? レクリエーションが足りないなら、スイカを割ると言うのも悪くない」

「いや、悪いですから。そしていきなりうるさいですよ」


 出し抜けにマシンガントークで圧倒してくるこの天使こそが、前述した私の兄にして大変偉い主天使様のレッドです。

 はっきり言って威厳と言うのが皆無なお方で、むしろ馴れ馴れしすぎてウザいくらいなのですが、そんな兄の登場に恐れおののいているのがプルメリアさんでした。


「しゅ、しゅしゅしゅしゅしゅ、主天使しゃま……」


 おののきすぎて手裏剣を投げてるみたいになっているのですが、この兄にそこまでの威厳を感じますか。スイカ割りとか言ってるんですよ。

 しかも、プルメリアさん、その場で膝を突こうとする始末。

 玄関ですから! 膝を突くのに一番向いてない場所ですよ!


「主天使なんて称号は気にしないでくれ。大切なものなのは間違いないけれど、大事なのはその中身だ。私というレッドそのものを見て、尊敬すべきか考えるのが一番だと思うよ。さあ、親愛の握手をしよう。妹の友人さん」


 相変わらずの圧の強い言動で、ずいっと腕を伸ばす兄。

 超偉い主天使に不用意に接近されてしまったプリメリアさんは……地に頭が突くかと思うほど深く下げると、そのまま後ろに回って──走りだしてしまいます!


「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あああああ、あの、し、失礼しましたー!!!!!!!」

「プルメリアさーーーーん!?」


 どうやらプルメリアさんの肝っ玉ではこの兄の謎の重圧を受け止めることは出来ないらしく、ぴゅーんと逃げ出してしまいました。

 後に残されたとは呆然とする私と、わざとらしく両手を広げる兄である。

 この大げさなジェスチャーがムカつくんです!


「せっかく頑張って連れ込んだのに、なんってことをしてくれるんですか。私が健全な男子高校生だったらぶちギレてますよ!」

「いやはや、申し訳ないことをしたね。しかし、君の友人に挨拶しないわけにもいかないだろう?」

「別にしなくていいですから。本当に。マジで」

「でも保護者なわけだからねぇ」


 兄の要らぬ世話のせいで大きい魚を逃がしてしまいましたが、一応、ここで天使の兄妹について話しておきます。

 性別がない天使における兄妹と言うのは、兄役、姉役という意味合いが強いです。

 つまりは兄が言った通り保護者という立場なわけで、一般的な意味での兄や姉というよりは父や母に近いかもしれません。

 ただ、天界で父と言うと、天上の偉大なる父を置いて他におりませんので、必然的に兄や姉という表現が使われるのです。


「それにしてもプルメリアか、姉が堕天したばかりで大変だろうね。良くしてあげるんだよ」

「それくらいはご存じでしたか」

「僕を誰だと思っているんだい? 一応、天使の活動を統制する主天使だよ」


 そうでした、この人は偉い人で、私たちの視認範囲の中で最大の上司なのでした。


「彼女、姉を探す為に階級を上げたいらしいですよ」

「ふむ、動機がなんにせよ、正攻法で願いを叶えようとする姿は好感が持てるね。いいじゃないか、仲良くしていれば、君の目的にもプラスになるかもしれない。いや、間違いなくなる!」

「それはどうですかねぇ……あと、はい、お弁当の箱です」

「今日も完食したようで何よりだよ」


 空のお弁当を見て満足げにほほ笑む兄。

 ……そう、私のお昼のお弁当、主天使様が作っているんですよね。

 もはや『作っている』の文字が『創っている』の間違いなのではないかと思われそうなほどで、流石の私も断ろうと思ったほどなのですが、しかし、断り切れませんでした。


 何故なら美味しいから……!

