第7話 アンダーウッド伯爵家

 馬車に揺られながら、ぼぅっと外を眺める。

 馬の蹄と車輪が鳴らす単調なリズムのせいで、少し眠たくなってきた。


「アナスタシア様、起きてますか?」

「え? あ、ごめんなさいニーナ、何かしら?」

「最近、お疲れみたいですけど……ちゃんと眠れてます?」

「ええ、大丈夫。ちょっと気持ち良くてウトウトしちゃっただけ」

「なら良いんですけど……」


 向かい側に座るニーナが、心配そうな目で私を見る。

 今日はアンダーウッド家に初めて訪問するということで、私は淡いピンク色のドレス、ニーナは淡い緑色のドレスを選んだ。


 ニーナが言うには、今年は淡い色を着るのが流行っているらしい。

 逆に色さえ押さえておけば、ドレスの形はあまり関係ないそうだ。


 前世ではお洒落なんてする余裕がなかった。

 私は洋服にあまり興味もなかったが、それでも父が亡くなるまでは、ニーナに色々と教えてもらったのを覚えている。ニーナは他家の侍女達と交流があり、その情報網から、公爵夫人が今年オーダーしたドレスの色や形、皇女様の買われたアクセサリーなど、最新の流行に関わる情報を仕入れることができるのだ。


 本人が噂好き、というのもあるのだろうけど……。


「あ、見えてきましたよ!」

「へぇ……綺麗なお屋敷ね」


 ヴィノクール家のような大きいだけの屋敷とは違っていた。

 外壁一面を真っ白な化粧漆喰スタッコで仕上げてあり、森の中に佇む白亜の邸宅は、まるで深緑の闇に浮かぶ白い灯火のようだ。


「綺麗な屋敷ね……」


 馬車から降りると、アンダーウッド家の執事と使用人たちが恭しく礼を取った。

 こちらを気遣う態度を見て、彼らがこの家で働くことに誇りをもっているのだとわかった。

 主人の招いた客は、自分たちの客でもあると理解しているのだ。


「レディ・アナスタシア、ようこそアンダーウッド家へ、一同、心よりお待ち申し上げておりました」

「ありがとう」


 私は執事達に笑顔を向けた。

 ふと見上げると、ボウウインドウから覗いていた人影が、サッと姿を隠した。

 今のは……イネッサ様かしら?


 手早く使用人達が、贈り物などの荷物を運んでいく。

 執事が「どうぞ」と、私達を案内してくれた。


「まあ……素敵ねぇ」

「ホントに素晴らしいです……」


 思わず感嘆の息がこぼれた。

 足を踏み入れると、肌が引き締まったような空気さえ感じる。

 絨毯、壁紙、壁の油絵……どれも素晴らしい一流の物。

 置かれている調度品すべてに意味があるような気さえしてくる。

 

