第8話 友情の芽生え

 大きな窓が開け放たれていた。

 真っ白なカーテンと、外の木々の緑葉が風に揺れている。

 部屋に射し込んだ木漏れ日が、優雅なS字ラインを描くガブリオールレッグ猫脚の椅子を照らしていた。


 一歩踏み入っただけで、イネッサのセンスの良さがわかった。

 ノーマン卿の感性は、確実にイネッサに受け継がれていると感じた。


「まあ……何て素敵なお部屋……」


 お世辞抜きにそう思った。

 イネッサはインテリアコーディネーターとしての才能がある。

 ニーナのアリバイのためと割り切っていたつもりだったが、既にもう、その考えはなかった。


 イネッサのことをもっと知りたいと思うし、いつの間にか仲良くなりたいと思っている自分がいる。目的のために仲良くなろうとしていた自分が、何だか浅ましく思えて恥ずかしくなった。


 思い返してみれば、私には同年代の友達なんていなかった。

 付き合いでパーティーに顔を出したりすることもなかった。

 父が亡くなってからは出席を断っていたし、誘われることもなくなっていたから……。


「アナスタシア、お掛けになって」

「あ、ええ、ありがとう」

「イネッサ様、この部屋のインテリアも素敵ですね……これは伯爵様のご趣味なのですか?」


 ニーナが訊ねると、イネッサが恥ずかしそうに指を触りながら答えた。


「これは……その、お父様が選んだものと、わ、私の選んだものがあります……」

「まあ! イネッサが選んだのはどれかしら?」

「えっと、そちらの椅子……など」不安そうに椅子を指さした。

「ほんとに⁉ 部屋に入って来た時から、この椅子素敵だなぁ~って思ってたの! イネッサは本当にセンスが良いわ、ねぇ、良かったら今度、私の部屋の相談に乗ってくださらない?」

「え⁉ わ、私が……?」

「ええ、もちろん!」

「私でよければ……喜んで」

「良かったぁ! ニーナ、楽しみね!」

「はい、イネッサ様に選んでいただければ、とても素敵な部屋になりますね」

「そんな……」


 もじもじするイネッサ。

 顔も悪くない、悔しいけど私よりも胸もある、それにこの卓越したセンス。

 もしかして、イネッサはとんでもない原石なのでは……。


 私はニーナにアイコンタクトを取る。


「イネッサ、あの鏡台を借りてもいいかしら?」

「あ、ええ、もちろん」

「ニーナ」

「はい、ではイネッサ様、少しよろしいですか?」

「は、はい……」


 鏡台の前にイネッサを座らせる。

 鏡越しに見るイネッサは、自信なさそうに自分から目を逸らしていた。


「イネッサの肌って、ほんときめ細かくて羨ましいわ」

「そ、そんなことないです……私なんて……」

「ねぇ、どうしてそんなに自分を卑下するの? イネッサはこんなに綺麗なのに……」

「でも……」


 これは……何かあるわね。

 このくらいの年の頃って……もしかして失恋とか?


「ねぇ、もしかして……誰かに何か言われた?」

「……」


 ビクッとイネッサの肩が震えた。

 ああ、やっぱり……。


「大丈夫、ここには私とニーナだけ。私達は誰にも話したりしない、約束するわ」


 そっとイネッサの手を握る。


「アナスタシア……」

「私も決して誰にも言わないと誓います」


 ニーナがイネッサの髪を梳きながら言った。


「……じ、実は」


 イネッサは、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 何でも、以前参加したパーティーで、他の令嬢達から笑い者にされたという。