 この主天使、料理が上手なんです。ムカつくことに。

 そして残念なことに、未熟な天使は美食には勝てないのでした。


「ところで、君の友人、何をしに来たんだい?」

「えっ……あっ、せ、聖獣持って行ってしまいました!」


 兄のせいでもうグダグダです。

 仕方ないのでプルメリアさんが聖獣を密かに家に隠し持ったことに期待するとしましょう。

 また明日くらいは、言いたかったですけどね。




 翌日から、私は聖獣をクラスでお世話をするための許可取りを始めました。

 当初は1人でやるつもりだったのですが、そんなわけにはいかないとプルメリアさんも加わりまして、聖獣許可委員会(総員2名)が発足されます。


 その後は色々な根回しを実行していきました。

 天使の教師を務める大天使のみなさんと話したり、聖獣を育てることの有用性を説いたり、前例を並べてみたり、クラスのみんなを対象に説明会を開いたり、可愛さを前面に押し出してみたり、聖獣のしつけをしたり……苦労した甲斐あって、ことはかなりスムーズに進みました。


 特に仮面優等生である委員長の私と事実優等生であるプルメリアさんの二枚看板の力は大きく、日ごろの行いって大事なんだなぁと身に染みて味わった次第です。

 そうして数日たった頃、教室に聖獣がやってくることになりました。


「それでは名前選挙を開始します。えー、まずはプルメリアさんの希望である『チュパ太郎』ですが」

「「「「「「却下!」」」」」

「う、うわーん……!」


 この頃には積極的に行動したこともあって、プルメリアさんもクラスにかなり馴染んでいました。

 聖獣の為に奔走する姿が好感度を高めたのか、悪い噂も完全に払拭され、すっかり弄られキャラです。

 それにしてもクラスのみんなも態度の急変が過ぎる気もしますが……まあ、良い方向にも悪い方向にも純粋なんですよね。

 だからこそ危ういのですが……。

 こうして問題は全て解決され、私の平穏な日常も戻ってきました。


「チュパ太郎の何が駄目だったんだろう……」

「何もかもですかね」

「そんなぁ……」


 気付けば私はプルメリアさんと下校するのが習慣になっていて、すっかり彼女とは友人付き合いです。

 そして仲良くなればなるほど気になって来るのが……彼女の前髪でして。

 なんでそこだけ頑なになっているのか、暫く行動を共にしてみたものの、まるで分かりません。


 気になります。滅茶苦茶気になります。

 しかし、聞いてみて良いものなのか。

 何かしら理由がないとしないヘアスタイルですから、軽々に聞くのも躊躇われます。

 しかしどうにも気になって仕方がありません!


「……あ、あの、プルメリアさん」

「はい?」

「そのまえが──」


 そこまで言ったところで、背後から強烈な視線を感じました。

 それは以前に、校舎裏で味わったものと同じ感覚。

 周囲を見渡すと、まるで図ったように人目に付かない静かな場所に私たちはいました。

 なんだか狙われている気がします。


「……まあ、絵が描けると素敵だと思うわけですよ」

「ど、どうして急に絵の話を!?」

「最近、興味がありまして、えっと、キャンバスを家に忘れてきたので取りに帰ろうと思います。先に行っていて貰えますか?」

「きゃ、キャンバスを持ってくる予定なの!?」

「はい、裸婦画を描きます」

「ら、裸婦画を!? へ、へぇ……ふうん……う、うん……じゃ、じゃあ、先に行くね……」


 ドン引きでその場を去っていくプルメリアさん。

 咄嗟にプルメリアさんをこの場から遠ざけるために嘘をついたのですが、そのせいで変態の汚名を背負ってしまいました。

 くっ、焦っているとその人間の本性が出ると言いますが、私の本性は裸婦画でしたか!