 よく見ると、アンティーク品の中に、さりげなく流行の物が置かれている。

 なるほど、アクセント代わりに使っているのか。

 これがノーマン卿の趣味だとすると、かなりセンスが良いわ。

 てっきり、旧貴族派の王道を往くような人だと思っていたけど……案外、時代に適応する力が優れているのかも。

 少し、見方を改めた方が良いかもしれない。


「大半は旦那様がお選びになっていますが、最近はお嬢様もインテリアにご興味がでてきたようでして、こちらの鏡などはお嬢様が選ばれたものです」


 イネッサが……。


「繊細な装飾に気品を感じるわ……さすがですわね」

「お嬢様もお喜びになると思います」


 執事と他愛も無い会話を交わしながら、二階へ続く階段の壁に掛けられた円形の凸面鏡コンベックスミラーに映る自分の顔を横目に、奥の応接室へ向かう。


「こちらでございます」


 執事が部屋の中に手を向ける。

 私は微笑みを返して中に入った。


 ノーマンがやや大袈裟に胸に手を当て、出迎えてくれた。

 後ろで恥ずかしそうにして立っているのがイネッサかな。

 やっぱり、窓から覗いていたのは彼女だったのね。


「ようこそ、またお目にかかれましたな、レディ?」

「ノーマン卿、お招きいただきましてありがとうございます、昨日は楽しみでなかなか寝付けませんでした」

「ははは、それは娘に言ってやってください、きっと喜びます」

「イネッサ、ご挨拶を」


 恥ずかしそうに頬を赤らめたイネッサが、一歩前に出る。

 よく言えば奥ゆかしく、悪く言えば……地味かも。

 顔の造形は整っているのに、いかんせん化粧も薄く、ヘアアレンジもしていない。

 洋服も地味な茶色のドレスで、これでは折角の美人が勿体ないと感じてしまう。


「初めまして、アナスタシア様、どうぞイネッサとお呼び下さい」と、少し緊張した様子。

「まぁ、イネッサったら、私が先に言おうと思っていたのですよ? アナスタシアと呼んでくださいますか?」


 私は敢えて砕けた口調で返した。

 このくらいなら失礼にはならないだろうし、イネッサも話しやすくなる。

 案の定、イネッサの碧い瞳が驚いたように大きくなったが、すぐにクスッと笑みがこぼれた。


「お父様に聞いていたとおりですわ、面白い御方ですのね」

「ノーマン卿が何をおっしゃったのかは存じ上げませんが……、イネッサに喜んでもらえたのなら、来た甲斐がありますわ」

「ははは、さて、私は余計なことを言う前に退散するとしよう、イネッサ、失礼のないようにな。では、アナスタシア、自分の家だと思ってゆっくりしていってくれ」

「お気遣い、ありがとうございます」


 ノーマン卿がイネッサの額にキスをして、部屋を後にする。


「イネッサ、紹介するわね、侍女のニーナよ」

「レディ・イネッサ、初めましてニーナと申します、どうぞお見知りおきください」


 ニーナは優雅なカーテシーで挨拶をする。


「まあ、素敵な方ね、大歓迎よニーナ」


 笑顔で応えるイネッサ。

 ニーナを気に入ってくれたようだ。


「アナスタシア、ニーナもどうぞお掛けになって」

「ええ、失礼しますわ」

「失礼致します」


 椅子に座ると、メイドがお茶を運んできた。


「アナスタシアが来ると聞いて、特別に取り寄せたお茶なの、気に入ってくださるといいんだけど……」

「まあ、それは楽しみです! どちらの茶葉で?」

「これは産地は中東ですが、少し変わっていましてね」


 イネッサが言うと、ふっとベルガモットの香りが漂う。

 ああ、これはアールグレイだ。

 流行るのはもう少し後だったはず……この白亜の邸宅といい、統一感のある調度品といい、アンダーウッド家は本当にセンスがいいわね。

 なのにイネッサが、自分の外見に気を遣っていないような気がするのは……どうしてかしら?


「ふふ、香ってきたでしょう? これはアールグレイという珍しい茶葉で、ベルガモットの香油で薫りをつけているそうなんです」

「まあ、素敵、こんな良い薫りを楽しめるなんて」

「本当ですわ、それにこの邸宅も素晴らしいですね」


 ニーナが褒めると、イネッサが嬉しそうに微笑む。

 それから私達は、イネッサが振る舞ってくれたアールグレイを楽しみながら、好きな画家や演劇、音楽の話に花を咲かせた。


 そろそろ、もう一歩踏み込んでみようかしら。


「ねぇ、イネッサ、ニーナに貴方のヘアアレンジをさせて貰えないかしら?」

「え?」


 一瞬で顔が曇ってしまう。

 ……何がイネッサに二の足を踏ませているのか。


「わ、私は……」

「イネッサ様、こう見えて私、ヘアアレンジには自信があるんです!」


 誇らしげに胸に手を当てる。

 ニーナが言うと嫌味にならないところが良いところね。


「そうそう、母が皇宮のパーティーに出席する際には、必ずニーナを指名するのよ」

「えっ、イメルダ夫人が……⁉」


 母の容姿は社交界ではそれなりに有名だ。

 姿私も認めている。


「そうだ! 一緒にやれば楽しくないかしら? ちょうどニーナが今流行のアレンジを聞いてきたって言ってたし、ね?」

「そうなんです、実は先日、侍女仲間の集まりで、皇族のご令嬢方に流行っているアレンジを教わってきたんですっ!」

「ほ、本当に……?」

「ふふ、ニーナは嘘なんて言わないわ。ねぇいいでしょ、イネッサ、お願い!」

「……う、うん、そこまで言ってくださるなら……」

「やったぁ、決まりね!」

「それじゃあ、私の部屋でいいかしら?」

「もちろんよ! さあ、行きましょう!」


 私達は席を立ち、イネッサの部屋に向かう。

 さりげなくイネッサの隣に立って手を握る。

 戸惑ったように顔を向けたイネッサを、私は上目遣いで見つめた。


「だめだった? イネッサと仲良くなれて嬉しかったから、つい……」

 イネッサはすぐに顔を振り、

「わ、私も……アナスタシアと仲良くなれて嬉しい!」と、手を握り返してきた。


 私は手を握ったまま階段の鏡に目を向ける。


「ほら見て、とっても素敵な鏡、ここからでも顔が見えるわ」

「え、あ、そうね……不思議ね、ふふ」


 そう言って、恥ずかしそうに微笑むイネッサ。


「さ、行きましょ?」


 私はイネッサをエスコートするように手を握り直して、微笑みかけた。

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