第7話 京へ

 それから何とか食料と寝床を見つけながら、

相変わらず道なき道を進んだ。大体の方向だ

が、琵琶湖の湖西地方だと病院の位置を想定

して京都に向かうことにした。全然違うかも

知れないが、違ったとしても問題はなかった。

どこに向かっている訳ではないからだ。追手

が気になるので、少しでも距離を取っておき

たい、その一心だった。

 

 何日歩いたのだろうか。逢坂山を超えてい

るような気がした。あくまで自分の感覚では

あるが。京都に入ったのか。さすがに京都な

ら街が生きているはずだ。淡い期待ではある

が縋るしかなかった。


 自分のことは覚えていないが地図はなんだ

か頭に浮かぶ。五条バイパスを京都駅に向か

って歩いている。多分間違いない。五条バイ

パスでさえ道としてはほぼ存在していなかっ

た。東山トンネルを抜ければ大谷本廟あたり

が見えてくるはずだ。


 やっとたどり着くとトンネルが無かった。

しまった、山を越えるのは更に困難だ。今ま

では道なき道とは言え元道として比較的平た

い場所を歩いてきた。本格的な山は無理だ。

遠回りでも三条通りに向かって蹴上を抜ける

か。トンネルじゃない分、まだなんとか通れ

る可能性は高い。


 半日かかったがバイパスを一度戻って三条

通りを蹴上辺りまで歩いた。岡崎動物園の跡

や平安神宮の大鳥居の残骸があった。


 河原町通りか烏丸通りまで出て京都駅に向

かおうと思ったが、日が暮れてしまったので

明日歩くことにした。


 個々の地名や地形は浮かぶ。このあたりに

住んでいたのだろうか。ただ詳しくは思い出

せない。それにしても、浮かぶのは元の街並

みだから記憶の中の風景とはまるで違う。時

間の経過が凄まじい。年単位ではなく数十年、

いや、数百年単位か。もしかしたら、もっと

かも知れない。


 僕が寝ている間に一体何が起こったのだろ

う。想像もつかないし、どちらかと言えば想

像したくなかった。いいことが起こった訳が

ない。


 目覚めてからまだ人間に会っていない。病

院に戻れば他の部屋に居たのだろうか。ある

程度街を探して誰とも会えなかったら、戻っ

た方がいいのか。食料の調達の面でも、その

方が得策か。判断に迫られる時も近い。


 翌日、朝から歩き出してしばらくすると京

都駅が近づいてくるのが判った。京都タワー

の残骸が見える。高さは半分以下になってい

るが、少し建物としても残っていた。京都タ

ワーの向こうに京都駅があるはずだ。


 京都駅の建物はほぼ壊滅していた。まだ京

都タワーの方が形が残っているくらいだ。確

か京都駅には地下街があった筈だ。何か残っ

ているかもしれない。降り口を探してみた。

草木に覆われていたが下に降りて行けそうな

場所を見つけた。階段も崩れてはいたがなん

とか降りられそうだ。


 地下にはちゃんとした空間が残っていた。

但し電気はない。真っ暗だ。何かの残骸で床

は荒れ放題だった。目を凝らしてみた。かな

り向こうに何か少し明るい場所があるようだ。

手探りで壁に手を付きながら、その明かりの

方に向かってみた。


 明かるい所に近づくと、そこは確かに明か

りがあった。自然の光ではない。病院で見て

以来の人工的な灯だ。


 恐る恐るその明かりが漏れているところを

覗き込んだ。そこは何かの店舗跡だった。レ

ストランか喫茶店の類か。


「誰?」


 目覚めてから聞く初めての他人の声だった。

正確には自分の声すら聞いていないので、初

めて聞く人間の声だ。


「あっ、ああ。」


 上手く声が出せなかった。


「どうしたの、まともに話が出来ないの?」


 そう問われても応えられなかった。自分で

もびっくりするくらい声が出なかった。


「仕方がないわね。別に話す言葉が判らない

訳じゃないんでしょ?」


 僕は声を出す代わりに頷いた。言っている

ことは理解できる。普通の日本語だ。時間の

経過が言語も変えてしまっている、というこ

とも十分考えられたので安心した。声さえち

ゃんと出せれば会話はいずれできる。


「あなた、もしかしたら琵琶湖大学の病院か

ら来たの?」


 僕はまた頷いた。


「そう。私たち以外には、もうあそこしか人

間は居ないから、まあそれ以外は考えられな

いけどね。」


 ここと病院以外には人間が居ない?


