神に愛された高校生
殺される度に移動するのは結構だが、頭を殴られた感覚が今もべったりと額にこびりついている。リンチされる感覚にも慣れていないのに、殺される感覚に慣れる訳が無い。痛くも無ければ暑くも無いが、確かに金属がここにあった感触がある。
―――今度は何だよ。
塔全体に入った罅が先程よりも深くなっている。本人に到着する前にこの塔が崩れる可能性も浮上してきた。前回、前々回と来てメアリの人格が傍にいたから今度は何を聞いてくるかと思ったが……誰も居ない。仕掛けすら見当たらない。真正面に伸びた通路が一本あるだけ。奥に階段は見えるが、左右に部屋や通路らしきものはない。
背後を振り返ると、また文字が書かれていた。
『キライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライ』
しかし今度書かれていた言葉は俺に対しての問いというよりは、目に見えて暴走している。字の美醜、質などに拘りはなく、文字通り書き殴られている。壁中に書き込まれているキライという言葉は、そのあまりの量にそれ自体の意味さえも塗り潰していた。書き込まれ過ぎた言葉は時々その認識を崩壊させる。逆に俺は尋ねてやりたい。お前にとって『キライ』はどういう意味なのか、と。
多分メアリは答えられない。きっと意味なんてどうでもいいのだろう。全く無意味且つ矛盾した質問を投げかけるくらい錯乱しているのだから。そういう意味では手遅れとも言える。籠の中に閉じこもっている癖に本来は自衛の為の刃を内側に向けているから。それで自分が傷つくだけと知っていたとしても。
前に進むしか選択肢は残されていない。俺はひび割れた床に一抹の不安を感じながら確かな歩みを進めていった。階段の手前から到達点を見上げると、随分と果てしない。まるで命様の神社みたいだ。
この階段にも罅が入っている。いつ崩れるか分かったものではないので慎重に上る。俺の死亡を以て階層が移動しているので、今が何階なのかサッパリ見当がつかない。この階段を上ったらまた珍妙な仕掛けが用意されているのかもしれない。それでも俺は上る。だってそれがアイツのもとへ向かう唯一の方法だから。
体感で一時間以上掛けてようやく部屋に辿り着いた。暫時は踊り場かと思ったが、続きの階段が無いのでここが終着点だ。しかしメアリの姿はそこにはない。代わりにあるのは部屋の中心から大きく広がった方陣と―――その中心で倒れ込む莢さんの姿だった。
「莢さんッ!」
慌てて駆け寄り、抱き起こす。意識は失っているものの体温は感じる。死んではいないらしいが何か硬いもので執拗に殴られた様で、至る所に青あざや打撲痕が存在している。極めつけには左腕が反対方向にへし折れており、俺は思わず目を覆ってしまった。
散々リンチされた立場から言うのも何だが、俺にはこの手の耐性があまりない。本来あるべき形が力任せに歪められているのは特に駄目だ。
「莢さん―――」
強引に叩き起こすのはあまり得策では無さそうだ。激痛に顔を歪める女性を見るのは趣味ではない。それにしてもこの陣はメアリと繋がっているらしいが、一体全体どういうものなのだろうか。てっきりあの陣とメアリの心が繋がっているのかと思ったが、ここにも陣があった場合は……どういう状態なのだろう。知識がないと発想出来なくて困る。
「…………………創太、様」
「―――あ、莢さん! 済みません、結局起こしちゃいましたか」
目に見えない怪我を負っている可能性はこれで失せた。声音は弱弱しく動きも頼りないが、ほんの少しだけ安心出来た。
「腕折れてますけど大丈夫ですか? 骨折って滅茶苦茶痛いですよね」
「…………感覚が、消えてます。私の腕は、折れているのですか?」
「自分で見た方が早いと思いますけど、俺からすれば間違いなく折れてます。一体何があったんですか?」
「……メアリ様は、苦しんでいらっしゃいます。これこそ望んだ道とご自分を騙して、助けられるのを拒絶して―――創太様、お願いいたします。メアリ様を助けて下さい。自ら孤独に向かって突き進む姿など―――見ていられないのです」
「……助ける、ですか」
