第33話 沙記、敵地へ潜入する
「!!!!!」
誰もが小さく悲鳴をあげた。
何人かの少女が、箸をとりおとす。
「あ、ヤバ、食事中にすることじゃなかったかな」
「そうじゃなくって、沙記!!」
固まっている綾の目の前で、揺れて戻った沙記の髪は、アンネにそっくりのボブカット。内懐から懐紙を抜いて、切れた毛束を手早く包んでポンと置き、
「なんてことを…………!!」
と、ザワザワ動揺しはじめる少女達の間をさっさと窓まで歩いていって、
「あとは眉毛を心細げに描き変えて、と」
暗闇の窓を鏡がわりに、ちょいちょいと、そこらで作戦会議に使っていた色鉛筆の箱から取った〝焦茶〟で、眉をいじる。
「てわけで綾様、エマ様んちの外に、時間見計らってワゴン車でも用意しといて下さいね~~~っ」
振り向いて、茶目っ気のあるウインクを一つ。後ろ手で、庭に直接出られるガラスサッシの扉を大きく開け放った。身を翻す。たたたたーっと、芝生を駆け降っていく。
綾が、やっと動くようになった足で、窓辺へ走った。
「待って!! 一人でどうするつもりなの!!」
ドアのところで、叫ぶ。
「一人のほうが臨機応変に出来ます!! とりあえず潜入してみてから考えるっスよ!!」
沙記が答えたのは、バイクまで逃げるようにたどり着いて、エンジンをかけながらだった。庭の木立ごしに、あっという間に、彼女の跨ったバイクが、走り出す。
「……」
全員、あっけにとられていた。
「……あああ、沙記ちゃま~」「広慈宮さぁん……」
呆然となってから、綾はようよう、口を開いた。
「バックアップのメンバーを……。ベッツィー、パトリシア姉様、フランソワ姉様……身軽な服装に着替えて、ついてきて下さいますか? それから……」
昼の熱気が残っている薄闇の庭を見つめたままで、喘ぐように告げる。
「それから……ええと、沙記の言ったようにワゴン車の手配と、運転手を……いえ、使用人を巻き込むわけには参りませんわ、先輩方のどなたか、運転はできますでしょうか……?」
今は七月、高等部三年生の何割かは十八歳を超えているし、源聖女館には、海外とこちらを行き来する都合で、
東苑高等部三年生の一人が、静かにスッと手を挙げた。
ヘルフェリッヒ邸は、学院西苑ゲストハウスから車で七〇分ほど。バイクを駆って四〇分でその裏庭の門近くにつけて、沙記は、さて、とその
実の姉だし鋭いし、エマの目は、ごまかせないだろう。だが、エスコート服の男子高校生くらいは騙せる気でいた。地味なアンネは、顔の知名度が低い。
彼らが試食をしたあとを見計らって、アンネのふりをして接触しよう。エマの目には触れないように。
沙記は、夕闇にまぎれて軽々と高い柵をよじのぼり、越えて、邸内に侵入した。
――先に、館の平面図くらい、ざっと頭に叩き込んでおかなきゃあ。
「妹尾美耶との関係を調べましたが、第一、美耶姫という人物が非常に怪しく、身元が判然としませんでした」
試食会の途中、休憩の中座の間に、響也は一人、ヘルフェリッヒ家の執事に導かれて、別室へ通された。給仕の仕事を抜け、上がってきた私服姿のエマに、手短かに報告する。
「どこの誰だったのか、初等部にさかのぼって検索しても、そんな名の生徒は見つからなかったそうです。PTA名簿の〝妹尾〟に片っ端からあたってみましたが、成果はナシ。学院生の記憶の中にしか、残っていないようです」
「……まさか」
「今日の午後、反対派に来ている西苑生に頼み、姫の邸宅に連れていってもらいましたが、表札が、変わっていまして。邸宅はそのままだと証言は貰いましたが、ただし、その地所は、登記簿上は半世紀近く同一人物の所有のままで――ついでにこの人物のことも調べたわけですが、今のところ、全く美耶姫に結びついてきません」
「いなかったことになっている? 抹殺された、というのか? この現代で?」
エマは、眉をひそめた。
「まさか、死んでいるということはないでしょうが」
はは、と響也は苦笑をもらした。
「とにかく、お手上げ状態です。面目ありません」
「狭間……、それは、楽観的にすぎる見解ではないか?」
深刻げな顔に、響也は、意外そうに首を傾げた。
「そんなに心配するほどのことですか? では、学院ぐるみの組織的な陰謀だと? 学院長も関与の上で、一人の女子中学生をどうにかしたとでも?」
「うむ……いや、確かに考えられぬ、荒唐無稽といっていい道理だ。だが学院長という人物は……いや……うむ……」
エマは、何かを言いかけて、言いよどみ、黙りこんだ。
こんこん、とノックの音。
東洋系と中近東系の二人の少女が、ティーポットやホットウォータージャグ、カップ、プティフールの載ったワゴンを運んでいた。
「エマ様。ソフィー様が、そろそろお茶ですからお席に顔を見せて下さいと……」
「ああ、わかった」
二人の少女を見送り、響也を誰にも見つからないように慎重に先に行かせてから、エマも、邸内の試食会場――ダイニングルームへ、向かった。
広い庭と、茂った
よじのぼった木。
一部屋ごとに張り出したバルコニー。ある窓の、黄色い明かりの灯った矩形の中に、アンネ・ヘルフェリッヒの横顔が見えて、沙記は、ラッキー、と一人ごちた。
私服の彼女は初めて見る。沙記の普段着とは全く違う、小花柄のパフスリーブとピンタックが女の子っぽいブラウス、同系色のギャザースカート、頭にはリボンの形のヘアバンド。
折良く彼女が出ていって、その隙にクロゼットを開いて、沙記は唸った。
「うわっ……アマアマ……。ボクに着こなせるかな、コレ」
エプロンドレスを選んで身につけたが、
「なんか、できそこないの仮装〝不思議の国のアリス〟ってカンジなんだけど……ま、いっか」
鏡で、もう一度眉毛をたよりなく見えるようになでつけ、内気な表情を練習してから、沙記は、本格的に潜入を開始した。
ひょこっと顔を出す。廊下をきょろきょろと見回す。
すたすたすた……と何食わぬ顔をして歩いていって――ロングスカートが久しぶりで、足さばきに苦労したが――、見当をつけていた食堂の扉の前で、立ち止まる。聞き耳をたてる。
どうも、食後のコーヒー、紅茶が出たところのようだった。
――遅かったかなー。
ちょっとがっくりする沙記。が、話を聞いていると、続きの間へ退場したあと、翼の二階のサロンで、意見聴取会が行われるらしい。
おっけーおっけー、とつぶやく沙記。次の瞬間、中の人々の気配が動き出すのを察して、扉の前から飛び退いた。
小走りに走っていった、沙記がここかなと思った部屋には、ソファやチェアがくつろげる配置で並べられていた。明かりは目の高さのスタンドや足下のシェードからの、押さえのきいた暖色の光がメイン。思い思いに腰掛けさせて、アットホームな雰囲気で口を滑らかにしようというエマの配慮が窺えた。
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