 尊いものを犠牲にしましたが、しかし、この判断だけは間違っていなかったようで、プルメリアさんと入れ違いになるように、後方から何者かの影が近づいてきます。

 私は覚悟を決めて振り返りました。


「…………やっぱりあなたでしたか」


 そこにいたのは最初にプルメリアさんを悪魔だと言いだした知人──フロイデという天使です。

 ただ今までと違うのは、その目が何処か虚ろだということ。

 そもそもこんな場所で話しかけてくる時点で、明らか様子がおかしいですね。


「噂の悪魔は、本当にあの子じゃなかったの」

「自信を持って違うと言えますよ。というか、そもそもその噂はですね──あなたが流したものらしいじゃないですか」

「…………!」


 ここしばらく、聖獣の為に行動していた私ですが、それと同時にある調査も行っていました。

 それは『悪魔の噂』を誰が流したのかということ。


 自然発生的に生まれた可能性もありましたが、どうにも悪意を感じて仕方がなかったものでして。

 そうして調査の辿り着いた先が、いの一番にプルメリアさんを疑った知人、フロイデさんだったのです。


「どうしてそんな噂を流したんですか? 本当に悪魔がいると思いましたか」

「悪魔? いいえ、そんなのが天界にいるわけないじゃない」

「……ですよねぇ」

「委員長、私の成績がどれくらいか分かる?」

「申し訳ありませんが、存じていませんね」


 話を進めつつも、私は少しずつ後ろに下がっていきます。

 この世で最強の戦術とは逃亡。

 逃げる準備だけは常にしておきたい私なのです。


「2位よ。昔からそうなの。絶対に一番になれない宿命を背負っているの私は。天使学校では変わると思っていたのに、あの子のせいで何も変わらなかった……だったらもう、1位の子を下げるしかないでしょ、ねえ、そう思わない」


 爛々と赤く輝き始めるフロイデの目。

 そして黒く染まり始める純白の羽。

 極めつけは……頭上に浮かぶ光輪が、今や赤黒く鈍い輝きに変化していました。


 この現象を私たちはこう呼びます。

 堕天と。


「全部堕としてやる」


 彼女の腕から飛び出してきた赤い棘。それを回避できたのは、十分に備えていたからです。


「フロイデさん、あなたは堕天しかけています。けれど、まだ初期段階です。落ち着いてください。まだ戻れますよ」

「戻る? どうして戻らないといけないの? こんなに……こんなに気分が良いのに!」


 説得を試みますがどうやら私程度の言葉では響かないご様子。

 しかたありません。もう逃げるしかないです。

 再度射出された赤い棘を飛び込んで回避した私は即座に立ち上がると、フロイデさんに背を向けて逃亡の構えを見せる……のですが。


 振り返った時、私の目に飛び込んできたのは──柱の影でこちらの様子を覗うプルメリアさんの姿でした。

 しまった……そうですよね、プルメリアさんは誰かを置いて先に行ったりしない人ですよね。

 彼女の天使さを忘れてしまっていました。


 私の目に彼女の姿が飛び込んできたということは、後方のフロイデの目にも当然飛び込んでいるはずです。

 そしてその場合ターゲットとなるのは私よりもむしろ……プルメリアさんの方!


「あなたさえいなければ!」


 赤い棘がフロイデさんの手の前に収縮されていき、そして、今までで一番巨大な棘が発射されました。

 こういう時に咄嗟に逃げたり出来ないのがプルメリアさん。

 彼女はアドリブが苦手なのです。


 でも、大丈夫。

 彼女の言うように、私は得意な方ですから……!


「ぐうっ」

「い、委員長さん!」


 フロイデが構えるのとほぼ同じタイミングで動き出した私はなんとか2人の間に滑り込み、そして……半身で巨大な棘の一撃をモロに受けました。

 私の体に走る激痛。

 焼けるような痛みと共に、思わず倒れ伏しますが、そんな私を抱きとめてくれていたのが、プルメリアさんでした。


 心配そうな顔でこちらを覗き込んでいますが、まだ大丈夫です。

 そう、私はこの程度なら大丈夫。

 これくらいのことは何度だってやって来たんですから。


「あなたたち、2人とも堕として……おと……えっ、えっ、えっ!?」


 堕天しかけで正気を失いつつあるフロイデさんですが、一瞬正気を取り戻しました。

 それは友情とか思い出とか夢とか、そういう光り輝く理由によるものではありません。

 大きな闇が出現したことに驚愕して、一瞬正気になったのです。


「い、委員長さん……その、その腕は?」


 そして驚いているのはプルメリアさんも同じでした。

 抱き留められた私の体、その半身、その右腕を見て驚いています。

 それはそうでしょう。何せ私の右腕は今──獣の如き姿に変貌しているのですから。


 天使の輪も今はもう壊れ、代わりに頭についているのは無骨な角。

 この醜い姿が、私の正体なのです。


「あ~あ……今日まで頑張って隠してきたんだけどなぁ……」


 もはや私はどうにでもなれという気持ちでした。

 慣れない天界で必死に天使を演じ、天使に成ろうとした日々。

 苦しくも楽しい、けれどやっぱり試練な日々でした。


 けれど、それも今日で終わりだ。

 もうバレてしまった。

 クソ、レッドめ。

 私を天使にしたいなら、もっと頑丈に見た目を作っとけ!

