第22話 プッタネスカと魔法不能症

 プッタネスカとは、パスタの一種である。

 ニンニクとアンチョビとブラックオリーブとケッパー(蕾のピクルス)と唐辛子をオリーブオイルで炒め、トマトソースに加える。

 材料からして刺激的な顔ぶれだが、甘味と酸味と塩味と辛味が良く調和して、これが何杯でも行ける。

 特に、唐辛子の刺激が食欲を増進させて、食べても食べても腹が減るようだ。

 それでいて調理は簡単……と言うのは語弊があるか。俺達に言わせれば、作業性にも優れていると言うべきかも知れない。

 プッタネスカとは、ミケル語で“娼婦風”を意味し、一説によると仕事が忙しくて暇なしの娼婦が、スピーディ、かつ、満足の行くパスタを食べる為に考案されたと言われている。

 ミシェールが、今晩の日替わりメニューとしてこれを提示した時、俺は正直「こんな、上等なミケル・レストランに出て来るような物をわざわざ」と否定的だったのだが、作業に取り掛かってすぐ、間違いだと気付いた。

 レストランのように満足が出来て、なおかつ、軍の食堂と言う場所柄、手頃で無ければならない現実と折り合うメニュー。

 彼女は常に、それを考えている事がわかった。

 そしてそれは、毎日考えなければならないのだ。

 こうして一口で言う程、簡単な事では無い。

「軍の食堂は、効率的な栄養源であると同時に、メンタルケアの役割も果たさなければいけませんから」

 事も無げに言う彼女の姿が、俺には少し眩しかった。

 俺なんかは、栄養効率を優先し、味は極力良くすると言う程度の志しか無かった。

 これには、魔法のストックと言う実利的な事情も絡んでいた為ではあるのだが。

 とは言え、これからの俺は軍属では無く、彼ら彼女らの食を応援する立場だ。

 この辺の認識も切り替えて行かねばならないだろう。

 以前、ハンバーグサンドを作った折、俺は上等な牛肉と安物の牛肉とでは役割が違うと思っている、と話したと思う。

 金のある無しを抜きにしても、ジャンクフードにはジャンクフードの領分がある。

 高級レストランを渡り歩くような金持ちでもーーいや、寧ろそうだからこそーーファストフードやB級グルメを貪欲に求めてしまう時がある。

 安物の味わいを知る事は、上物の良さを知る事にも繋がると、俺個人は考えていた。

 そこへ来て、想定される消費者の人数と、俺達調理員との戦力比など、現実的な問題と擦り合わせてベストな解を導き出す。

 俺も、料理を本業にする以上は負けてはいられない。

 しかし。

「これだけで充分メインを張れるな。水神さまの時、肉の調達に苦しまなくてもこれで行けたんじゃないか?」

 俺の身も蓋も無い言葉に、ミシェールは一瞬、はっ、となるが。

「あの時、アンチョビの在庫があったかは忘れたが、それ抜きにしても充分な満足は得られた気が」

「ダメです。野菜・炭水化物、そしてタンパク質はちゃんと揃えないと!」

 まあ、正論と言えば正論だが、もう少し躊躇無く即答してくれないものかな。

 と言うのは、意地悪に過ぎるか?

 

