第六話 屍食鬼の館

第6話 屍食鬼の館1



 ついさっきまで黄金色に輝く空だった。それがものの数分のうちに、とつじょ黒雲がわきあがり、一瞬のちには、世界中が滝に飲まれたようなドシャ降りだ。


「まいったな。こんな人里離れた森のなかで雨か」

「ワレス。あそこに館が見える」

「ああ。どうせもう、ずぶぬれだが」


 皇都からほんの一刻の距離にある森のなかを、ワレスはジェイムズと馬を走らせていた。


 そもそも二人で遠出するなんて、めったにないことだ。今回はジェイムズのたっての願いでついてきた。

 ジェイムズの官職は裁判所預かり調査部隊。裁判にあたって、証拠や情報を集めるのが仕事だ。その関係で、どうしても助言が欲しいと言うから来てやったのだが、その帰路でのことだ。


「ひどい雨だな」

「建物があってよかった」


 森のなかだからだろうか。庭をかこむ塀はない。急いで軒下にかけこむ。馬をおり、手綱を庭木の枝に結びつけた。


 それにしても、こんな場所に、いったい誰が住んでいるのだろうか?


 見た感じ、ちょっと金持ちの別荘だ。城というほどではないが、頑丈な石造りで、それなりの規模の屋敷ではある。

 しかし、貴族の別荘なら門番なり下男なり、人の姿があるはずだ。それがまったくない。廃屋にしては傷みが見られない。

 金持ちの商人の隠居所と言ったところか。


 なんにせよ、雨宿りはできた。激しい夕立はいっこうにやむ気配がない。それどころか、稲光が薄闇を切り裂き、雷鳴がとどろく。


「困ったな。これじゃ、雨がやんでも日が暮れてる。日暮れ前には皇都へ帰れると思ってたのに」と、ジェイムズがぼやく。


 ワレスは背後の建物を親指で示した。


「ここに泊めてもらえばいいじゃないか?」

「うん。そうだね……」


 なぜか、気乗りしないようすだ。


「どうかしたのか?」

「いや、それが、その……」


 ジェイムズが何事か打ち明けようと口をひらきかけたとき、背中から物音が聞こえた。扉がきしみながらひらく音だ。

 ふりかえると、女が立っている。身なりは悪くないものの、ずいぶん流行遅れのローブだ。


 女はワレスたちを見て、ハッと息を飲んだ。

 ワレスはそのようすに、なんとなく違和感をおぼえた。

 無人のはずの森のなかに人がいれば、それはおどろくだろうが、なんとなく大げさだ。


 が、ジェイムズは満面の笑みで女に声をかける。


「すみません。この屋敷のかたですか? 雨に降られて困っています。しばし休ませてはいただけませんか?」


 女はたいそう迷惑そうな顔をした。それでも、ジェイムズはめげない。


「お願いします。私たちは皇都へ帰る途中でしたが、これでは今日じゅうに帰宅できません。謝礼はしますので、一晩だけ泊めていただけませんか?」


 話しているところへ、ほんの鼻先ほどの距離も見えない豪雨のとばりのなかから、館へととびこんでくる新たな人影があった。


「やあ、まいった、まいった。リデル。出迎えかい?」と言いながらやってきた男は、そこでようやく、ワレスたち二人に心づいた。あわてたようすで口をとざす。


 ジェイムズはこれに対してもニコニコと笑いかけた。


「初めまして。屋敷のかたですか? 私はジェイムズ・レイ・ティンバー。こっちは友人のワレスです。にわか雨のせいで立ち往生しています。今晩の宿をお願いできませんか?」


 男は女と顔を見あわせていたが、しかたなさそうにうなずいた。


「……わかりました。どうぞ、なかへ入ってください」

「でも……」


 女はひきとめるそぶりをした。

 男は両手をひろげて肩をすくめてみせる。


 やはり、なんとなく変な感じだ。ジェイムズはまったく、そのふんいきに気づいていないのだろうか?


 しかし、このまま、雨降りの夜の森になげだされても困るのはたしかだ。

 屋敷のなかへ入る男のあとへ続く。


 館は化粧漆喰けしょうしっくいの壁やタイルのモザイク模様が美しい床など、こぢんまりとしてはいるが、なかなか豪華だ。掃除がじゃっかん、行き届いていないものの、こんな辺鄙へんぴな土地では使用人をやとうのも苦労するだろう。


「本格的な嵐になってきましたね。旅の人。災難でしたね」と、男はきさくに笑いかけてくる。人あたりもいいし、ごくふつうの商人のようだ。


 家のなかへ入ると、すでに燭台しょくだいに灯がついていた。その明かりで男女の顔がよく見わけられるようになった。


 男は三十代くらい。ユイラ人にはよくいるタイプの、ちょっと男。

 だが、女はものすごい美女だ。ただし、年齢はワレスの推定で四十代なかば。男よりひとまわり年上だ。


(変な二人だな。夫婦にしては年齢が。まあ、女が再婚なら、そんなこともあるか)


 ユイラ人は世界のなかでも長寿国だから、百まで生きる人も少なくない。女の四十代はまだまだ若いと言える。


 一般的にもそうだが、このリデルと呼ばれた女の場合は、とくにだ。純白のミルクのような肌を漆黒の髪がひきたてている。異様に妖艶ようえんな女だ。

 キレイだが、魔女っぽい。


 リデルは光のもとでワレスを見て、興味をひかれたらしかった。軒下でのそっけなさがウソのように、ジロジロと見つめてくる。女の目線のなかに誘うつもりがあるのかないのか、そのへんの見当は商売柄、一瞬で見きわめがついた。


(まあ、金持ちのようだし、一晩の火遊びもいいか)


 このあと、とんでもない一夜になることを、ワレスはまだ知らない。

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