 私はヤケクソ気味に立ち上がると、胸を張ってこう言った。


「改めて、自己紹介させてもらおうか。私は■■■──天使になりたい悪魔だ」


 ★


「不公平だと思わないか?」


 地上で私が欲望を喰らっていた頃、そいつは突然現れた。

 背中から伸びる8枚羽はその天使がヤバいくらい高位の存在であることをしめしていて、だから私は死を覚悟していた。

 この会話も、こちらをいたぶるためのお遊びなのだと、そう思っていた。


「なんの話だ?」

「堕天使の話さ。いいかい? 天使は堕天すると悪魔になるのに、悪魔は昇天しても天使になれないんだよ? おかしな話じゃないか。これじゃあ、こちらだけ戦力が削がれて不公平だ」


 レッドが私に何を言いたいのかいまいち分からないまま、私は無気力に話を続ける。


「悪魔が天使になれるわけないだろ」

「どうしてそう思うんだい?」

「堕ちるのは一瞬だが、昇るのは永遠だ」


 堕落に苦労は必要ない。

 けれどその逆には苦労が何処までもついて回る。

 当然、難易度が高いのは後者だ。


「おー、やはり君は素敵だねぇ。素晴らしい意見だ。けれど、それはつまり難易度が高いだけで可能だってことだろう?」

「……難易度が高すぎればクリアできないゲームだってあるさ。クソゲー乙ってね」

「その考え方はつまらないねぇ。いいかい? 難易度が高いなら攻略法を探せばいい。技術を磨けばいい。何でも利用すればいい! 確かにこれは困難な道だ! 最難関な道だ! いや、道すらない未知の領域だ! けれど、これを乗り越えれば、そこに道が出来る。道を作るんだ! これから天使に成りたい悪魔の為に、そして君の為に! どうだい? 僕と一緒に天使の道を作ってみないか?」


 ここまで聞いて私はようやく察した。

 レッドは私を天使にしようとしている。

 信じられない馬鹿だと思った。悪魔を天使にしようなんて無茶苦茶を、本気で実現しようとしている。馬鹿としか言いようがない。いや、馬鹿ですらない。狂人だ。気が狂っている。


