第34話 バラ園の乱闘
アマリエというコペンハーゲン出身の娘が運転をかってでて、着替えを終えた綾達は、ヘルフェリッヒ邸の裏手にバンをつけた。
ゆるやかな坂の上。片側は別の邸宅の裏側で、忍び返しのついた白壁が続いている。回りにも、様々に立ち並ぶ豪邸。その庭木のてっぺんから、ホテルの高層客室、オフィスビルなどが飛び出して見える。
沙記の気持ちはとても嬉しかったが、待っているだけなのがもどかしかった。
できれば、リリーやパトリシア達を突入させないで済む方が、いいのだが……
手の中のiPodは、録音中を示す小さな赤い光点がずっと点灯している。
アンネに変装した沙記は、iPodを片手に持って、じっと、サロンの扉の前に張り付いていた。
エマとソフィー、書記の少女、厨房係も招待客の前に現れての意見聴取会も、そろそろ終わりらしい。エスコート服が解散を言い渡されている。
エマが、賛成派スタッフは、このままこの場で事後ミーティングを開始する、と告げていた。かたづけはよい、使用人にやらせる故、云々という声が聞こえる。
エスコート服達が出てきてしまう。
――アンネ嬢はどこだよー…… 参加しないの? 鉢合わせると、困るんだけどな~
焦った沙記は、ええい、ままよ、と、その場は録音に任せることにした。
素早くiPodを扉の上の桟に乗せ、ポケットから出したセロテープで固定。
――あとでうまく回収できりゃいいけど。
たたたっと、逃げるように、板張りに絨毯の廊下を駆け出した。
しばらく身を潜めておいて、解散されたエスコート服達が車寄せのポーチに出たところへ、ひょこっと、顔を出す。
料理に関して、見た目の情報は少なかったから、なんとかしなければと思っていた。
「あの、お姉様が、バラ園を見てもら……いえ、見て頂けと、おっしゃってますので、よろしかったら、こちらへ……」
アンネを真似て、おどおどと見えるように言ってみる。内心は、心臓がバクバクしている。
――ひえええええ、バレないでしょうねぇ!!
十組のエスコート服の組長達と、新隊長・雅、今朝間近で顔を合わせたばかりの副隊長・響也。全員の顔がほんの数メートル圏内にある。
響也は、内心、『夜にバラ園か?』といぶかしんだが、雅がニヤついた顔で、
「エマ様の申し出といって実の妹が案内するってのに、ムゲにするわけもいかないでしょ」
と、ウインクした。
少年達は、ぞろぞろと
「ん……?」
見下ろす裏庭。街灯の明かりの中でも、さすがに、実の姉だけに、分かった。
綾達は、裏庭に接する道路で、じりじりしながら待っていた。
と、沙記が、エスコート服十二名を連れて、翼を回って裏庭へ出てきた。
暗くした車内で、押し殺した声が、
「やったー…… すごいわ、沙記」
沙記も内心、手を打っていた。柵の向こうのバンが目に入ったのだ。
この際iPodの回収は諦めよう。咄嗟に決めた。
門の外までエスコート服を誘導して、送ると言ってバンに乗せれば……
が、次の瞬間、翼の一番手前の扉が、勢いよく開け放たれた。
夜目にも輝く金髪。エマの姿が仁王立ちに影を落とす。早足で来た様子。
「そのアンネは偽物だ!! その娘を……広慈宮沙記を、取り押さえよ!!」
「はいぃ?!」
少年達が、頓狂な声を上げた。
「取り押さえよ、ったって」
響也はハハッと力無く失笑した。捕らえろと命じられても、女の子に手をあげた経験のあるご令息など、そうそういない。
そのとき、綾達のメンバーは、リリーを先頭に、ドッと車からあふれ出した。
「うわっ、なんだ?!」
半ダース強の美少女軍団が、庭の裏門に突進するのを柵越しに見て、エスコート服が喚く。
中で、雅が信じられない行動をとり、響也は目を見開いた。
沙記にタタッと駆けつけた雅。後ろから体当たりに、彼女を地面に突きころがす。
「わぁっ!!」
沙記がドッと両手をついて、地面に倒れた。
「なんで出来るっ!!」
我知らず、雅に叫んでいる響也。
ワッと庭に、リリー、パトリシア、ベッツィー他、ゴーグルとマスクをつけた女生徒達が走り込んできた。
東西両苑の少女達は、本人達もキャアキャアいいながら、マスタードスプレーやテーザーを取り出す。
「うわあああっ、嘘だろっ!!」
現状認識を拒否する少年達。
「口ふさげっ!! ポール、ヒュー、レオン!!」
響也は仲間達のために叫び、結果、自身がマスタードスプレーを吹きつけられ、目と鼻に強烈な刺激を喰らった。
雅は迅速にその場を離れていた。素早く沙記を抱えてエマのところまで走っていって、渡した後、駆け戻ってくる。
「戻るなお前は!」
目も開けられず、顔面全体が痛むような中で、響也は叫んだが、そのあとはもう訳が分からなくなった。
視界をほとんど失い、ゴホッゴホッと泣きながら咳をする男子高校生達を、女生徒達は、慌てて引っ張っていく。
柔らかい細腕に両方から腕組みをされて誘導されて、少年達は、どこか冗談だろうとひきつり笑いをしつつ、喚いていた。
「うひーっ、なんだなんだなんなんだっ」「ハークションッ!! ハークションッ!!」
――ハックション!!
綾だけは、柵に手をかけて、道路から、凍り付いたように月下の庭を見つめていた。
息苦しく、震える。
綾は、怪我人が出る不安は、今でも感じていなかった。使っている小道具は、小さなトウガラシスプレーに無改造のテーザー――ありきたりに出回っている、痴漢撃退用品にすぎない。
綾の動揺は、単に、動かない自分の脚のせいだった。沙記がエマの足元でむせているというのに、綾は、ヘルフェリッヒ邸のバラ園には、脚がすくんで、入れない!
「沙記!!」
綾は、せいいっぱい、呼んでいた。
「綾様!?」
ゴーグルもハンカチもなく、ゴホッ、ゴホッとせき込み、涙を流す沙記。手の甲で顔をさかんにぬぐっている。
ハンカチを口にあてがって、彼女を押さえているエマ。視線が合った。
「沙記!! ――誰か、沙記を連れてきて!!」
「風がこちらへ流れるわ。アヤ、息をしないで。ゴーグルをつけて」
作戦参謀として残っていたマーガレットが、後ろからやってきた。
「マーガレット、沙記が……!!」
少年達も含めて、みんながどこか笑っているのが、綾には不思議だった。マーガレットの微笑すら、意地悪に思える。
「そんな悲壮な顔しないの。捕まえたところで、大した無体はなされませんわよ、あちらとしても」
「でもっ!! 誰か!! お願い、沙記をっ!!」
しかし、味方のリリー達は少年達を捕まえてくるので精一杯。エマ側陣営の厨房係の少女達が、手に手にフライパンやソースパン、のし棒を握って、駆けてきた。道に走り、綾側陣営の少女達の行く手を妨害しようとする。
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