第4話 泥試合前夜3



 夜になって、寮で事件が起こった。正確に言えば、校庭でのムダな泥遊びが終わったあとだ。


 あのル・マルタン家のベルナールが、ブローチがないとさわぎだした。そう言えば、彼はいつもマントをとめるとき、アンティークなブローチをしていた。


 貴族の子弟ばかりだ。みなが何かしらの宝飾を身につけている。


 だが、誰かのものを盗むなんてことは、ふつう、ありえない。なぜなら、名のある宝石は持ちぬしが知れ渡っている。それをほかの者が持っていれば、社交界での信用が失墜しっついするからだ。

 盗品を売って金に変えるというのは平民の思考だろう。貴族の子息の考えることではない。


「よく探したの? きっと泥遊びの前に外したとき、思いがけないところに置いたせいだよ」


 そんなふうに言って、励ましているのは、ジェイムズだ。彼はほんとに何かと他人の世話を焼きたがる。困っている人を見ると、ほっとけない性分らしい。


「そんなんじゃない。部屋に帰るまではあったんだ。自分の机の上に、たしかに置いた。服が泥だらけだったから湯浴みに行って、帰ってきたらなくなってたんだ」


 ベルナールはそう主張する。何しろ大声でさわいでいるから、同じ棟の寮生が、みんな廊下に出て、なりゆきをながめていた。


 寮の部屋は特別な事情がないかぎり、二人ないし四人部屋だ。部屋の大きさによって、その数は違う。


 たとえば、ワレサはルーシサスとの二人部屋。入学したときは別々だったが、ルーシサスの虚弱体質を理由にして、もともとの同室の子と変わってもらった。


 ベルナールの部屋は四人部屋だが、いっしょに入学したドニとパトリックが相部屋になっていた。とりまきの一人のクリストフは学年が上なので、寮の部屋は違う。四人部屋を三人で使っている。


 風呂場は寮とは別棟だ。

 学生寮のとなりに温泉のひかれた大浴場があり、学生たちはいつでも好きなときに入ることができた。全校生徒でも五百人いるかいないか。それも毎日、入浴する習慣はほとんどの生徒にはないから、混む時間帯をさければ、比較的いつもすいている。


 が、今日は話が別だ。泥遊びをした生徒が大挙して押しよせたたため、大浴場ばかりでなく、中庭の噴水まで、ずっとごったがえしていた。


 つまり、その時間、多くの生徒が浴場や噴水にいて、寮のなかは無人に等しかった。盗もうと思えば、誰でもウロつきまわることができた。

 帝立第一騎士学校は全寮制だ。全寮生が容疑者ということになる。


 が、ベルナールはさらに、こう断言した。


「大浴場にはパトリックと行ったんだ。そのとき、ドニだけ部屋に残った。だから、ドニに鍵を渡して、出るときに閉めてから来るように言った。帰りは三人いっしょだった。帰ってきたら、置いてたはずのブローチがなくなってた」


 そうなると、容疑者は一人しかいなくなる。鍵を持っていたというドニだけだ。


 だが、ドニは絶対に自分じゃないと訴える。


「僕じゃない。たしかに鍵を持ってたのは僕だけど、でも、盗みなんてしないよ!」


 廊下の見物人にまじって、このようすを見ていたワレサは疑問だった。

 ドニはベルナールのご機嫌とりだ。そういう立場にある。すぐにバレる状況で盗みなんてするだろうか? あまりにも愚行すぎる。


 でも、別にどうでもいい。

 自分には関係ないことだ。

 そう考えて、ならんで見ていたルーシサスの肩を押した。


「部屋に帰ろう。明日のために、早めに休んだほうがいい。おまえはちょっとしたことで、すぐに熱を出すんだから」

「うん。でも……」

「犯人はドニなんだろ? 寮長がなんとかするさ」


 気の進まないようすのルーシサスを見ると、なぜかイライラした。


「おまえはほかのヤツの心配なんかしてやらなくていいんだ。おまえが熱を出すたびに、何度も水をくんできて、看病してやるのは、おれなんだぞ? おまえに死なれちゃ困るんだからな」


 ルーシサスにだけ聞こえるよう、耳元でささやく。

 すると、ルーシサスは笑った。


「うん。いつも、ありがとう。ワレサ」

「おまえにもしものことがあったら、おれがアウティグル家から追いだされるからだよ」

「うん。わかってる」


 何が嬉しいのか、ルーシサスはニコニコしている。それがまたシャクだった。


 とにかく、二人部屋に帰り、寝巻きに着替えようとしていたときだ。外からコンコンと戸をたたかれる。


「誰だろう? こんな時間に」

「おれが出るよ。おまえはもう寝たふりしとくんだ」

「うん」


 すばやくキスをかわしてから、ワレサは扉をあけた。

 外には思いがけない人物が立っていた。

 それも一人じゃない。話題のドニが、ジェイムズや、寮長のラ・ヴァランタン侯爵子息ロベールとともにいた。


 ワレサは首をかしげた。

 今夜、このメンバーが自分の部屋をおとずれる理由が、まったく思いつかなかったからだ。

 これでも、ワレサは周到に、おとなしく目立たない優等生を演じていた。それが演技だと勘づいている者さえいないと自負している。


「寮長。点呼ですか? ルーシサスさまはさきほど、お休みになられました」


 ところが、返ってきた答えは意外なものだ。


「そうではないんだ。ジェイムズが言うには、君はが得意らしいから、力を貸してもらえないかと思ってね」

「こういう問題……ですか?」

「ベルナールのブローチがなくなったことは聞いた?」

「はい」

「それを隠した人物を探してほしい」

「…………」


 一瞬、自分の置かれた立場がわからず、ワレサは呆然とする。人のいい顔で笑うジェイムズが、むしょうに憎らしかった。

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