第6話 屍食鬼の館4



 ワレスたちが夫婦の寝室にとびこむと、そこは今まさに地獄の一歩手前と化していた。

 肩から血を流し、ヒイヒイ言いながら逃げまどうディミトリを、斧の男が追いまわしている。


「ジェイムズ! 明かり」

「了解」


 ジェイムズが火打ち石で、ナイトテーブルの上のロウソクに火をつける。


 明るくなると、さらにハッキリと見てとれた。

 怒り狂って斧をふるっているのは初老の男だ。年齢のせいか、興奮のあまりか、だいぶ息が切れている。憤怒ふんぬの形相をしてはいるが、化け物には見えない。ふつうの人間だ。


 ワレスは男の斧を持つ手にとびついた。ジェイムズもやってきて、二人がかりで押さえつける。


「ヒイッ、ヒイッ……」


 ディミトリはガタガタふるえて腰をぬかしている。

 ベッドの上で、半裸のリデルが両手で口元を覆っていた。


「間男どもめ。まとめて成敗してくれるわ。離せ! 離さんか!」


 ワレスとジェイムズの下敷きになりつつ、男はわめいている。


 ワレスは嘆息した。


「冗談じゃない。おれたちは今夜、たまたま夕立に追われて宿をとった旅人だ。間男はディミトリだけだ。勘違いで殺されたんじゃ割にあわないよ」


 ジェイムズは首をかしげている。

「いったい、どういうことなんだ? わけがわからないよ」


 ワレスは男から斧をとりあげ、ようすをうかがった。武器をとられて、男はとたんにガックリ消沈する。


 ここはみんなを落ちつかせるために時間をかせいだほうがいいかもしれない。


「わかった。説明してやるよ」

「うん。頼む」

「この屋敷には見てのとおり、人間しかいない。屍食鬼の館などではない。だが、旅人が行方不明になったというウワサの館そのものではある。このあたりは周囲を低い山にかこまれた盆地のなかにある森だ。にわか雨が多い気候だろう。天気の急変でとびこんでくる男は少なくないだろうからな」


 ワレスが語りだしても、誰も何も言わない。それよりこの修羅場をどうするか悩んでいるに違いない。


「この屋敷に入ったときから、おれは理由のわからない違和感をおぼえていた。なんとなく、何かが変だという気持ちがどうしても去らなかった。今、やっと原因がわかったよ」

「それはなんだい? ワレス」

「おれたちが屋敷をおとずれたとき、出迎えるようにリデルが出てきた。そのくせ、おれたちの顔を見ておどろいた。さらには、おれたちは急な客のはずなのに、用意したようにご馳走が出された。ジェイムズ。これがどういうことかわかるか?」


 つかのま、ジェイムズは思案する。まがりなりにも調査が仕事の役職だ。しばらくして、ジェイムズは口をひらいた。


「そうか。リデルさんは、もともと誰か、客を迎え入れる予定だったんだ」

「そう。そして、そのあとやってきたのがディミトリだった。つまり、リデルが待ち望んでいた客とは、ディミトリだった」

「でも、ディミトリは屋敷の主人なんじゃ?」


 すると、斧の男がうなる。抗議しようとするのを、ワレスがさきに言いはなった。


「屋敷の主人は、彼なんだ」

「えっ?」

「おれたちが今、組みしいてる、この男が主人だ。リデルが商売に出ていると言った旦那は彼なんだ」


「どういうことだ?」

「おれは夜中にこっそり屋敷に異常がないか調べた。そのときには、裏口も表口も鍵がかかっていた。怪しい人物もいなかった。なのに、そのあと目がさめると、この男がいた。つまり、鍵を持っているってことだろ?」


 ジェイムズは納得する。


「ああ、そうか。だとすると、ディミトリは誰なんだ?」

「よく考えてくれ。おれたちが来たとき、ディミトリはリデルの名前を呼んだ。二人は以前からの知りあいなんだ。だが、おれたちの前で夫婦のふりをした。それはほんとの間柄を他人に知られることができなかったからだ。とっさにウソをついた」

「なるほど」


「さっきのご馳走のことを考えても、ディミトリはつねに屋敷にいる住人ではない。真の主人が商談のために出かけている留守を狙ってくる客なんて、間男くらいしかいない」


 そして、今この現状というわけだ。

 初老の男は無念げな表情で悔し涙をこぼす。


「そうとも。ディミトリはおれの弟だ。弟に女房をとられたんだぞ。ゆるせなくて当然だ」

「この屋敷、まだ新しい。新築して引っ越してきたばかりなんだ。商売をしているなら、街なかに住んでいるほうがいいに決まってる。なのに、こんな森のなかに住むようになったのも、女房の浮気を疑っていたからだよな?」


 男はうなずく。

「二人を引き離せばやめてくれると思っていた。それならゆるそうと。だが、ここへ引っ越してからも、おれのいないすきを狙って会っているふしがあった。だから、今日はわざとようすを見るために、皇都に泊まるふりをして出かけたんだ。近くで夜を待ち、帰ってみれば、思ったとおり……」


 見たところ、屋敷のあるじは六十前後だ。まだ四十なかばのリデルにとっては、かなり年上の夫である。おそらく彼女の美貌をみそめて、若い彼女と結婚したのだろうが、完全に満足させるには不充分なのだ。


 ワレスは泣きぬれるリデルのかわりに弁明した。


「でも、ここまでついてきたじゃないか。あんたのことを嫌いだったら、牢獄みたいなこんな場所に、おとなしくとどまってないよ」


 主人は自嘲じちょう的に笑う。


「ふん。そんなのは、おれの金が欲しいからだ。ディミトリは顔はいいが、商才がない。大金をかせげるのは、おれだからだ」

「あんた、バカだな。ほんとにそう思ってるのか? 彼女ほどの美貌だぞ? あんたくらいの年の金持ちの男なら、ほかにいくらでもひっかけられる。それでも、あんたを選んだ。心はあんたから離れてない。そういうことだろ?」


 主人は救いを求めるようにリデルを見た。リデルも涙にぬれた目で主人を見つめる。


「ごめんなさい。ごめんなさい。あなた……」

「リデル」

「わたしをゆるしてね」


 手をとりあう夫婦を見ながら、ワレスはアクビをかみころした。



 *



 翌朝。

 ワレスたちは皇都へむかって出発した。


「迷惑な夫婦ゲンカだったな。おかげで寝不足だ」

「でも、よかったじゃないか。リデルさんはディミトリさんと別れると約束したし、誰も死ななくてすんだ。昨日、あの夕立のせいで私たちが屋敷に泊まってなければ、今ごろは大惨事だったぞ」

「若すぎる妻なんてもらうからだよ」


 寝不足のワレスはブツブツ言ったが、そんなワレスを見て、ジェイムズはほがらかな笑みを見せる。


「そんなこと言って、ディミトリが殺されそうだからって、あわててとびだして言ったじゃないか」

「それは……」


 ニコニコ笑うジェイムズの前に、ワレスは口ごもる。反論できない。


「君は昔と変わってないよ。ワレス」

「そんなんじゃない。金持ちに恩を売っとけば、何かの役に立つかもしれないからだ。さあ、行くぞ」


 ワレスはかるく馬腹をけり、スピードをあげる。


 今日の空は晴れている。

 昨日の雨が、暗い何かをすべて洗いながしてくれたかのように、清々しい。




 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る