 けれど、その時は私の方がもっと気が狂っていた。

 だから、こう言ってしまった。


「……美味しいご飯がなかったら、すぐに帰るから」

「オーケー、契約成立だ!」


 こうして私はこの天使野郎と悪魔の契約を交わしてしまった。

 一時の……いや、永遠の気の迷いで。

 最後に一つ、レッドに質問を投げかけた。


「堕天使の逆ってさ、なんって言えばいいんだ?」

「ふむ、そうだねぇ……昇悪魔でどうだい?」

「ダサすぎ」


 ★


「あ、悪魔!? ほ、本当に、本当に天界にいたの!?」


 悪魔の噂を自らばら撒いたフロイデだが、目の前に本物が現れるとは露ほども思っていなかったらしく、目を白黒させていた。


「プルメリアはそこで待ってて。さっさと終わらせるからさ」

「は、はいぃ……」


 長引くと私の方が面倒なことになる。

 迅速にこいつを……食べてしまおう。


「フロイデ、光栄に思うといい。お前の悪を味わってやる」

「ち、近付かないで!」


 恐怖と共に射出される赤い棘。

 もはやそれらをかわすことはしない。

 ただ腕を振るえば、これくらいのおもちゃはすぐ壊れるのだから。


 ガラスが砕けるような音がして、赤い棘は破片となって周囲に散らばる。

 なるべくプルメリアの方には行かないようにしているが、一応、目は瞑って欲しいかな。


「そんな……! い、いや、いやー!」


 何度も何度も棘は出現してくるが、いずれも破壊して突き進む。

 堕天使になるとその能力が強化される傾向があるのだけど、流石に未熟すぎて強化されてもそれほど脅威ではない。

 フロイデは最後のあがきとばかりに棘を握りしめてこちらに突撃してきた。

 私はそれを、片手で受け止めて、胸倉を掴み、宙に浮かせる。


「それじゃあ……いただきます」

「な、なにを、何をするつもりなの!?」

「聞こえなかったのか。神ってやつに感謝して、食べようとしてんだよ、お前を」

「ひぃっ……」


 必死になって暴れるフロイデだが、残念ながらまるで力が入っていない。

 私はゆっくりとその首元に口を添えると、柔らかなうなじの肉に牙を突き立っていく。

 そして堕天の元になっている執着や欲望や嫉妬を……飲み込む。


 ゴクゴクと、その極上のジュースを、呑む。

 美味い……久々の味に思わず口から唾液が溢れ出す。

 兄きどりの弁当も美味しいが、やはり、これには敵わない。

 勝てるわけがない。

 悪魔的な美味さなのだから。


 味わいながら吸い上げた後に残ったのは、白い羽と輝く光輪を取り戻した天使の姿。

 完全に堕天したのではこうは行かないが、堕天しかけている程度ならこれで元に戻る……場合もあるらしい。

 まあ、対処療法みたいなものなので、こんな治し方じゃ再発は不可避だろうけど。

 有り難いのは中途半端な堕天の場合、元に戻ると堕天の記憶も消えるらしい。


 よって、今、最大の問題なのは……後ろのやつだ。

 私の背後で今もこの惨状を眺めているプルメリアこそが、最大の問題だった。

 さて、どうするか。もうこのまま何も言わずに去った方が互いの為か。

 そう思って踵を返すと……背後から変な声が聞こえてきた。


「きゃ……」


 きゃ?

 きゃー?

 叫ばれるのか? そう思った次に瞬間にプルメリアが発した言葉は。


「きゃっこいい……」


 というものだった。

 ……きゃっこいい?

 こいつ、何を言ってるんだ。


 いや、マジでどういう意味?

 ちょ、ちょっと待ってくださいね、頑張って解読しますから。

 ええっと、きゃっこいい、きゃっこいい……ああ! 「きゃー! かっこいいー!」の略ですか!

 ……結局、この子、何を言っているんですか!?


「委員長さん、か、かっこいい! ヒーローみたいだった! その、た、助けてくれてありがとう!」


 思わず足を止めた私に彼女が口にしたのは感謝の言葉でした。

 そして同時にお褒めの言葉も頂いてしまいましたが……ど、どう反応すればいいんですか。


「あと、そ、そのモフモフ……触ってもいいかな?」

「いや、これモフモフどころかギザギザですから!」

「一回だけ! 一回だけでいいから!」


 目を輝かせるプルメリアさんの顔をみて、私は気付きました。

 ああ、この天使、ケモノ好きのケモナーだったんですね!

 聖獣に赤ちゃん言葉で話しかけている時点で気付くべきでした。


 こうしてなんやかんやのそんなかんなで、私はその場を離れるタイミングを見失って、彼女にモフられてしまうのでした。

 やれやれ過ぎます……。


 ★


「おや、バレてしまったのかい? それは大変だったねぇ。ドンマイ!」

「ドンマイではなく」


 ことが発覚してしまったのでプルメリアさんに部屋にあがってもらってから、兄に、レッドに今回の件について報告に行くと物凄く軽い調子で答えられてしまいました。

 この人、何処までが本気で何処までが冗談か分からないんですよね。

 苦手なタイプです……。


「大丈夫大丈夫、僕に任せてくれたまえよ」

「不安しかないのですが」


 謎に自信満々な態度でプルメリアさんの方へと近づいていく兄。

 彼女の方は、他者の部屋に入ったことがないのか、興味津々できょろきょろと部屋の様子を覗っていました。

 この危機感欠如娘をどうするんですか、兄!


