【1.2.3】 言葉とは。―――とは。

 腹が満たされ、母親に「部屋に戻る前に風呂に入れ」と言われるがまま風呂まで終えた倫太郎が、濡れた髪もそのままに階段を上がれば、自室の扉を開ける前、中からPCのキーボードをカチャカチャといじる音が聞こえた。 


 倫太郎が、慌ててドアを開ける。PCの置かれた机の前では、ギンが椅子に正座をしてキーボードに手を付いていた。



「おかえり。」



 倫太郎に気が付いたギンが、元からいた住人のように言った。そして、そのまま再びPCに向き直る。違和感があるのは、PC画面が全く明るくないからだろうか。首を傾げながら、倫太郎はそっとギンに近づいた。



「何してるの?」



 画面を覗き込めば、やはりそこは何も映しておらず、スリープ状態のままだった。スリープを解除するためには、電源ボタンを押す必要があるが、わからなかったということだろうか。



「さっきの戦争のやつ見ようと思ったけど、見れなかった。やっぱり、無気質なものは苦手だ。」



 ギンは、不貞腐れたようにそう言った。その姿は見た目通り、子供らしいそれだったが、見た目通りの中身ではないことを知っている倫太郎にとっては、ひどくちぐはぐなものに感じられた。



「ギンにも、できないことってあるんだね。」



 さっきから倫太郎のまわりで起きている一連の不思議な出来事は、全てギンによるものだ。ギンは全ての理を超えた存在のように思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。



「僕を何だと思っているんだ。」



 ギンが呆れたように言いながら、足を胡坐あぐらに組み替えた。

 ギンが何者であるか、それは倫太郎がずっと聞きたかったものだ。ここぞとばかりに、倫太郎は聞いてみた。



「ギンは、何者なの?」

「僕は―――だ。」



 ギンが間髪入れずに答えてくれたはずのそれは、倫太郎の耳には届かなかった。



「え?何?」

「―――だ。ああ、伝わらないか。人間には、そんな言葉は無いのか。」



 少しがっかりしたような様子のギンに、申し訳ない気持ちになる。しかし、二度も吐き出されたらしいその言葉は、言葉では無かったのだ。そう言えば、さっきも同じようなことがあった気がすると、倫太郎はその記憶を辿るが、いつだったか思い出せない。

 どうせ心が読まれているのだからと、倫太郎は素直に疑問をぶつけてしまうことにした。



「言葉が無いって、さっきも言っていたけどどういうこと?」

「今、僕たちが会話出来ているのは、僕が流している情報、テレパシーを、倫太郎が自分で言葉に訳しているからだ。倫太郎の知らない言葉は言葉に翻訳されない。」

「伝わっているはずなのに、言葉なんてものに囚われているから、いよいよ人間はダメなんだ。」



 ベッドの上、顔だけを上げたクロがブツブツと文句を言っている。テレパシーでその情報を受け取っているはずなのに、認識できないのは言葉に囚われているせいだということらしい。

 倫太郎にとって、難しい話ではあったが、わからない話でも無かった。本音で誰とも話せなくなってしまったことも、言葉に囚われ過ぎているからなのだろうかと、床に置かれた学校の鞄に目をやった。



「じゃあ、結局ギンが何者かはわからないままってこと?」

「何かそれらしいものを適当に言ってみろ。もしかしたら、似たようなものがあるかもしれないから。」



 ギンがそう言って、楽しそうに笑う。ギンとしても、自分が何者であるかを表現できる言葉が欲しいのかもしれない。ただゲームをしているような、そんな気分なだけかもしれないが。

 倫太郎は少し考えてから、思いつくものを挙げていく。



「じゃあ、神様は?」

「違う。」

「魔王。」

「それは酷くないか。」



 そう言って、ギンは苦笑した。倫太郎はごめんとでも言うように、つられて苦笑する。

 確かに、魔法のようなものを使えるけれど、魔王っていう感じではない。魔王がここにいたら、それこそ大変なことだ。



「じゃあ、精霊?」

「それは、クロのことだな。」

「クロが?精霊?」



 驚いてクロの方を見れば、クロはベッドの上で興味無さそうにそっぽを向いて寝ていた。しかし、耳だけはピクピクと動いている。どうやら話は聞いているらしいが、それに加わる気は無いようだった。

 そう言われてもいまいちピンとこないのは、なぜだろうか。こちらに向いた黒い背中を見つめながら、精霊ってなんだっけ?と倫太郎は考える。


 精霊、精霊とは。そして癖のようにスマホを手に取ると、検索をかけた。



「精霊とは、草木、動物、人、無生物、人工物などひとつひとつに宿っている、とされる超自然的な存在。他に万物の根源をなしている、とされる不思議な気のこと。精気や肉体から解放された自由な霊を意味する場合がある。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%9C%8A より。)



 ギンが腕を組み、銀色の瞳をその瞼に隠しながら、倫太郎が読み上げるそれをチェックするように聞いている。クロの耳も忙しなく動いて、いよいよ尻尾も揺れ始めているから興味はあるようだ。

 倫太郎がその続きを読む。しかし、読めば読むほどわからなくなる、そんな内容だった。



「つまり、何が言いたいんだ?」



 銀色の目が再び開かれて、眉間に皺を寄せながら倫太郎に向けられた。倫太郎はもう一度、画面に書かれた文字を目で追いかけるが、書いてあることはよくわからないままだった。



「…よくわからないものってこと?」

「なんだ、そりゃ。」



 ひどくがっかりしたように、ギンが背もたれによりかかる。クロがのしりと起き上がり、伸びをする。ゆっくりとそれを終えてぶるぶると震えた後、倫太郎に向かって言った。



「人間から見たら、そう見えるってことだろう。」

「そうって、どう?」

「よくわからないものってことだ。」



 クロは少し面倒くさそうにそう言うと、テーブルの上にタシッと移動した。本当にタシッと音がしたかどうかは自信が無い。ただなんとなく、そんな音がしたような気がしただけかもしれない。



「倫太郎が精霊と聞こえたのなら、クロは人間の中では精霊ということだ。」

「大雑把だな。」

「認識されているだけ良いじゃないか。」

「下等動物に認識されていても、何とも思わん。」



 ギンとクロが、そんなことを言い合いながらPCを見ている。どうやらこれが随分とお気に召したらしい。



「もう一回見る?」

「良いのか?」

「あまり、いじらないでくれれば。」



 うんうんと頷くギンは、子供のように目を輝かせている。初めてその容姿と行動が合った気がすると、倫太郎は苦笑した。

 電源ボタンを押し、PCを立ち上げる。再び映ったのは先ほどと同じ画面だった。いじられても平気なものにしようと、一度そのゲームを閉じると、シミュレーションゲームを立ち上げた。それはブロックを使って何かを作り上げる、そんなゲームだ。



「なんだ。これは。気持ち悪いな!」



 四角だけで出来たプレーヤーが、押されたボタンによって動く。明らかに自然でないそれは、倫太郎が初めて見た時も違和感を感じたものだ。



「このボタンでブロックを表示して、このボタンで選ぶ。そしてこれで置く。こっちで壊す。」



 ボタン操作を簡単に説明すると、ギンはあっという間に理解して、ブロックを置き始めた。クロはその手元に座り、画面を覗き込んでいる。倫太郎は、空いたベッドに横たわり、ゲームに夢中になっている子供と猫の姿を見ながら、カチカチと小気味良い音を聞いていた。

 そして、気が付けば眠りに落ちていたのだった。














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