29,囚われた少女

──


 マゼンタはアッシュにアイリス伯の城に連れ去られていた。テンプテーションが効いているために、道中でマゼンタはいっさい抵抗することなく、それどころか周囲からは恋人同士であるかのように思われていた。


「……安心しとってやぁ、おねえちゃん。アイリス伯もシアンくんが戻ればあんたのことを解放するし、それに俺がおっさんには手ぇ出させへんから」


 しかしマゼンタは何も答えない。瞳にわずかに不安の色があるだけだった。


「その後で、ふたりで楽しみましょ」


 ふたりはアイリス伯の部屋の扉の前に着いた。


「連れてきましたでぇ」

 アッシュが言うと、扉の奥から声がした。


「……入れ」


 アッシュが扉を開けると、そこにはアイリス伯が腕を組んで立っていた。


「……その女か」


 アッシュは肩をすくめた。

 アッシュはマゼンタを椅子に座らせると、両手を後ろでしばり拘束した。そしてマゼンタの目の前でスナップを打つと、マゼンタにかけられた術が解除されマゼンタの瞳に光が戻った。


「あ、か……かふぅっ、ふうぅ!」

 体の自由を取り戻し、マゼンタは激しく呼吸をする。


「落ち着いてや、別に呼吸が止まっとったわけやないんやから」


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……。」


 呼吸が整うと、マゼンタはアッシュをにらんだ。


「そんな顔せんといてやぁ。俺、おねえちゃんのこと好きなのに、ごっつ傷つくわぁ」

 アッシュは演技がかった様子で哀し気に胸に手を当てる。


「ふざけてんの?」


「ふざけてませんって。つか、そもそも、おえねちゃんたちが人んちの子ども誘拐したんでっしゃろ?」


「誘拐って、それは……。」


 アイリス伯が言う。

「あれが誘拐でないなら何だというんだ?」


「……あんたがシアンくんの親じ……え?」

 マゼンタは正面を見て息をのんだ。アイリス伯に驚いたのではない。その後ろの、壁にかけてある肖像画しょうぞうがだった。

「……シアン……くん?」


 巨大な肖像画、長い髪と美しい顔はシアンによく似ていたが、その絵の人物はドレスを着ていた。


「……妻のグレイスだ。……美しいだろう?」

 アイリス伯は、うっとりとした顔でその肖像画を見た。

 

 一瞬で流れ込んできた情報量に、マゼンタには理由の分からない嫌悪感がこみあげてきた。愛妻の肖像画を飾るのは理解できる、だが何故か目の前の男がそうすることが奇妙に見えた。


「……素晴らしい妻だった。王都を追放された後もこんな私に寄りそい、研究を共にしてくれた……。残念ながら、研究中に命を落としたがな……。」


 妻への想いを口にしながらも、そこには独善どくぜんさがあった。シアンの背中の傷を見ていたこともあったが、マゼンタはこの男の言葉の一つ一つに邪悪さを感じていた。


「貴様は……そんな妻の忘れ形見を……私のもとから奪ったのだぞっ!」

 アイリス伯はマゼンタにテーブルの上の燭台しょくだいを投げつけた。


「……ッ!」


 当てるつもりだったのだろうが、燭台はぎりぎりマゼンタの顔をかすめるにとどまった。


堪忍かんにんしてくださいよぉ、おっちゃん。もうおねぇちゃんはこうして捕まえとるんですから、あとはシアンくんを待てばええでしょ? おねぇちゃんを傷もんにせんといてくださいよぉ」


「うるさい! 本来ならばクリスタルを失った失態の責任をお前に取らせるところだが、義理の弟だからという理由で許してやってるのだぞっ」


 アッシュが首を傾けて笑う。口は笑っているものの、目はむき出しになっている攻撃的な笑いだった。

「へ~面白いこと言いはりますなぁ。俺かて、あんさんが義理の兄貴やなかったら、こないな汚れ仕事、受けようとも思いませんでしたけどねぇ」


「……なんだとぉ」


「どうやら、あたしはお邪魔みたいだから帰っていいかな?」


「ふざけるなっ」


「ふざけるなだって? ふざけんてんのはいったいどっちさ? シアンくんの背中にあんな傷つけて、大切な忘れ形見がきいて笑わせるよっ」


「……お前ら、そういう関係なのか?」

 アイリス伯がうろたえ、アッシュが小さく口笛を吹く。


「あ、いや、そういうわけじゃ……。」


「け、汚らわしい……!」

 アイリス伯はマゼンタにつめ寄り、髪をひっつかんだ。

「あいつの体に、お前のような下賤げせんの女が触れたのかぁ……。」


「ふん、じゃあ高貴なあんたは子供を虐待する権利があるっていうわけ?」


「赤の他人が口を出すな! 教育だ! しつけだ!」


「教育ですって?」


「そうだっ! 母親と動物にべったりだったふぬけのあいつを私がきたえ上げたんだ! 口を開けば泣き言と言い訳ばかりで、才能も無くこころざしなどろくに持ち合わせていなかったあいつを、等級試験で成果を出せるくらいの魔術師にした! 私の人生を犠牲にさえしてな! なのに、あいつは私に感謝ひとつしない! 普通は光栄に思うはずなんだ! 私のような、このセレスト・アイリスを父に持てば! 私だって私のような父親が欲しかったくらいだ!」


 マゼンタの瞳から、一縷いちるの涙がこぼれていた。


「ふん! 自分の愚かさにようやく気付いたかっ」


 マゼンタは鼻をすすり、潤んだ赤い瞳でアイリス伯をにらみつける。

「……あんた、そうやってシアンくんの心を殺してきたんだね」


「なっ」


 アイリス伯はマゼンタの髪を両手でつかむ。

「何だとぉ……。貴様に、貴様ごときに親の苦労など分かるか!」


「あんたみたいなのを親に持つ、子の苦労だってあるさ」


「この小娘がぁ!」


 アイリス伯の体からオドがあふれてきた。さりげなくアッシュがアイリス伯を制する。

「落ち着いてくださいよ、ここで人質殺してしもうたらどうしようもあらしまへんやろ? おっちゃん、シアンくんとあのおじいちゃん相手に独りで戦えますぅ?」


「……独り、だと?」

 アイリス伯がアッシュをふり返る。


「当り前やないですか。そこまでの義理はあらへんやろ?」


「ぬ、く……。」

 アイリス伯はマゼンタから身を引いた。


「しかしまぁ、驚きましたなぁ。おねえちゃん、シアンくんのこれだったんやね」

 アッシュは小指をたてた。


「だから、違うって……。」


「違うに決まってるだろう! その女がシアンの才能に目をつけてすり寄って来たに決まってるっ。赤の民の考えそうなことだっ。あいつにはまだ女など早いんだからなっ」


「そうでっか? 俺がシアンくんくらいの頃には、おねえさんの事で頭がいっぱいでしたけどねぇ」


「お前なんぞと一緒にするなっ」


「いちおう血はつながっとるんですけどねぇ」


「だいたい、シアンの相手はグレイスのようなオールドブラッドに決めてるんだっ。優秀な血を残すためになっ」


「競走馬みたいに言いはりますなぁ」


「はんっ、良い事言ってるけど、結局は奥さんも道具だったわけだ」

 マゼンタは鼻で笑った。


「な!」


「ちょいちょい、おぇねちゃん。挑発せんといてください」


「何という生意気な娘だっ」


「まぁまぁ」

 アッシュはアイリス伯をなだめながら、「ええやわぁ」と笑っていた。


──

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