「んんっ、ちょっといいかなプルメリア」

「は、はい。なんでしょう」

「この子を天使にしたのは僕の裁量でね、極秘のお役目なんだ。だから、友の為を思って秘密にしてくれると助かるし、秘密にしてくれたら飴ちゃんもあげちゃうんだが、どうする?」

「し、します! しますします! 秘密にします!」


 ぶんぶんと顔を縦に振るプルメリアさん。

 それを見て兄もまた深く頷くと親指を突き立てて……。


「ありがとう! よし、これで大丈夫だね!」

「何も大丈夫じゃないですから!」


 あんまりにも兄が適当なもので、思わず主天使のお腹にビシッと裏拳を入れてしまいました。

 こいつ! 子供に口止めするレベルの緩さで悪魔の件を片付けやがりました!

 飴で塞げるのはお菓子の家のドアくらいですよ!!!!!


「もっと記憶を消すとか出来ないんですか!」

「勿論出来るよ」

「じゃあそれでいいじゃないですかー!」

「いやいや、協力者はむしろ欲しかったところだし、そもそも君の友人の記憶を消すのは気が引けるからねぇ」


 のらりくらりとした兄の言動に私が業を煮やしていると、プルメリアさんが横から口を挟んできます。


「わ、私も記憶は消さないで欲しいな……!」

「ほら、友人もこう言っているよ」

「ぐぅ……」


 プルメリアさん本人がそう言うなら、私が黙らざるを得ません。

 クソ、二対一では絶対に弁論で勝つことは出来ないのです……!


「私、委員長さんのこと、応援するから! 天使になりたい悪魔って素敵……」

「い、いや、そんな大層なものじゃなくてですね」

「そーなんだよ! 僕の妹は素敵なんだ! さあ、今日はもう遅いし、夜食を食べて行ってくれたまえ。流石に今度は逃げないでおくれよ?」

「は、はい! いただきます!」

「それじゃあ支度をしてくるよ」


 話は終わったと言わんばかりに颯爽とその場を去っていく兄。

 くっ、なんという早業。飯で私を誤魔化してゴリ押しで納得させるつもりですね。

 そして私はきっとそれに屈するんでしょう。


 食に弱いんですよね、私。

 嗚呼、分かっていても避けられない未来……。


「でも、本当に凄いよ……悪魔から天使になろうなんて」

「あー、いえ、これは兄が無理矢理にやっていることで、私は成り行きと言いますか……」

「それで、その、すっごい秘密を知っちゃったから、私も、ひ、秘密を教えたいんだけど、たいしたのがなくて……」

「まあ、悪魔よりすごい秘密はなかなかないですよね」

「だから全然吊り合わないけど……こ、これを見て」


 そう言ってプルメリアさんが見せて来たのは──髪の毛で隠された自分の顔の上半分でした。

 ええっ!? ずっと隠されて来たベールが今ここに!?

 それは確かに悪魔クラスの驚きがあるかも!


 決して見逃さぬように目を見開いて彼女の髪の下を見てみると、そこにあるのは天使の様に愛らしいお顔……いや、事実天使なのですが。

 くりくりとして可愛らしいお目目がそこにはありました。

 まつ毛もバッチバチに長くて流石は本物の天使って感じです。


「とても可愛らしいですよ」

「そ、そうじゃなくて……目! 目を見て!」


 可愛さに目を奪われて見落としてしまいましたが、そう言われてじっくり見てみれば、不思議なことが分かります。

 左右で目の色が違うのです。

 虹彩異色症……いわゆるオッドアイ!

 それが天使で起こるなんて!


「レアですね……」

「うん、レア。レアだけど、レ、レアなだけ」

「…………別に隠さなくてもいいんじゃないですか?」

「だって恥ずかしいから……! はい! おしまい!」


 そう言って再度髪を戻し、赤くなった顔で下を向くプルメリアさんの姿は何処までも可憐で、プルメリアさんマジ天使と、そう言わざるを得ません。

 いずれ私もこのレベルの天使になれるのかと言うとそれは大変困難で、我ながら無茶な目標な気がしますが、諦める気はないです。


 私は強欲なのです。誰よりも。

 かくして、飽くまで天使な少女と悪魔で天使な私の、新たな日々が始まるのでした。

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あくまで天使な子供たち 齊刀Y氏 @saitouYsi

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