第一章
困惑の始まり
始まりは、つい先ほどのことだった。
淡紅色の桜吹雪が吹き抜ける校舎裏に、漆黒の長い髪を流れるに任せて、颯爽と歩く彼女を目撃した。
瞳が黒くて、ぱっちりとした目の彼女は、少しきつめな感じで前を見据えていた。
あか抜けた感じにブレザーの制服を着崩していて、短いスカートから伸びる細くて長い足が、桜の花びらでまだらピンクになった地面を、踏みしめながら歩いていた。
それにしてもだ……。
頭の中で何度も、何度も、馬鹿みたいに繰返し再生した彼女そのままだった。
だから、たった一度、舞台の上にいる姿を見ただけの僕だったが、はっきりと彼女だと断定できた。
初めて彼女に出会ったのは中学三年生の冬の事だった。
その日、名古屋テレビ塔の周辺で美少女戦士アイレン少女隊のイベントが大々的に行なわれていて、僕は小学三年の従姉妹にせがまれて、嫌々ながらも見に行った。
恐らく、ふさぎ込んでいる、少女漫画や美少女戦士ものオタクな僕を、何とか勇気づけようとした親の画策なんだろうが、正直、それすら受け付けないぐらい暗く沈んでいた。
だから、本当にうんざりした気分だったのだが……。
特設ステージも組まれていて、プロの劇団だけではなく、大学や高校のサークルや部活も参加していた。
その中に、桜ヶ丘西高校、アトラクション研究部も入っていた。
そして僕は、舞台で演じる彼女に魅せられた。
彼女の名は
名古屋テレビ塔の舞台前で配っていたパンフレットや、利華さんの友達らしき人らの声援から知った。
一目惚れだった。
親もビックリするぐらいに蘇った――というか、おかしくなった。
自分でも驚くぐらいの行動力で、動き回った。
渋る先生や親を説得し、受験予定だった学校を急遽変えて、何とかこの学校、桜ヶ丘西高校に入学した。
そんなこんなで、ようやく彼女に会えた先ほどまでの僕は、夢見心地になりながら、心の中で大きくガッツポーズをしていた。
そう、利華さんと同じ高校に入った僕は、ついに念願が叶うのだ。
念願……。
アトラクション研究部に入部して、美少女戦士ものの主人公みたいな彼女の、美しい演技に間近で接する事。
キラキラ輝くあの先輩と、同じ時間を過ごす事だ。
……今思うと、数分前の僕は本当に幸せで、本当に信じて疑っていなかった……。
なのに今、僕はストリートダンス部員が集う、軽運動室に座っていた。
何言ってるのか分からないだろうけど、僕だって分からない。
いや、あれ?
おかしいな?
僕は確かに、浮かれてはいた。
だけど、利華さんの後に続きながらアトラクション研究部に直行したはずなのに。
ありがちな、『あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!』的ジョ○ョネタを使うまでもなく、この状況は訳が分からん。
軽運動室棟という建物の、一番上のフロアーにあるここは、広さは二十畳ぐらいだった。
壁の四面中一面は巨大な鏡が張られていた。
フローリングの床はワックスを塗ったばかりなのか光沢はあったが、よく見ると、スニーカーなどで擦った跡が沢山見えた。
そこに、おしゃれな感じの女の子たちが、各自座りながらきゃぴきゃぴした感じで喋っている。
みんな、制服から着替えていた。
体の輪郭にそったおしゃれジャージとか、だぼっとしたシャツにやたらと太いGパンの子、ヘソが出るぐらいのピッチリTシャツに腰から足までピチっと締まったズボンを履いた女の子とか、およそ校内では許されそうにない服装で、僕は正直ぶったまげてしまった。
八十年代に流行っていそうなソウルミュージックが、どこからともなく響いている。
視線を向けると、利華さんが一年生っぽい女の子に囲まれて、きゃあきゃあ言われていた。
その足下にはMP3プレイヤーと携帯用スピーカーが置かれていたので、今流れている曲は多分、あそこから聞こえてきているのだろう。
利華さんは長くて黒い髪を後ろでしっかりと束ねている。
制服から着替えたようで、体にフィットした赤いTシャツにグレーのスウェットパンツをはいていた。
「あのう……。
もう一度聞くけど、
僕は隣にいる男子に訊ねた。
「あそこにいる先輩は、利華さんで、アトラクション研究部所属なんだよね」
視線をちらりと隣に向けると、茶髪で、自身の倍はある体格の人が着てそうな茶色のシャツを羽織った男子、
「だから、さっきから言ってるだろう。
ストリートダンス部だって」
「なんで!?
