第1話 魔法使いの赤い薔薇3


(なるほど。それなら、屋敷を出ていった理由はわかる。たしかに、その後まもなく亡くなっているしな)


「だとしたら、あなたは看護役としてついてきたわけだ。たとえ別荘を譲り受ける約束とは言え、自分にうつるとは考えなかったのか?」


 ディディエンヌは迷うような目で、ワレスを見る。


 その顔、どこかで見たことがあるような? いかにもひかえめで、おとなしそうな……。


 とつぜん、気づいた。


「侯爵だ。エドモンド侯爵の肖像に似ている」


 ディディエンヌはうなずいた。


「さようです。わたしは侯爵の異母兄妹です。事情があって里子に出されましたけどね。兄には子どものころから可愛がってもらいました。兄を一人で死なせるのは、忍びないじゃありませんか」


 となると、バラの件は、どうなるんだろうか?

 妻に裏切られたことへの腹いせか?

 いや、もし侯爵が腹いせをするような人間なら、死期を悟って別荘に引っ越したりしない。屋敷にとどまって、憎い妻やそのまわりの男たちに伝染してしまえばいいと考えるはずだ。


 では、なぜ、バラを植えかえた?

 赤から白へ?


「バレンタインの日に、赤いバラを侯爵から貰ったろう? あれはなんでだ?」


 ワレスの口調は思わず、荒っぽくなる。

 が、ディディエンヌは従順に答えた。たぶん、顔立ちだけでなく、性格もエドモンドに似ているのだろう。


「ああ、あの日はバレンタインでしたか。わたしが生活に困っていたからです。花屋に卸せば、いくらかの足しになりますから」

「それだけのことか。だからって、庭のバラを総植えかえする必要はなかろうに」


「バラは捨てるのがかわいそうだから、わたくしにくださったのですよ。植えかえたのは、兄の趣味じゃないですか?」

「死期を悟った人間が、わざわざ、庭木を植えかえたんだ。ただの趣味とは思えない」


 ディディエンヌは考えこむ。

「そういえば、兄は言っておりました。子どものころに約束したんだと。魔法がどうとか」

「誰とどんな約束をしたか、聞かなかったか?」

「そこまでは……」

「侯爵の残した日記のようなものはないか?」

「ありません」


 ディディエンヌから聞けることは、すべて聞いた。ここでは、もう何も得るものがない。


 ワレスは侯爵の本心がわからないまま、皇都のラ・ベル侯爵邸にもどった。

 ちょうど、日没前だ。


「ジョス。悪いな。ダメだったよ。死んだ人間の心は、おれにもわからなかった」


 西日に金色に染まる部屋のなかで、ジョスリーヌは微笑する。

「いいのよ。あなたのその気持ちだけで嬉しいわ」


 手招きするので、彼女のもとへ歩いていく。


「ねえ、ワレス。あの白バラは全部、植えかえるわ。そして、あなたの金色の髪のような、黄色いバラを植えるわ。バラの根元にはブルースターを。あなたの瞳の色ね」


 まあ、ジョスの機嫌が直ったのならいいのだが。


 とりあえず、これはナイショだよと前置きして、ディディエンヌがエドモンドの異母妹だったことを告げる。


 ジョスリーヌは深刻な顔になった。


「……じゃあ、あの人は浮気してたわけじゃないのね」

「死期を悟っていたらしい」

「わたし、ただの一度もお見舞いに行かなかったわ。エドモンドが病気だって聞いても、きっとディディエンヌとの仲を隠すためについたウソだろうと思ってた。まさか死ぬなんて……」


 ジョスリーヌの瞳から、すっと涙がこぼれおちる。

 ワレスは彼女の肩をそっと抱いた。


「しかたないだろ。人の生き死になんて、誰にもわからないよ」

「そうね」


 ワレスの胸にすがって泣くジョスリーヌは、少女のようにたよりない。


「あの人、子どものころからそうだったわ。気が弱くて、不器用で、何をやらせても失敗ばっかりで……。でも、優しかった。自分のことをあとまわしにするほど、他者に優しかった。病気なら病気と言いなさいよ」


「侯爵を愛してたんだろ?」

「愛してたわよ! わたくしの好きな華やかなタイプじゃなかったけど、この人とすごす穏やかな毎日も悪くないって思ったわ。わたくしは好きな人と結婚できて幸運だと。なのに、あの人、ちっとも、わたしのことなんて相手にしてくれなくて。子どものころのあの約束も、きっと忘れてしまったんだわ!」


 約束?



 ——子どものころに約束したそうです。魔法がどうとか……。



 ワレスはジョスリーヌの肩を両手でつかんだ。


「どんな約束だ?」

「まあ、何? そんな真剣な顔して」

「いいから、言ってみろ。どんな約束をした?」


 とまどいながら、ジョスリーヌは答える。


「子どものころ、親しい親族だけを集めたバレンタインのパーティーがあったの。その席で、男の人が恋人にプロポーズしたのよ。赤いバラを贈ってね。バラをもらったその人は、とても嬉しそうで、輝いて見えたわ。うらやましかった。

 ウットリして見てたら、エドモンドが言ったのよ。『君にも赤いバラをあげるよ』って。エドモンドに手をひかれて庭に出たけど、赤いバラは咲いてなかった。わたしは泣いたわ。そしたら、エドモンドは、そこに咲いていた白いバラを手折って、わたしにくれたの。『いつか君に庭いちめんの赤いバラをあげるよ。だから、今日はこれだけ』って。そのときね。ちょうど西日があたって、白いバラが金色に見えたわ。まるで魔法みたいだった」


 その瞬間、西日が傾き、部屋のなかが金色から茜色に変わった。


 ワレスは思いだした。

 この屋敷の庭の形。バラの庭園の小道は、いやにいる。まるで、その形は……。


 しかし、ここは一階だ。


「そうか。わかったぞ。ジョス。今すぐ、侯爵の部屋に行こう」

「どうして? あの人のものは何も残ってないわ」

「いいから、急ぐぞ。時間がない」


 ジョスリーヌの手をひいて、ワレスは部屋をとびだした。



 *



 エドモンドが生前、使っていた部屋は、思ったとおり四階にあった。四階の南向き中央だ。ここからなら、前庭が一望にできる。


「さあ、ジョス。これが、エドモンドのほんとの気持ちだよ」


 窓ぎわに近より、フランス窓をあけて、バルコンへ出る。


 紅に焼けた空。

 庭のバラも真紅に染まっていた。

 見渡すかぎりの赤いバラ。


「侯爵が死んで何年も経ってるから、刈りこみが不充分で読みにくいところもあるが」


 そこに文字が書かれていた。

 バラの花で記された文字だ。



“愛するジョスリーヌへ。

 約束の赤いバラを贈るよ”——と。



「エドモンド……」


 ジョスリーヌのつぶやきは、かすれて涙のなかに消えた。


 魔法が世界をつつむ。

 日が落ちて、残照の最後の赤が、夜のとばりに、にじむまで……。




 了

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