第3話

『小学二年生の****ちゃんが車に轢かれて亡くなりました。運転していたーー』






「あんた本当に気をつけなさいよ」


「ん? 何が?」


「いや何がってナイトランニング」


「ナイトクルージングみたいに言うじゃん」


「あんたにはそんな優雅さはないけどね」


「え、どんな方角からディスられてんの私?」


「ともかく気をつけなさいよ。最近ここらで事故増えてるみたいだから」


「あーい」




 そんな事を言われても私は走らねばならぬ。この肉腹と決別するには怠惰は許されぬのだ。


 そしてあの男の土下座も怠惰のかけらも見せない継続を保っていた。


 すげえ。やるな土下座男。あの男が謝り続けるなら私も走らねばならぬ。だから私はコースを変えなかった。今日も彼が謝ってるならその姿を確認しなければならない。


 いつの間にか私達の関係性はおかしくなっていた。いや私が勝手にシンパシーを感じてるだけなので、私のランニングと彼の土下座ングは別に運命共同体なんてことはもちろんないのだが。




 だが私はコースを変えるべきだった。訳の分からない妙なシンパシーなんかに囚われて土下座男の事なんて毎日確認なんてしなければ良かったし、する必要なんてなかったのだ。




 お堂に土下座を続ける男。彼の顔を見たことは一度もなかった。なにせずっと地面に顔を伏せているので確認のしようもなかった。


 興味本位だった。静かな夜の社。私は足を止め、祈里神社の中にそっと足を踏み入れた。微動だにしない彼の土下座は近づいて見れば見事なものだった。堂に入ったというか、誠心誠意の祈りの姿勢だった。




「……さい……さい」




 微かに何かが聞こえた。その音が土下座男から発せられている事にすぐには気付けなかった。か細く、ぼそぼそと蚊の鳴くよりも小さな言葉はおそらく祈りの言葉だった。




「……さい……さ」




 何と言っているか聞き取り切れなかった声がふいにぴたりと止まった。


 瞬間身体が一気に寒気だった。夏場の夜にそぐわない冷気だった。空気が一変した。




 ーーやばい。




 直感が緊急で身体に発信される。でも脳の命令を身体が実行しない。分かっているのに身体が動かない。


 瞬きをした一瞬だった。男の伏せた顔が、瞬きを終えた直後こちらを見ていた。身体は土下座の形を保ったまま、歪な角度までぐにゃりと首を曲げ、顔だけが私を凝視していた。


 生気のない真っ白な顔に、真っ白な眼球。黒目がないせいで血走った血管の赤が一際強調されて悍ましかった。だが何より、口角が異常に吊り上がった満面を超えた笑顔は私の精神を一瞬にして恐怖で破壊しかねない程に強烈だった。




「あああああああああああああああああ!」




 やっとそこで身体が動いた。


 近づかなければ良かった。見なければ良かった。何があんたのおかげで私も走れるだ馬鹿。あんたのおかげでもう夜走れねえわ!

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