「―――メアリ様のしてきた事は、到底許されない事と承知の上でお願いしています。メアリ様は、他人の頼り方が分からないのです。天畧様に完璧を強いられて、不完全を許されなくて……ただ、それだけなのです……! こちら側から手を差し伸べないと……お願いします! お願い……します! どのような償いでも……必要とあらば私が……!」
「いや、その必要は無いですよ」
身体を起こさんとした莢さんをゆっくり寝かせる。怪訝な顔をする彼女に、俺はきっぱりと言い放った。
「それじゃあ甘やかしてるのと同じです。俺はアイツに家族関係と人生を滅茶苦茶にされたんですよ。何でそれを莢さんが尻拭いしなきゃいけないんですか?」
「…………では、倒しますか?」
「アイツは倒されたがってる節がありますけど、倒しませんよ。それじゃあ思うつぼです。それに助けるって言ったって、俺とメアリは実質他人ですよ。俺はアイツを何も理解出来てなかった。そんな状態でさも友人の様に振舞われていたというだけ。アイツも別に俺の事を理解してた訳じゃない。でなきゃ道中で馬鹿げた事聞いてきませんから」
塔が再び揺れた。階段で止まっていた罅が遂に部屋を侵食。物理的強度を無視して広がる罅は前方の壁を破壊し、隠れていた階段を出現させた。安全の為にも莢さんを何処かへ運んでやりたいが、この塔を脱出できなければ何処に運んでも結末は一緒だ。
「……アイツにはきちんと償いをさせます。莢さんには申し訳ないですけど、俺とアイツの意地の張り合いはまだ終わってないんです」
「……そう、ですか」
莢さんはゆっくりと目を伏せ、残念そうに頷いた。片腕の使えない自分には止められないと悟ったのだろうか。メアリの従者でもあり俺の従者でもある彼女は、どちらかへの肩入れをしない。俺を見送った言葉が何よりもそれを表している。
「―――どうか、無事で」
この世には、神様に愛された人間が居る。それは紛れもない事実だ。そんな人間が世界を進歩させてきたのだ。
しかし周防メアリはおよそ完璧という言葉の似合わぬ少女だった。彼女は押し付けられた理想に文句一つ言わず、足掻き、苦しみ、悩み続けた。自分という存在を見て欲しいが為に努力し、それでも見てくれない親の手で強引に理想を叶えられても、最後までそれに抗い続けた。
メアリ信者は彼女にとって仲間ではなく、孤独を強める一因に過ぎなかった。憧憬は理解の対極にある感情だ。神の力で眼を曇らされた信者に罪は無いが、だとしても原因に変わりはない。世界中が信者―――『メアリ』となってしまった今、周防メアリは真の意味で孤独となりかけている。
信者の代わりに、俺には仲間が居た。命様、空花、つかささん、幸音さん、月喰さん。仲間が居るから俺はここまで戦い続ける事が出来た。それも事実だ。
しかしメアリには何も居なかった。自己矛盾と押し付けられた理想に苛まれ続けた彼女には、頼るべき存在が……否。完璧が何かを頼るなど許されない。その行為は不完全な存在が欠けた部分を補うためにする行為だ。知るとか知らないとかではなく、彼女にはそれが許されなかった。
なまじ努力をしていたが為に。
親の理想を追い求めてしまったが為に。
世界を完全に掌握する前、メアリが俺を頼ってきた事があった。何のために俺を頼ったのかあの時はよく分からなかったが、もしかすると―――いや。余計な推測はするべきではない。本人に聞けば全て済む事だ。確証はないが、この階段の先にメアリが居る気がする。この期に及んで俺を振り回したアイツが、苦しみながら俺を待っている。
立ち向かえるのは俺だけだ。
対峙出来るのは俺だけだ。
メアリを止められるのも俺だけだ。
幼稚園でアイツと出会った時から始まった、俺達の下らない意地の張り合いがもうすぐ終わりを迎える。
嫌いな奴をどうしても許せなかった俺と、
自我の侵食を許せなかったアイツ。
意地を張らなければ世界は平和だった。メアリでさえもそう。彼女が命様みたいになるのであれば、世界は真の平和を掴めただろう。だから俺はこれを下らないと言った。周囲を巻き込んで全ての状況を悪化させたのだ、この意地という奴は。
だからこそ、ケジメはきちんとつける。俺もアイツも、世界中に迷惑をかけたのだから。
「―――よう、メアリ。ようやく会えたな」
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