「驚いた顔をしても本当のことよ。京都には

ここにだけ、そして滋賀には病院の外には人

は居ない。大阪や兵庫にはもっと居るかも知

れないけれど、何せ連絡が取れないから確か

めようがないわ。」


 とても嘘を吐いているようには見えなかっ

た。事実をただ淡々と話している、と言う感

じだ。


「でも、よく病院を抜けてこられたわね。と

いうか、よく起きられたわ。病院の人間は強

制的に眠らされていて誰も起きられないはず

なんだから。」


 強制的に眠らされている?誰も起きられな

い?それがあの装置類の役目なのか。だとし

たら僕はどうして目覚めたのだ?


「中の様子はどうだった?最近では、私たち

も病院に救助に行くことを諦めていたのよ。」


 救助?病院は軟禁、もしくは監禁場所だと

でも言うのか。それなら尚更僕が抜けられた

とが奇跡に思える。


「まだ話せないか。時間を掛ければ多分話せ

るようになると思うから気長に待つしかない

わね。筆記なら今でも行けるんじゃない?」


 その女性は、女性と呼ぶには少し年齢が幼

く見える。彼女は紙とペンを持ってきてくれ

た。会話する言葉は変わっていないが文字は

どうなのだろう。僕は病院での体験をそのま

ま書いてみた。少し長文になったが、まあ、

上手く伝わるようにかけた気がする。しばら

く読んでいた女性は顔を上げると僕を見て言

った。


「やはり目覚めた理由が判らないかな。あと

職員と一人も出会わなかった、ということも

気になるわね。本当に誰も居なかったの?あ

なたまさか奴らの手先で何かの罠にはめる為

に送り込まれた工作員じゃないでしょうね。」


 心当たりもないので大きく首を横に振った。

全く身に覚えはないが、もしかしたら催眠状

態にでもなっていて自分でも覚えていない操

り人形だとでもいうのか。


「まあいいわ。今更私たちをどんな罠にかけ

ようと奴らの優位が変わることもないはずだ

から。」


 意味はよく判らなかったが、とりあえずは

これ以上疑われることもないようだ。それに

しても奴らとは何者のことなのだろう。筆談

で聞いてみる。


「奴ら?あなた、何も知らないの?記憶がな

い。なるほど何かの記憶障害を起こしている

ということね。目覚めたことにも関係がある

のかも知れないわね。奴らとは深き者どもと

呼ばれるクトゥルーの眷属のこと。人間との

混血であるインスマス面(づら)の奴もいるわ。」


 深き者ども?インスマス面(づら)?クトゥ

ルー?それは一体何だ?何一つ判らなかった。

今の時代では一般常識なのか?僕の記憶の中

にもそれらはあるのだろうか。思い出せば理

解できるのか。


「まあいい。人手はいくらあっても足りない

ことだし、あなたも明日から手伝って貰うわ

よ。」


 手伝う?何をさせられるんだ?そもそもこ

の人は何者?


「私?、私の名前は如月結衣。今年で人間と

しては十四歳になるただの日本人だよ。」


 十四?十四歳?なんだその冗談みたいな年

齢は。見た目は二十歳くらい。僕よりは年上

(自分の年齢は判らないが)だとは思ったが、

十四歳とは。それに人間としてはだと?人間

じゃないとでも言うのか。


「今日は食べて寝ることね。明日は忙しくな

るわよ。」


 そう言われて僕は空き部屋に通された。小

さな部屋にベッドが一つ。病院の部屋にそっ

くりだった。違うのは色だけだ。この部屋は

真っ白ではなく大人しめのアイボリーだった。

地下なので窓はなかったが、落ち着く。身体

に繋ぐ管もない。僕は久しぶりに安心して眠

りに就くことが出来た。

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