第5話 狼男の求愛4



 その夜。

 ワレスは文を送って、ジョスリーヌとポレットをアズナヴール邸に呼びよせた。表向きは晩餐会だ。


 だが、狙いは別にある。ジョスリーヌに頼んで、酔っぱらったふりをしてもらう。皇家の次に権威のある大貴族のジョスリーヌだ。丁重な対応を受け、屋敷に泊まることとなった。


 深夜。

 ワレスは寝ずに起きていた。きっと何かが起こるとわかっていたからだ。


 案の定、悲鳴が聞こえた。

 とびおきてかけだす。

 ろうかへ出たところで、むかいの部屋から出てきたポレットやアマンディーヌと出会った。


「あれですわ。先夜も聞こえました」

「ご婦人がたは、おれのうしろに」


 ワレスは先頭に立って声のしたほうへ走る。

 豪華な内装がロウソクの光にチラチラとゆれる。ところどころ、火が消されずに残っているのだ。夜中には火事の心配がある。第一に、それがおかしい。何者かが、わざとつけたのだろう。


 ろうかのまがりかどまで来たときだ。明かりに照らしだされて、人影が壁に映っていた。ひいッとポレットが腰をぬかす。


「お、狼男……」


 影は二本足で立っている。しかし、頭に大きな耳があり、鼻面は前につきだして、裂けた口から牙がのぞいていた。狼だ。二足歩行の狼。


 ワレスが追いかけると、影はすばやく身をひるがえし、逃げていく。

 かどをまがれば、意外と近くにそれはいた。狼の毛皮と頭部が薄明かりに照らされる。


 狼男は館の構造を知悉ちしつしているようで、逃げる足取りに迷いがない。

 が、ワレスは二十歳すぎの男だ。全速力で走れば、あっというまに追いついた。

 狼男の背中に手をかけ、頭をつかむ。


 そのとたんだ。ズルリと狼の頭部がすべりおちる。

 その下から現れた顔を見て、ワレスは自分の考えが正しかったことを知った。


 さわぎを聞きつけて、邸内の人々も集まってくる。マチアスの母、義理の父。それに、マチアス自身も。


「これは……いったい、どういうことなんだ?」


 うろたえるマチアスを見て、は泣きだした。



 *



 一同がそろう大食堂。

 長卓につく人々の前で、ワレスは口をひらく。


「今回の事件は何人もの思いこみと不幸なぐうぜんが重なった結果、子息が狼男に変身するだなんて話になったんだ。最初の不幸は十五年前、先代伯爵が黒犬に噛まれて死んだこと。先代伯爵は高熱を出して亡くなったのではないですか?」


 問いかけると、マチアスの母がうなずく。


「さようですわ」

「ところで、奥方様。黒犬を始末したのはあなただと言うことだが、それは事実ではありませんね。黒犬は放置していたら勝手に死んだんでしょう?」

「そうです。伯爵が亡くなった直後でした」

「でしょうね。その犬は狂犬病にかかっていたのだ」

「狂犬……ですか?」

「犬を媒体にして人もかかることがある。だが、貴婦人や召使いが病理学など知らないのは当然だ。そのあとすぐにマチアスの夜歩きが始まったので、黒犬の呪いだと言われるようになった」


「違うのですか?」と恐る恐るたずねてきたのは、マチアスだ。


「ご令息。あなたは幼くして父を亡くし、五つやそこらで公務を任された。それは社交界で大人と対等にふるまわなければならないということだ。幼児にとって、多大な労苦であったことは想像にかたくない。

 以前、知りあいの医者から聞いたことがある。過度な心労を負った子どもは、睡眠時の意識のコントロールが不充分になり、頭は眠っているのに体だけ起きて動きまわることが、まれにあるんだそうだ。あなたが大人になって、その奇癖が出なくなったのは、公務が負担ではなくなったからだな」


「でも、それじゃ、死んだ犬たちは? 服に血がついていたこともあった。だから私はてっきり、自分が夜、化け物になって殺したのだとばかり。みなもそれを見たと言うし」


「ところが、じっさいにあなたが変身する場面は誰も見ていないんだ。見られたのは、夜に歩いているあなた。おそらく、自分が狼男になると思いこんで、子ども時分の病気が再発したのだろう」

「たしかに、このところ、よく眠れなかった」


 ポレットは納得いかない顔だ。

「でも、わたくしは見ましたよ。マチアスさまが化け物に変化するところを」


 ワレスは即座に切りすてる。


「それは違う。あなたはさっき、壁に映る影を、先夜に見たものだと言った。つまり、あなたは寝ながら歩くマチアスに会い、そのあと狼男の影を見た。てっきり彼が変身したと思いこんだんだ」

「そんなはずはありません」


 だが、そうなのだ。

 目の前での正体はあばかれたのだから。

 今はもう毛皮や狼のかぶりものは外している。

 うつむいて涙をこぼしているが、強情に謝罪の言葉は述べない。


 マチアスの妹、マノンだ。

 男装の美少女である。


「……マノンはなぜ、こんなことをしたんですか? 犬を殺したり、私の服に血をつけたのも、マノンなのでしょう?」と、マチアス。


「それは、あなたの婚姻を妨害するためだ。あなたは結婚したら、伯爵家の財産を一任される。自身や義理である父が不遇をかこつと邪推したのかもしれないし、単に大好きな兄上がほかの女のものになるのがイヤだったのかもしれない」


 どちらかが図星だったらしい。泣き声が激しくなった。

 マチアスは困惑の表情を浮かべる。


「私は父上やおまえを排斥はいせきなどしないよ。父上にはこれまでどおり、私の後見でいてもらう。おまえのことも、ふさわしい家に嫁ぐまで、うちで何不自由なく養育するつもりだ。ちゃんと持参金も持たせる」


 マノンはグズグズ鼻を鳴らしている。優しいお兄ちゃんをとられたくないという、子どもっぽい考えが正解だったようだ。狼男の正体は、ずいぶん可愛らしいヤキモチ。



 *



「残念。人間は変身しないのね」


 帰りの馬車のなか。

 ジョスリーヌはつぶやく。が、その口調は満足そうだ。


「だから言ったろ? 人は狼男になんてならない」

「でも、アマンディーヌがあのポレットをピシャリと黙らせたのにはおどろいたわね」


 みんなの前で求婚するマチアスを、ポレットがさまたげようとした。だが——


「お母さまは黙ってて」


 ひとことで母をはねかえしたときのアマンディーヌは、たしかに輝いていた。


 ワレスはうそぶく。


「恋は女を変身させる」


 つきぬける青空。

 花の香りが心地よく鼻腔びくうをくすぐる。




 了

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