 明日の仕込みと厨房の掃除を終えて、俺は帰る準備を始めた。

 騎士団は24時間、魔物に備えなければならない。

 そんなわけで食堂も、どの時間にも対応出来るよう交代制で回しているから、様々な同僚とすれ違う。

 やはり、俺以外は全員女だった。

 有史以来、魔法による自己強化によって、腕力や体力の性差は無くなって久しい。俺の母親が、そこそこベテランだった親父よりもなお稼いでいたくらいなのが良い例だ。

 だがどうしても、その大多数に妊娠・出産・育児と言うものがある以上、恒久的な戦力として見込むのが難しいのは、魔物駆除も一般職も同じだ。

 どうしても、一時は正規兵だったり正規職員だったりしても(あるいは子育てが落ち着くまで)何処かの期間は不在か、非正規の扱いになる事は避けがたい現実だ。

 そんなわけで、こうした食堂などは女の職場の最たるものであるが……寮へ戻ろうとする俺を、待ち構えていたかのように、二人組の女が呼び止めて来た。

 結構若い。俺より若干歳上か、下手をすれば下の可能性すら考えられた。

「アルシくん、だっけ? お疲れさま。今日も大変だったでしょう」

「お疲れ様です。ええ、まあ」

 俺は当たり障り無く対応……出来てるよな? これで。

「仕事には慣れた?」

「概ねは」

 俺の返答に、女らは何が楽しいのかケラケラ笑った。何だよ、試されてるみたいで面倒臭いな。

「まだ日も浅いのに、すごいねー。実際キミ、要領いいもんね」

「やるべき事を、やっているだけで……まあ、はい」

「謙遜はいいってー。元々は騎士団にいたんでしょ? ああいう軍隊って、やっぱキビキビ動けないとダメだろうしねー」

 ああ、しんどい。

 他意は無いのだろうから邪険にもしたくないが、いちいちリアクションに困る絶妙な話題ばかり寄越してきやがる。

「ミシェールに初日は色々いわれてたろうけど、すぐに、実力ではねのけたもんね。あたしはちゃんと見てたよ」

「内心、キミが来たことで焦ってるかもよ? お払い箱なんじゃないかって」

「あるある。だって知ってる? あのコさぁ」

 

 “不能”なんだよね。

 

 ああ、何となくそんな気はしたさ。

 “不能”……つまり、彼女も俺と同じ魔法不能者だと。

 指示は勿論出すし、包丁などの物理的な調理には積極的に携わるが、火や水に関する事は全くのノータッチ。

 彼女も俺と同じだと気付くのに、三日も要らなかった。

 いや、正確には俺と真逆の経緯でそうなったのだろうと推測する。

 俺のようにトラウマが先に来ているのではなく「幼少期を過ぎても魔法起点が定まらなかった」クチだ。

 これもこれで、難しいケースだろう。

 そもそも魔法不能症自体が「どうすれば治るのかを暗中模索しなければならない」事が副次的な苦しみとなる事が多い。

 生まれてから一度も、魔法が何なのかわからない、と言う感覚。自我が完全に定まった成人が、今更どうやって他の人達と同じになれば良いのか。

 その苦悩は察するに余りある。

 それでも彼女は、ここの責任者にまでなった。

 対するこいつらは、何だ?

 俺の一番嫌いな人種を教えてやろう。

 自分自身が何もなし得ない分際で、態度だけはデカい……それも、誰かの背後からでないと、それすらも主張出来ない、虎の威を借る狐ども。

「ウチらいないと火もロクにつけられない割に態度だけはーー」

「すみませんね“不能”で。俺もそれで、騎士団から異動して来たんですよ」

 二人組が、途端に口をつぐんだ。

 ほら見ろ、この程度の覚悟だった。

 わかっていた。これが“女の職場”だと言う現実も、俺自身、大人の対応で折り合っていかねばならない事も。

 だが、どうしても容認出来ない。

 生産性の無い奴が“現実にやっている奴”をスポイルするような、無為を。

 俺がミシェールを苦手だとか、逆に尊敬しつつある事とか、そんなのはどうでも良い。

 ミシェールなど、どうでも良い。

 この事象自体が、俺は許せないんだ。

「これくらいは言わずとも察して貰いたかったですね。正直、“不能”なんて品の無い言葉で言われるのも気分が悪い」

 当然、これが無理難題とはわかっている。

 だが俺は、人に完璧を求める奴には、そいつ自身がいつ如何なる時も、これくらい100パーセント察する事を求めるぞ。

 もっと言うなら、お前ら二人の動きがいちいちトロ臭い事にも苛ついてたんだよ。

 元戦闘員の俺と一緒にするな? 知るか。甘えるな。

 ミシェール側に、陰口を叩かれても仕方の無い面はある事も、想像に難くない。

 だがあいつは、俺がこいつらに対して理不尽に要求しているような事の、八割以上はやっている。

 まるで魔法で心を読んでいるかのように、体一つでそれをやってのけている。

 名前も知らない、今後知る気も起きない二人組は、すごすごと退散して行った。

 あーあ、やっちまった。

 だが、二度と話し掛けて来るな。

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