牢骨審火の試練



 …………ガチャ、ガチャ。


 鎖の軋む音に、俺は目を覚ました。


「……あ?」


 地割れに落ちた筈だが、五体満足で俺は生きている。代わりに両手を棒に括りつけられており、まともに動けない。見える限りの景色ではここは牢屋の一室だ。足元には薪が無数に敷き詰められていて、部屋の隅にはガソリンと思わしき液体が鎮座している。


『ハロー、創太。起きた?』


「ん? ……その声はメアリだな―――って事は一緒に縛られてるこの手首もお前か」


『大正解。どう、嬉しい?』


「嬉しくねえし、何でお前まで一緒に捕まってんだ。こんな火刑にされる直前みたいな状態でさ」


 因みに俺がフラットなのはこのメアリが周防メアリでないことを知っているからだ。本人は俺に対して君付けをする。してこない時点で先程のメアリ達と同じ、分裂した人格だ。かと言って対話しない訳にもいかない。結果的には次の部屋へ(上に行ってるかは分からない)いけているので、別人格との対話は本人と対峙する為にも大きな意味をもたらしている。


 先程の地震の影響下、壁や床、天井の至る所に細かい罅が入っている。あの現象は無かった事にはなっていないらしい。


「私も脱出したいんだけどさ。ここから出るには創太に答えてもらわないといけない事があるんだよねー」


「まだ聞きたい事があるのか―――まあいいや。何だよ」




『貴方はどうしたら私を嫌ってくれる?』




 質問の終了と同時に、部屋の隅にあったガソリンが不可解な力により転倒。それと同時に着火し、端の薪に火が点いた。今回は時間制限がある様だ。何故メアリまでが拘束されているのかは分からないが、火がこちらに届く前に答えられなければ漏れなく火あぶりに処されて俺は死ぬだろう。死ぬ事で次の部屋に行ける可能性は否定できないが、命をリスクにそれは試せない。


 間違っててもやり直せないのだから。


『ほら、早く答えて。既にもう熱いでしょッ。私は熱い!』


「好きと来て今度は嫌いか……ほんと、どうしようもない奴だなお前は」


『余計な事は言わなくていい! 早く答えないと二人共黒焦げだよッ!』


「だからどうしたってんだ! これが誘導尋問のつもりか? 質問してきたのはお前、答えるのは俺だ! 何故俺の発言までお前に誘導されなきゃならない! 俺の思いは俺だけの物だ、それを勝手に支配しようとするな! 人と会話するってのはそういう事だ、時には対立する、時には攻撃される。聞きたくもない言葉があるなら最初から何も聞くんじゃねえ! 世界はお前の思い通りには出来てねえんだよ!」


 声を大に叫べば酸素が消える。この部屋は随分広いが、部屋全体にまき散らされた薪は火刑の導火線として確実に機能する。火が行き渡る頃、俺達は火達磨になっているだろうし、そもそも煙で窒息死するだろう。


 しかしそのリスクを承知で俺は叫ぶ。メアリの求める答えに誘導されようとも、決して乗ってやらない。ここで命可愛さに乗ってしまえば俺はアイツに屈してしまった事になる。それだけは許されない。許されてはならない。


 命に比べれば、と多くの人間が思うだろう。この世に命以上に大切な物など無い。生きているだけ儲けもの。そういう考えは非常に多い。生きてさえいれば幸運が訪れる。必ず救われる。だから希望を捨てるな、そんな言葉が蔓延っているのがこの世界だ。間違ってるとは思わない。とても素晴らしい事だと思う。



 だが俺達の戦いは、元々意地の張り合いに等しかった。



 メアリ信者にリンチされたくなければ、迎合すれば良かったのだ。下らない嫌悪感や意地など捨てて、メアリ大好きマンになり果ててしまえば良かったのだ。そうすれば快適な生活が約束された。メアリは鬱陶しくなるかもしれないが、それだけで俺が味わってきた艱難辛苦の殆どは消滅した。


 しかしそうはならなかった。


 俺は苦難の道を選び、己を貫き通した。下らないと言われても、馬鹿だと言われても、不愉快と言われても構わない。俺は意地を張った。幾度となく折れそうになったが、そのたびに誰かが支えてくれた。そのお蔭でここまで来れた。だからもう、折れてはいけない。最後まで貫き通さなければそれこそ意地が無駄になる。


