第1話 魔法使いの赤い薔薇2
ぶすっとした顔つきになって、ジョスリーヌは言う。
「あの人、庭仕事が趣味だったと言ったでしょ? 庭じゅうの赤いバラをひきぬいて、白バラに植えかえたのよ。わたしの部屋から見える範囲のバラを、全部よ」
侯爵家の屋敷には、ワレスも何度も来ている。
たしかに、この部屋から見える前庭には、いちめんの白バラが咲きほこっている。皇都は年間を通して温暖なので、冬でも花が咲いていた。
「ぬいてしまった赤いバラを全部、切り花にして、召使いのディディエンヌにあげていたわ。花を落とした株は、郊外の別荘に移しかえたみたい。エドモンドが死ぬ前の最後のバレンタインの日のことよ」
なるほど。それがバレンタイン嫌いの由縁か。
「いらなくなった花をすてるのが、もったいなかっただけじゃないのか?」
「そのあとすぐ、エドモンドはバラを持っていった別荘に移り住んだのよ。ディディエンヌをつれていったわ」
それは……反論できない。
完全に侯爵の愛人だろう。
つまり、侯爵は、愛の証の赤いバラをジョスリーヌの庭からひっこぬき、よそへ移すことで、浮気ばかりする妻を無言で責めたわけだ。
おれだって、おまえのことなんて愛してない、愛してるのは他の女だと、行動で示した。
「……だから、この日になると、そのときのことを思いだすんだな。だったら、庭の白バラを植えかえてしまえばいいのに」
「そうね。そのほうがいいのかもしれないわね。この屋敷から、エドモンドの思い出をすべて消してしまうわ。きっと清々するでしょう」
そう言いながら、ジョスリーヌの目の色は、少しさみしげだ。
ウソをついている。
どんなときにも、まわりのすべての人間からチヤホヤされてきた女王さまは、プライドが高いから言わないが、ほんとは侯爵を愛しているのだ。
それが恋愛感情なのか、幼なじみに対する友情の延長線上なのかまではわからない。だが、夫の裏切りを許さないていどには好意を持っていた。あるいは浮気をかさねていたことだって、庭いじりばかりしている夫の気をひこうとしてのことだったのかもしれない。
「わかったよ。ちょっと待っててくれ」
「どこへ行くの?」
「夕方までには戻ってくる」
ワレスは部屋を出て、ジョスリーヌつきの侍女から話を聞きだした。かなり年配の侍女だ。屋敷で起きたことをなんでも知っている。
「先代侯爵のエドモンドの日記や手紙が残っていないか?」
「先代侯爵さまのものは、侯爵さまが別荘をお移りになるとき、すべてご自身で処分なさいました」
「侯爵が生前、何を考えていたか知りたいんだが」
「わたくしどもでは、なんとも。ディディエンヌなら……知っているかもしれませんね」
「では、ディディエンヌは今、どこに?」
「まだ、別荘におりますよ。もともと、あの別荘は、侯爵さまがディディエンヌのために買いとられたものですから」
ワレスは場所を聞き、馬を借りた。
別荘についたのは、一刻後だ。郊外と言っても、比較的、皇都に近い。
別荘はビックリするぐらい質素な家だった。とても貴族の持ち家には見えない。生活にゆとりのある農夫の家みたいだ。まわりは畑にかこまれている。
ちょっと、ぼうぜんとしてながめていると、赤いバラの咲く庭に人影が見えた。小さな子どもが二人。それに母親らしき女だ。
ワレスは馬をおり、近づいていった。
「こんにちは。あなたが、ディディエンヌ?」
「さようですが、あなたは?」
ディディエンヌは、まだ二十代後半に見える。目鼻立ちの小作りな、ひかえめな印象の女だ。
しかし、ワレスを見て、両側から母親にしがみつく子どものほかに、背中にも一人赤子を背負っている。
「エドモンド侯爵のことで話が聞きたくて」
それだけで、ディディエンヌは何事かを察した。遠くの畑にいる男を指さして、子どもたちに言った。
「お父さんのところに行ってなさい。お母さんは大事なお話があるから」
侯爵が死んだのは、七、八年前のはずだ。ディディエンヌが別の男と結婚していても、誰にも責めることはできない。
「ラ・ベル侯爵家ゆかりのかたですか?」と、たずねるディディエンヌに、
「ジョスの友人ですよ」と答える。
「奥さまの……そうですか。わたくしに何を聞きたいのですか?」
「単刀直入に聞こう。あなたは侯爵と愛しあっていましたか?」
泣いて謝罪するだろうか?
それとも、弱い女の特権をぞんぶんに活かして、許しを求めるだろうか?
ところが、ディディエンヌは、いきなり笑いだした。
「わたくしと侯爵さまは、そんな関係ではありません。奥さまは、きっと勘違いなさっておいででしょうね。それを思うと申しわけなくて」
「でも、侯爵はこの別荘をあなたのために買ったと聞いた」
「侯爵さまは死期を悟っておられましたからね。亡くなったあと、わたしが譲り受ける約束はしていましたが、ほんとのところは、病がお屋敷の人たちにうつるといけないと、お考えだったからです」
「侯爵は伝染病だったのか?」
ディディエンヌは、ある病名を告げた。死病である。
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