 自分では頑張ってお洒落をしたつもりだっただけに、ショックも大きく、それ以来、なるべくパーティーには出ないようにしているらしい。


「――許せない」

「ア、アナスタシア?」

「ええ、許せませんね」

「ニーナ?」


 私はニーナと顔を見合わせて頷いた。


「ねぇ、イネッサ、私とパーティーを開いてみない?」

「え⁉ そ、そんな、無理よ、無理……」

「大丈夫、客の招待は私がやるわ、イネッサには空間の演出をお願いしたいの」

「空間?」

「そう、この部屋みたいに、パーティー会場を貴方のセンスで飾って欲しいのよ」

「それは名案ですね、さすがアナスタシア様」と、ニーナが合いの手を入れる。

「そんな大それたこと、私にできるかしら……」


 イネッサの手を取り、しっかりと目を見つめる。


「大丈夫、絶対に大丈夫! 私が保証する、必ずできるわ!」

「ちょっと……アナスタシア、そんなに見つめられると……」

「ふふ、照れたイネッサも可愛い、ほら、鏡を見て」

「え……?」


 鏡を見たイネッサの顔が、まるで蕾が花開くように明るくなった。


「こ、これが……私?」

「そうよ、しかもまだ、ヘアアレンジをしただけよ? これでメイクもすれば振り向かない男なんていないわよ?」


 綺麗に編み込まれた蜂蜜色の髪。

 長い髪に隠れていた小さな顔がはっきりすることで、凜とした印象に変わる。


「どう? できる気がしてきたでしょ?」

「ア、アナスタシア……」


 イネッサが私の胸に飛び込んできた。

 顔を胸に押しつけ、まるで子供のように声を上げて泣き始める。


「ちょ、ちょっとイネッサ、どうしたの⁉ 大丈夫?」

「うぅ……」

「どこか痛む? 何か私、失礼なこと言ってしまったかしら……」


 イネッサはぶるぶると顔を振った。


「違うんです……う、嬉しくて……」

「え?」

「わ、私……私と仲良くしてくださる方なんて、今まで居なかったから……」


 私はイネッサを抱きしめて頭を撫でた。

 他人に対して、ここまで愛おしいと思うなんて……これが初めてかも知れない。

 この気持ちを親愛と呼ぶのだろうか。


「馬鹿ね、皆の見る目がないだけよ……でも、今更遅いわ」

「え……?」


 イネッサが顔を上げ、不安げに私を見た。

 私はイネッサの涙を指で拭う。


「だって、イネッサはもう私の親友でしょ? 今更、他の方に譲る気はなくってよ」

「アナスタシア……!」


 イネッサが瞳を潤ませながら私の手を強く握った。


「えー、オホン、お二人とも……私のことをお忘れなきよう」

「あ……ごめんニーナ」


 三人で顔を見合わせて、誰からともなく吹き出した。


「「あははは」」


 その後、ニーナに化粧直しをしてもらったイネッサをお披露目すると、執事や使用人、ノーマン卿までもが、その美しさに感嘆の声を漏らした。


 そして、夕食もごちそうになり、すっかりイネッサと仲良くなった私は、そろそろ家に帰ることにした。


「ねぇ、泊まっていけばいいのに……」

「ごめんね、でも帰らないとお父様が心配するから」

「残念だわ……もっとお話ししたかったのに」

「イネッサ様、そんなこと言ってもいいんですか? これからパーティーの準備で何度もヴィノクールに来ていただくことになりますよぉ~?」


 ニーナが冗談っぽく言うと、イネッサはクスッと笑う。


「ふふ、そうでしたね。じゃあ、近いうちに一度お伺いします」

「うん、待ってる」

「アナスタシア、ありがとう……」

「ああ、イネッサ姫、私が皇帝なら……貴方を独り占めできるのに」


 私は芝居がかった口調で、ぎゅっとイネッサを抱きしめる。

 さっきイネッサとも話題になっていた演劇の真似だ。


「……ふふ、あははっ、冗談よ」


 顔を上げると、イネッサがぽ~っとした顔で私を見ていた。


「ちょ、イネッサ⁉ だ、だめよ、それは勘違いだからね? しっかり!」

「うん……わかってます、でも本当にアナスタシアが皇子様なら素敵だなぁって」


 ぐ……か、可愛いわね。

 こんな美人に言われると、流石にその気がなくてもドキッとしてしまう。


「ほら、風邪引くわよ、じゃあ近いうちにね」

「うん、ニーナも気を付けて」

「はい、イネッサ様」


 私とニーナは馬車に乗り込み、イネッサに手を向けた。

 静かに馬車が走り出す。

 すぐにイネッサが見えなくなった。


「ふぅ……」


 温かい気持ちで胸が満たされている。

 来て良かったな……。


「良かったですねアナスタシア様、イネッサ様はとてもお優しい方ですし、何よりアナスタシア様を心から慕っておられる様子でした……」

「そうね、私も嬉しい」


 そう答えると、ニーナはどこか寂しそうな顔をする。

 私はニーナの隣に座り直して、肩にもたれかかった。


「……アナスタシア様?」

「イネッサは親友だわ」

「ええ、そうですね」

「ニーナ、あなたは私の家族よ、どこにも行かないでね……」

「アナスタシア様……私はアナスタシア様が許す限り、お側を離れません」


 そっと私の髪を撫でるニーナ。

 ああ、ニーナの優しい匂いがする……。

 そのまま私は、ニーナにもたれながら眠りに落ちた。

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