 何を恐れる事があろう。メアリ信者のリンチは命の危機を及ばせる程に酷い事もあった。それを何度も受けてきた俺がどうして死を恐れなければならない。


「俺がどうしたらお前を嫌うかって? 悪いけどな、それは一生叶わない! 俺はお前の事なんて大嫌いだけどなあ、お前の思い通りに嫌ってはやらねえよ!」


『答えになってないよ創太! 貴方はどうしたら私を嫌ってくれるか答えたらいいの、それ以外はなにも答えないで!』


「お前に支配される謂れはないって言ってんだろうが! 俺はな……お前が隠してたもの全部知ってんだよ。でもそれは俺が知ってちゃいけないもんだ。だから敢えて黙ってやってるんだッ。俺に言わせる気か? そんな事したらお前が余計に傷つくだけだ。なーにがどうしたら嫌ってくれるだ。人の感情がそんな割り切れたものだと思うか? 俺はお前が嫌いだ、ああそれは事実だよ! けどな―――お前を否定する気は無いんだよ、俺は。むしろ逆だ、理解したいんだよ。その上で嫌ってるんだ」


『創太!』


 火が勢いを増して近づいて来た。間髪入れず喋ろうとして煙を吸い込み、咳込んでしまう。息が苦しい。意識も少し遠のいて来た。メアリに全くその様子は見られないが、こんな状態になっては望み通りの答えも言えない。


 だからせめて、ぶちまける。


「ゴホッ……ゴッフッ! ……も、もういち、聞く! ゴホッゴホッゴブグッ! お前―――お前の―――本当の…………」




「もういい加減にしてよ!」




 今度は地震ではなく、怒号。それも紛れもない本人だろう。頭上から声が聞こえる。それと同時に真上から台風も斯くやと思われる強烈な烈風が吹き荒び、俺達を火達磨にせんと迫っていた火が瞬時に塗り潰され、かき消えた。換気性など皆無なこの部屋の何処から風が吹いているのかも謎だが、部屋に充満していた煙も流されて消えてしまった。



「何で答えてくれないの? どうして思い通りにしてくれないの? 私が聞きたいのはそんな言葉じゃない! 貴方だけ……貴方だけが私の思い通りになってくれない! なんで、どうして? 私に魅力がないから? 私が美しくないから? 女性として価値が無いから?  教えてよ創太君。ねえ教えてよ! どうすれば貴方は思い通りになってくれるのッ? 私の為に生きてくれないのッ?」



 二面三面と現れるメアリの心は、現在進行形で支離滅裂になっている。事態は最初から深刻だったが、早くどうにかしなければ完全に心が破綻してしまう。


「会話する気が無いならこっちだって何度でも叩きつけてやるよッ。俺はお前の支配何か受けない! 思い通りになんて死んでもなってやらねえよばああああああああああか!」



「お願い……私のお願い、聞いて。私が、私の思い通り……創太君が思い通りになってくれないと、私。私は貴方に見放されたくない! 貴方に忘れて欲しく……だから夢中にする為に…………あ、あれ? 私、何を言って―――」



『何も言ってないよ』


 背後のメアリが声を遮る。本人の邪魔をする理由はないだろうにと思ったのも束の間、拘束されている手からメアリの感触が離れた。間もなくメアリが俺の視界に入り込んでくるが、その両手に握られているのは金属バットだろうか。芯の部分にはどす黒い血がべっとりと付着しており、それで幾度となく何かを殴ってきた実績が窺える。


『私は何も言ってない。惑わされちゃいけないよ創太。私は倒すべき敵、貴方はその為に乗り込んできた。他の情なんて要らないの。分かる?』


 金属バットが肩で構えられる。矛先は勿論、俺しか居ない。


「……殴って、今度こそ消すつもりか?」


『創太が死に時ならそうかもね。でもそうじゃないなら―――いや、分からないけどね。とにかくこれ以上余計なおしゃべりは無し。最後にもう一度聞くから、心して答えてね』


「答えは変わらないぞ」



『貴方はどうしたら私を嫌ってくれる?』



「お前の為には、嫌わない」


 尚も対立を望む言葉と共に、俺の顔面は異常な膂力で以て力任せに叩き潰された。



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