第九章 コイン・トス
第38話 仕掛けはダイナミックに
「エスコート服様達から、だいたいのあらましが聞けましたの。男の方々のお料理に対する認識ってアテにならないってことも、判明しましたけれど……」
「あ、ボクも立ち聞きしてましたから助けになれると思うッス。――iPodは没収されちゃったけど」
「でかしたで!! さすが沙記や!」
綾は、にっこり笑って、一同を見回した。
「オーケー、皆さま、少し遅いですけど、夜のティーを振る舞いますわ。解散前に、簡単に復習といきしょ?」
綾は離れの和室のほうへ、手を向ける。
「さ、こちらへ……本当に、お疲れさまでした!」
沙記も戻ってきたし、心はすっかり落ち着いていた。
一時間半後、それぞれの家庭から呼び寄せた御用車で帰っていくご令嬢達を見送って、綾の胸は、いよいよ高鳴っていた。
――エマ姉様のメニューは分かった。
食材も分かった。
調理法も分かった。
テーブルセッティングの思想も、だいたいの料理の出し方、タイミングも、掌握した。
勝てる……少なくとも、互角勝負に持ち込むことくらいはできる。
手を握りしめて、夜空の月を見上げた。
機嫌良く、はしゃいでひとりごちる。
「やっぱり、懐石料理はお茶席の流れの中で味わって頂きませんとねっ」
携帯を取り出すと、至急の無理な依頼と承知で、各所の業者や家庭に連絡を飛ばしはじめた。
どどん。
翌朝、源聖女館学院の西苑、ゲストルーム近くの庭園には、式部家の茶室が、
「わたくしの独断で、申し訳ありませんけれど、作戦を微修正させていただきましたわ」
にっこりと、朝の爽やかな風に腰までのストレートヘアをなびかせて、笑う笑顔が眩しい。
彼女ごと背後の茶室を眺め渡して、マーガレット、リリー達は、ぽかんと口をあけて立ちつくしていた。
「思い切りましたわねぇ……」
「イギリスから古城ひとつ空輸したお嬢に言われたかないやろ、アヤも」
「いやですわ、イングランドでなくてスコットランドからですのに」
「……問題がちゃう、いいますのんや。あんたほんまにええ性格してますなぁ?」
マーガレットが、あら?と小首をかしげる。
アヤは、居並ぶ給仕係の少女達、厨房係の少女達に、叫んだ。
「ごめんなさい、皆さん。担当するお茶室や
凛と
「ふぁーい」「はーい!」
式部家のお屋敷の
「一二五名のお客様とは、たしかに限界ですが、限界とは、不可能ではない、ということですわ」
にっこり笑ってうそぶく綾。
夜間の突貫工事――人脈と財力にモノを言わせ、有能な建築家と棟梁を集中させた人海戦術の成果で、茶室は、学院の設備四席と合わせ、都合十七席になっていた。
キィン、と、親指から弾かれた金貨が、真夏の空に舞い上がった。
くるくる踊って、落ちてくる。
エンプレス・タワーの根本、日時計の南側、丘の麓ののどかな牧場が見渡せる、噴水や長方形の池が配置された、石畳の広場。
夏雲のたつ、青い空から落ちて来た、金の光輝をパシッと手の甲に取り込んだのは、無口な庭師だった。
「表」
「裏」
エマ・ヘルフェリッヒと、式部綾が、それぞれに言う。
庭師が分厚い掌をどけると、日に焼けた手の甲の上の金の硬貨は――
「裏ですわ!!」
「負けたか」
エマが、息を吐いた。綾は意気揚々と言った。
「では、私達の陣営は、後攻を」
なにっと、エマが目を剥く。列席していた少女達三〇〇名余り、教職員の一部約五〇名、エスコート服の少年約三〇名、皆がざわめく。
「――よいのか?」
「なにがですの?」
綾は仮面のような微笑で、昔慕った姉の顔を見上げた。
「では、お姉様、明日の決戦を、楽しみにしておりますわ」
「健闘を祈る」
金髪を翻し、かたや黒髪を風になびかせて、二人の乙女は背を向けあい、東と西へ分かれて真っ直ぐに歩き出した。
真ん中に取り残される庭師。彼の後ろに立っていた源学院長の厳かな発表の声が、スピーカーから流れ始める。
『明日、正午、十二時より、賛成派勢による午餐の饗応を。夕刻六時、十八時より、反対派勢による晩餐の饗応を。その後、二二時に、一二五名の審査員による公正な投票を行い、その結果をもってして、源聖女館国際学院、共学化の是非を……』
綾は、袖で待っていたリリー達のところまで戻っていくのに、実は、崩れそうな膝を、懸命に堪えていた。
正面切って顔を見ると、まだどうしても恐慌してしまうらしい。自分を呪って、歯を食いしばる。
東苑ゲストハウス、三階のティースペースで、響也が頭を垂れていた。エマ側の全スタッフの前で、エスコート服全員を代表しての、不首尾の謝罪である。
「仕方がなかったことだ、狭間。各組長達も、不可抗力だったのだろう。広慈宮沙記の件に関しては、こちらに落ち度があるしな」
上座で肘をついているのは、エマ。響也は、このミーティングに遅刻している隊長の代理という立場に徹していた。
「お咎めなしですか、感謝します。――ときに、式部の綾姫様側のルール違反を、大会執行部の教職員組合に訴えなくてよろしいわけで?」
エマの左右に居並んだ賛成派首脳陣の少女達を代表して、ソフィーも、心配そうに眉根を寄せて言った。
「そうですわ。学院外から施設を移築してくるなんて」
しかしエマは、優雅に立ち上がり、横髪をかきあげて、室内の全スタッフを
「なんだ、そのようなこと。――ルールブックには、学校内の施設ならば自由に使ってよし、となっている。外へ審査員を連れ出すのでない以上、違反にはならないと思うが? ――我々も、リネンだの皿だの、結構な数の道具類を持ち込んでいるではないか」
「ですが、万が一、負けたら……」
「負けぬさ」
エマは、含みのある声で、皆をなだめた。
「建物で味が変わるか? こちらの料理に、自信を失うほどか?」
そのとき、パターン、と後ろの扉が開いて、明るい声が、
「いやあ、すいませんねぇエマ様、隊長のボクがしっかりしてないもんで、マクマーティやヘリングが、ついついエスカドのおねーさまがたにほだされてお喋りしまくっちゃって……っと、なんだ、キミも来てたの、響也」
飄々とした笑顔で入ってきて立ち止まったのは、小柄なエスコート服隊長だった。
「言ってくれる……」
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