ねぇえなんで!?」
「だぁかぁらぁ~!
お前が見たそのイベントには、臨時で参加していただけだって!」
利華さんの後を浮かれながら歩いていた僕が、ふと我に返ったのは、恥ずかしい話、軽運動室に入った後だった。
さすがに違和感を感じた。
聞いた話だと、アトラクション研究部とは特撮や戦隊もの、もしくは、アイレン少女隊のような、アクションが多い美少女アニメを好む人らが集まっている所、ということだった。
なので、絶対に男子の――しかもむさ苦しいオタクっぽい面々ばかりだと思っていた。
うん、だからこそ、同類だと思った僕は、意気揚々とやってきたのだ。
にもかかわらず、その対局にありそうな女子ばかりだし、少数ながらいる男子も、スタイリッシュな感じの人ばかりで、呆然としてしまった。
そんな、ポカンとした顔をした僕に、声をかけてくれたのが、同じクラスの浩一君だった。
「でも、ここまで入ってきて気づかんとか、あり得ないだろう」
事情を説明すると、浩一君は呆れた感じで笑った。
まあ、逆の立場だったら、僕だって同じ反応をしただろうが、ちょっと凹む。
そして、利華さんについて教えてくれた。
「あの人は、
元H.S.Sのメンバー……。
といっても、分からないか。
日本ストリートダンス、グランプリシリーズ、ファイナルで優勝した――ようは、日本一になったチームの元メンバーだ」
「へぇ~」などと言いつつ、いまいちピンとこない僕に対して、浩一君は何故だか少し、自慢げな表情を浮かべた。
「ストリートダンスには色んなジャンルがあって、多くのダンサーは得意なジャンルを一つ、もしくは、二つ踊れるぐらい何だけど、利華さんはオールジャンル、ほとんどのジャンルをそつなく踊れるんだ。
なかなかいないぜ、あそこまでのダンサーは。
だから……」
と言いつつ、元気づけるように僕の肩を叩いた。
「あの人が凄いと感じられたお前の目は正しいな」
「はぁ」
いや、そんな慰められかたされても……。
僕はショックで床に伏せそうになるのを何とか堪えた。
あれほど夢に見て、楽しみにしていた高校生活が、こんなに早く終わってしまったとか……。
利華さんがストリートダンス部なんだから、僕もこっちに……とも、一瞬思ったが、正直、この小洒落た人達の中で、やって行く自信なんて無い。
アニメ見るの? キモい、とか。
ダッサイ服だなぁ、マジどっかいってくれん? とか。
そんな事言われて傷つきたくないし。
僕は早々に立ち去ろうと浩一君に向かって手を上げた。
「じゃあ、またクラスで」
立ち上がろうとしたのだが、「待った!」と制された。
「利華さん踊るみたいだぞ!」
「え?」
視線を先輩に向けると、さっきまで取り囲んでいた女の子たちが利華さんから、少し距離を取り始めた。
もちろん、逃げるようにでは無く、慎重に、でも、余り離れすぎない位置を見計らっているような動きだった。
利華さんは――MP3プレイヤーを操作するため、しゃがんでいた。
そして、選び終えたのか、曲が一旦止り、そして、少し鈍い太鼓の音が聞こえてきた。 バチで叩くのでは無く、ブラジルやアフリカとかの、手で鳴らす軽快なものだった。
それに合わせて、利華さんは体を揺すり始めた。
僕は目を見張った。
打楽器の音一つ一つを踏みならすように、利華さんはステップを踏んでいた。
足だけが動いているわけではない。
リズムが体の中心からわき出るように躍動していた。
それが、手足の先や長い髪の先まで響き渡っている。
ダンスなんてよく分からない。
でも、一般人では真似が出来ないのだけは間違いなく言えた。
一きしり踊ると、曲の流れに乗ったまま、側転の要領で足を蹴りあげた。
歓声が沸く。
しかし、利華さんは自然な流れで、ステップで音に乗る。
僕は改めて確信した。
あそこにいる利華さんこそ、テレビ塔の会場で魅せた人だと。
あの時の、少女だと。
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