【1.1.3】 滅びゆく同胞。

 倫太郎が再びギンに会えたのは、月が真上で煌々こうこうと照らすような、そんな時間の事だった。


 あれからマークとリアンの後になんとなくついて行って、彼らのやることを真似ていれば、それなりに何とかなった。おそらく自室と思われる部屋に入れば、そこには二段ベッドが二つ置かれていて、自分のベッドがわからないという不安は、商人の服らしきものが置いてあったことですぐに消えた。

 もうどうにでもなれとばかりに開き直れば、案外どうにかなるものだなと、倫太郎が妙な感動をしながら布団に入り、さあ寝るぞという時になって、再び景色がグワリと歪んだ。



 そこは城の城壁の上、鋸壁のその隙間に挟まるような形の場所に飛ばされた倫太郎は、突然開けた眼下に「ひええええっ。」と叫んだ後、そのまま固まった。

 後ろを振り返れば、そこには石でできているらしい床があり、どうやら壁の上に乗っているらしい自分の状況を把握する。

 ただ問題は、自分の身体が違和感だらけということだ。


 鋸壁の上、自分の横には、ギンが足を空中に投げ出すように座っている。小さかったはずのその身体は妙に大きくなっていて、倫太郎は見上げるようにしてそれを見た。

 その向こうには、目を光らせているクロが二本足で立っている。灰色の瞳が銀色に光って見える。そしてその先に、毛並みが月の光に反射して、キラキラと光った羊のシロがいた。月が出ているとはいえ妙に明るいそこに、倫太郎は眩しくさえ感じていた。


 自分の身体の違和感は、その手を見たことですぐにわかった。茶色の毛に覆われたそれには、見慣れぬ肉球がある。



「茶色い猫だから、名前はチャか、ブラウンか?」



 そんなことを言って笑うギンを、驚いた顔のまま見た倫太郎は、その台詞で自分が今、猫になっているのだということを知る。妙に明るい視界に、納得する。



「猫が夜目がきくっていうのは、本当なんだ。」



 思わずそんなことを呟けば、ギンの向こうでクロが大きな溜息をついたのがわかった。ギンもまた、呆れたように笑っている。

 倫太郎は、自分がまたおかしなことを言ったのだという事に気が付いて、その答えを求めるかのようにギンを見上げた。顔付きは子供なのに、身体は大きいという違和感がすごい。



「猫だから、よく見えているんじゃない。猫が夜はよく見えるものという、お前の思い込みが、そうお前自身に見させているだけだ。」



 笑われた理由も、溜息をつかれた理由も、よくわからずにキョトンとしていた倫太郎に、ギンは母親が教え諭すようにそう言った。

 言っていることは、相変わらずよくわからない。でも、「今見えているこの世界は自分自身が見させているもの」ということなのだろうかと、その言葉の意味はなんとなくわかった気がした。


 思い込み

 先入観

 固定観念


 何度目かわからないその言葉たちが、再び倫太郎の頭に浮かぶ。今見えているこの身体も、自分がそう見えているだけのものなのだろうか。本当は形の無い何かということなのだろうか。モヤモヤとした黒い雲のようだったクロや、湯気のようだったシロのように。


 そんなことを考えながら、どう考えてもそこにある肉球を、倫太郎はもう片方の肉球で押してみた。ぷにぷにとしたそれは、母親が育てているあの不思議な観葉植物を思い起こさせる。柔らかさはその比ではないだろうけれど。



「神はいるとか、魔法があるとか、そんなアホみたいなことも、バカみたいに思い込んでくれていれば良かったのに。」



 向こうでシロが、吐き捨てるようにそう言った。ひどい悪口だが、それは悲痛な叫びにも聞こえた。



「私たちは、人間に依存し過ぎたのよ。」

「でも、そのお陰でここまで発展した。」

「でも、そのせいで滅亡する。」



 鋸壁の上で、眼下を見下ろしたまま言ったクロに、それを後ろから見上げるシロが食ってかかるように言った。何も言い返せなくなったのか、クロは静かにそこに座った。月が照らしてできる影も猫の形をしていることに気が付いて、倫太郎は不思議な気持ちでそれを見ていた。

 子供の形をした影と、猫の影が二つ。そして羊とは分かりづらいが、もこもことした影が一つ。そんな幻想的な景色も、倫太郎が自ら見せているものなのだろうか。


「かけらのような子たちは、まだなんとか残っているわ。でも、もう意思を伝えられるような、そんな存在では無い。」



 シロが首を振りながら続けた言葉は、クロには向いていなかった。鋸壁の上で胡坐をかき始めたギンに、シロは訴えるように言葉を続ける。ギンは聞いているのか聞いていないのか、ぶらぶらと投げ出した自分の足を見ているかのように、下を向いている。



「今や人間達は口先ばかりで、誰も信じてなんかいない。ここにあるのはその残骸で、既に味のひん曲がった偽物ばかりよ。」

「食い物があるだけ、まだましだ。」



 興奮し、声を荒げ始めたシロをたしなめるように、クロが口を開いた。小さい身体をでこぼこの壁に寄りかからせ、足を組む。その体勢なら、月が綺麗に見えることだろう。



「こっちはもうずいぶんと前に食えないものばかりになって、同胞が消えていく姿を見ない日は無かった。そんな日も、既にとうの昔の事だが。」



 さみしげに紡がれたその言葉に、倫太郎はクロが孤独であることを知る。

 クロやシロの同胞というのが、絶滅の危機にあるということだろうか。ただ、二匹が悲しみの中で、どこにもぶつけられない怒りのようなものを抱えているのだという事だけはわかったような気がした。

 そしてその原因の中に、人間がいるということも。


 では、そこに降り立ったギンは?

 神の遣いではないと言っていたギンの言葉を思い出しながら、それでもまだ全く意味不明な存在である一人と二匹を、倫太郎はただじっと見ていることしかできないでいた。



「お前たちの仲間が、逃げ込んでいる場所のことは聞いている。」



 ギンが言った。しかし、そんなことは既に知っているかのように、クロにもシロにも驚いた様子は無い。



「私はここで良いの。美味しい子がいるのよ。」



 諦めたような、今にも泣きそうな、そんな表情でシロが言った。潤んだ灰色の瞳が月明かりを反射し、それは銀色にも見えた。



「そうか。」



 それだけ言ったギンが、その銀色の目をうっすらと細めて、ひどく優しく微笑んだように、倫太郎には見えた。







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