第31話 運命の相手
「ア、アレン……皇子⁉」
「まぁ、信じられないのも無理はないかな」
アレンは茶に口を付け、「予定よりかなり早い」と言葉を切る。
オルガは何やら考え込んだ後、顔色を窺うようにして尋ねた。
「……皇帝になるといいましたか?」
「ああ、そうだよ」
「理由をお聞きしても?」
「自分で言うのも何だが……僕は兄より優れている。唯一負けるとするなら、残虐性くらいのものだ。知っているとは思うが、兄は血も涙も無い人だからなぁ……ふふ」
「しかし、継承権一位はウィリアム皇子です」
「もちろん、そんなことは誰よりも承知している。だから僕はずっと準備をしてきたんだ」
アレンは席を立ち、壁の棚にある本を手に取る。
「兄の不正の証拠を押さえるため、旧貴族派に信用できる者を潜り込ませた。敢えて一人はフェイクのために、別の密偵に捕まえさせた。そうやって、少しずつ兄の信用を勝ち取った男が何人かいる」
「不正を盾にウィリアム皇子を失脚させると?」
「それだけでは弱い……だから慎重に時を待っていた。だが、そうもいかなくてね」
パタンと本を閉じ、アレンがため息をつく。
「何か問題が?」
「結論から言うと、僕はアナスタシア嬢を救いたいんだ」
「え?」
オルガは狐につままれたように目をぱちぱちとさせた。
「どういう風の吹き回しか、兄がアナスタシアとの婚姻を望んでいる」
「はぁっ⁉ え、いや……失礼、そ、そんな……」
「だろ? 僕も耳を疑ったよ。なぜ兄がってね。そもそも接点もないだろう? だが、こうなってしまった以上、黙って見ているわけにはいかない――」
ここまで真剣なアレンを見るのは初めてだ。
オルガは思わず息を呑んだ。
「婚姻が成立する前に、兄を失脚させる――、オルガ、君にも協力を頼みたい」
「……しかし、ウィリアム皇子を相手にするとなると、私の手に余ります」
「僕の方にも武器が無いわけじゃない、兄が秘密裏に……奴隷売買に手を染めているという情報を得た」
「――なっ……⁉ それが本当なら、とんでもないことになりますよ⁉」
皇国での奴隷売買は固く禁じられている。
それは皇族であろうと例外はない。
その昔、グレイリノ皇国は蜂起した奴隷達の手によって沈みかけたことがある。
その時の教訓から、時の皇帝が一切の奴隷売買を禁じたのだ。
「兄を失脚させるにはその証拠を押さえるしかない、だが、私にはまだその力が足りないのだ。頼む、オルガ……サムルクを動かしてくれ。アナスタシアを救うには彼らの力が必要なんだ」
「……その前にひとつだけ確かめたいことがあります」
「なんだい?」
「もし、お嬢さんが婚姻を望んでいたら……どうしますか?」
アレンは小さく笑った。
「その時は……許してもらえるまで、謝るさ」
§
外はもうすっかり陽が落ちていた。
アレン皇子が帰り、オルガは一人机に向かって手紙を見つめていた。
どうするべきか……。
「ん?」
アナスタシアからの手紙をよく見ると、なにやら浮かび上がる凹みがある。
ランプの灯りに透かして、目を凝らして見ると、そこには別の内容の手紙が浮かび上がる。
「――おいおい……嘘だろ?」
ボソッとオルガは呟き、手で額を覆った。
「くくっ……あっはははは! まったく、敵わねぇな、あのお嬢さんには」
オルガはうっすらと笑みを浮かべながら手紙を燃やす。
壁に掛けてあったコートを手に取り、ランプの灯を吹き消して家を後にした。
§
珍しく兄と母の機嫌が良い。
不気味だ……こんなことは今まで一度もなかった。
突然、居間に呼ばれたかと思うと、目の前には豪華な料理と年代物のワインが並ぶ。
一体、何があったんだろうか……。
「さぁさぁ、遠慮はいりませんよ、たくさんお食べなさい」
「……どうしたのですか、二人とも」
張り付いたような笑みを見せる母と、慈しむような目を向けてくるカイル。
「どうしたも何も……ねぇ?」
母がカイルに同意を求める。
カイルは大きく頷き、オホンと咳払いをした。
「まあ、隠しても仕方がないことだからな。それにめでたい話でもある……」
そう言って、もったいぶるようにカイルはワインを口に付けた。
「めでたい?」
「アナスタシア、俺はお前の兄だ。辛くあたったこともあるが、それはお前を想ってのこと。妹を心配しない兄などこの世にいると思うか?」
「……」
何がどうなれば、あの兄がこんなことを口走るようになるのか。
そう思うと、自然と首筋が粟立つ。
「喜べ、お前の相手は……あの、ウィリアム皇子だ!」
「おめでとう、アナスタシア! あぁ……、これで私たちも皇族の一員になるのよ!」
「ははは、母上は気が早いですね」
「名門、名門と言われてきたけど……正直、アキムはパッとしなかったじゃない、その点、カイル、あなたはやっぱり持って生まれたのよ」
い、いま……カイルは何と……?
ウィリアム皇子が私と?
いや、あり得ない!
そんな話、前世じゃ一度もなかったはずなのに……!
「感極まって声もでないか? はは、無理もない、なんたって皇妃になるんだからな」
「安心して可愛いアナスタシア、私がちゃんとサポートしてあげるからね」
母が猫なで声で私の頭を撫でようとする。
私は反射的にその手を払った。
「やめて!」
「アナスタシア……!」
「こら、母上に失礼だぞ!」
母は一瞬、憎らしげに唇を歪めたが、すぐに笑顔に戻った。
「まあまあ、気持ちの整理がつかないのねぇ……可哀想に。今日のところはゆっくり休みなさい。式の準備やら打ち合わせは私がやっておくから」
「母上もそう言ってるんだし、今日は休みなさい。また、明日ゆっくり話そう」
な、何なの……これは何の冗談?
私、本当に結婚するの?
駄目だ……何も考えられない。
気づくと自分の部屋に駆け込んでいた。
ベッドに飛び乗り、枕に顔を押しつける。
「カイ……」
自分でも彼の名前が出たことに驚く。
でも、今は彼を想うことでしか、この状況を忘れられることができなかった……。
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