第39話 綾のために大団円を想う

 響也は、額に手をやって嘆息して、ご令嬢達の手前、どうやって彼の脳天気さを庇ってやろうかと天井を見上げたが、エマが言った。

「よい、狭間。ちょうどのことだから、あの切れ者にも意見を聞こう。――伊能よ、手の内がバレたとて、あちらが入れ物で体裁趣向を凝らしたとて、東の宴席が、劣る結果になると思うか? いや、忌憚のないところを述べて構わん」

 雅はきょとんとした後、

「負けないでしょ」

 さらりと言った。続けて、意地の悪い目をエマに向けて、

「最後のグランドメイン審査員、エマ様ご存じなんだから」

「ええっ?!」

 少女達が、目を剥いた視線をエマに集中させた。

「ヘルフェリッヒ様、いつの間に?!」「本当ですのっ?!」

 エマは、瞠目して雅を見つめていた。

「……何故。いつの間に、気付いていた、伊能……?」

 伊能雅は、ウインクした。

「ボクもすっかり出し抜かれて、那智や笹村、ゴールト達のお尻叩きまくって、可哀相なことしちゃいましたよ。でも、昨日、料理をお味見させて頂いて、気がつきました。確か、これが大好きな著名人がいたな、って」

「……ほう」

「といっても、誰にも言ってませんから、ご安心下さい。――というわけで、おねーさまがた、心配しなくていいと思いますよ、僕は」

 満場の少女達を、見渡す。小柄な少年は、肩をすくめながら器用に腕を広げた。

「味方をも欺く周到さだもの、ここの女帝のお導きは、最強です。――信頼してついていって、間違いない」

 響也も、ソフィーも、アンネも、少女達も、絶句して、ただ見つめた。

 そんな雅と、黙って笑って彼を見やるエマとを、



 綾は、各茶席を順に廻って、亭主役に定めた仲間の少女達のお点前てまえ拝見を乞うていた。

 それぞれの茶室の持ち味を最大限に活かすために、なるべく茶室の持ち主のご令嬢を亭主にし、それぞれに厨房係を組みあわせる。マーガレット達にチームを編成し直してもらった。

 厨房係は、茶席と襖一枚隔てただけの水屋みずやと呼ぶ厨房で、それぞれに料理をしてもらうことになるから、大勢一緒にしてきたこれまでとは勝手が違う。が、皆、亭主役と話し合い、多少喧嘩しつつも張り切って仕事を始めていた。

「みんな楽しそうでよかったわ」

 通しての茶懐石はまさに四時間ほどの時間がかかるため、それぞれの亭主役の実力を見るだけにとどめて戻ってきた綾は、にこにこして言った。

 ただの中央事務室と化した西苑ゲストハウス・メインダイニングルーム。裏方のスタッフが詰めている。

「お客になる審査員たちの誰をどこの茶室にするか、客同士の組み合わせにも気を配って、考えなければなりませんわよね……。お席の広さもまちまちですし……」

「マーガレットにお茶の心得があってよかったわ」

「綾様、ボク、また、なんもすることないんスけど……」

「沙記がお寺のお嬢さんでよかったわ」

「よかったわ、って!! なんでもにこにこなさって『よかったわ』って、勢いで言ってませんか、綾様?」

 マーガレット達から少し離れて、頬杖をついていた沙記が、ガタンと立ち上がった。

「とんでもない!!」

 綾は、抱えてきていた和紙を、くるくると開いて見せて、言った。ちょっとおどけて、

「何かご染筆せんぴつを、信女しんにょ様?」

 沙記が、目を見開いて息を飲んだ。

「私の草庵は、成金の父が道楽で建てたものですから、恥ずかしながら、これという掛物かけものがございませんの。あ、西苑睡蓮クラス長様も、あの方真面目ですから、できれば明日という日に特別似合うような茶掛ちゃがけが欲しいとおっしゃってましたわ」

 沙記のエスカドロン・ヴォランの資格は、しょ。しかも、禅の心も多少は分かるという書道家だった。これほど適した人材はない。

「だって、女性の書なんて! ボク歌もめないし、真似も練習してないし、だって今からじゃ表具ひょうぐとかも……!!」

 しかし綾は、ただ、微笑して首を振った。

――あなたの書が、欲しいのよ。

「……分かりました。では……はばかりながら」

 沙記はまず、西苑高二睡蓮クラス長の茶室を見に行って、その場で、右から左へ、一行。

 そして綾の茶室用には、しばらく紙とすずりの前で只座たざしていたと思うと、カッと目を見開くや、ひと筆、えがいた。

「……これは?」

 文字でなく、ただ、力を込めて落とした後、すーっと三百六十度廻って戻った墨の軌跡に、綾が首を傾げた。

「さあ、なんでしょうね? 〝円相えんそう〟というそうです」

 沙記ははにかんで、答えず、笑った。綾への祈りと励ましを込めた眼差し、からっとした笑顔が、何かを伝えようとしていた。



 翌日、朝十時すぎから、聖女館東駅は、大した喧噪になった。

 十二時からの午餐に、待ち合わせの女子高生達、男子高校生達。

 学院東門のロータリーも、着飾った文化人、著名人の招待客の車で、ごったがえす。

 保護者会も、饗応の場への立ち入りはできないものの、学院内への参観は自由になっていたので、結果が出るのが夜だと分かっていても早く来校する父兄がいて、賑わいに一役買っていた。

 共学化賛成派、エマ・ヘルフェリッヒ陣営の東苑・ゲストハウスでは、待合室、控室の準備が滞りなく済み、厨房の熱気も高まっていた。

 メインダイニングルームの飾り付けで、朝四時まで働いていたソフィーとその取り巻きの少女達が、あとは任せました、と退場する。

 源学院長は、院長室で腕を組み合わせ、しかめづらで黙り込んでいた。

 時は刻々と迫る。



「……始まりましたわ!!」

 西苑ゲストハウス、書類や食器や着物道具の散らばるメインダイニングルームで、ヘッドセットをかぶったマーガレットが緊迫した声をあげた。

「あんたはん、盗聴器を!? どないにして?!」

 下ごしらえを一応終わり、綾の茶室の水屋からひきあげて休憩していた四人ほどの少女達の中から、リリーが目を剥いて振り向いた。マーガレットはしゃらっと、

「あら。わたくし、おととい、って申しませんでした?」

「私邸じゃ手を出せない――の裏に、私邸じゃなければ簡単やのに、いうセリフがあったとでも言いますのんか?!」

「ええ。――ちゃんと聞かれたの、初めてですわね?」

「そないな裏まで、誰が読めますかいな!!」

 ちょうど、上の客室を控え室にして、小袖こそでに着替えてきた綾は、戸口でそのやりとりを耳にして、

「まあまあ、リリー、それはそっちに置いといて。でかしたわ、マーガレット。――で?」

「お聞きになります?」

 マーガレットは、テーブルの上のアンテナを軽く調整してから、つないだ携帯アンプのスイッチを入れ、ボリュームを上げた。

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