キリトリさん―――檜木清華は何も言わない。フードの奥に表情を隠したまま佇んでいる。空花に顔を見られた事が全ての始まりであり……そこが終わりでもあった。もう兄貴オレにはどうしてやる事も出来ない。つかささんをどうにか出来たとしても、清華は既に清華ではない。どうしても血に染めて欲しくなかった手なのに。


「じゃあ創太君に男の人任せてもいい?」


「……半ば流れで協力したが、俺に戦闘経験なんてあると思うなよ。精々信者のリンチから逃れる時に暴れたくらいだ」


「そこは安心してもいいよ、私がサポートするから。それで……後ろのは貴方の妹なんだよね? だから私が抑えてあげる。創太君はそこの人……殺せとは言わないけど、無力化してよ」


「お前の力でどうにかならないのは一体全体どういう理屈だ?」


「さあ。でも外には大勢の人がいるし、どっちみちそこの人は逃げられない」


「アイツ等逃げてたぞ」


「だって私はあの人達の生きがいだもの。そんな私が撃たれたら発狂するに決まってるじゃん。まあ私が無事を表明すればいいだけなんだけどさ。争いの火種があっちゃいけないから」


 呑気に喋る暇はあるのだろう。何故か助けを乞うてきたが、メアリがつかささんに負ける道理はない。明らかに手加減をしている。仮に全力だったとしても、俺を助太刀させて何がしたいのかサッパリ分からない。



 それでも助太刀はする。つかささんを止める為にも。



 取り敢えず距離を詰めようとすると、メアリに使用したであろう拳銃を抜きざま、発砲。反応出来る訳もなく俺の胸に鉛玉がぶち込まれた―――のは単なる気のせいであった。実際には銃弾は逸れており、背後の壁に着弾している。


 威嚇射撃ではないだろう。照準は誰が見ても合っている。逸れたのは銃弾の方だ。果たしてこれがメアリの『サポート』という奴なのだろうか。


「……あれだけ彼女を嫌っていた君が、彼女の加護を受けて僕の前に立ちふさがるとはな」


「つかささんが帰ってくれるなら俺は今すぐにでも貴方の味方をしますよ。ああでも、ちゃんと説明はして下さいね。どうして清華が巻き込まれてるかって事」


「―――彼女の意思だ」


「あり得ない! 清華は人殺しを望む様な奴じゃない。仮に望んだとしたら、そこには何かが介在した筈だ」


 喋るつもりがないなら、いよいよ無力化するしかない。素人なりに見様見真似で拳を構えると、メアリが淡白な調子で『嬉しそうに』微笑んだ。


「創太君と肩を並べられるなんて、夢みたい」


「もう一度言っとくが、仲間になった訳じゃないからな。俺もお前を止めに来た。これが終わったらお前もきっちりぶん殴ってやる」


 それだけ念押しして、俺はつかささんに飛びかかった。相手の獲物は骨の刀と短剣(投擲用)と拳銃。対するこちらは全くの丸腰。これだけでも勝てる気配が全くしないが、メアリのサポートを信じるしかない。


「あ、貴方は参加禁止だよ」


 つかささんの間合いに入ると同時にメアリの姿は清華の前に移動。咄嗟の事に対応出来ぬつかささんを尻目に二人はステージの下へ飛び降りた。清華がメアリの胸元にナイフを突き立てていた気もするが、全く怯む様子が無い。


「おらあッ!」


「……!」


 メアリに気を取られ過ぎるあまり、つかささんは俺から完全に注意を外していた。渾身の一撃が頬にめり込み、その矮躯を吹っ飛ばす。


「アイツに気を取られてるからそうなるんですよ。アンタの相手は俺です。嫌なら尻尾まいて逃げれば良い。逆に手伝いますから」


「億単位の人間を殺すよりも、そこの『無欠の希望』を倒す方がまだ可能性がある。そうは思わないかい?」


 追撃を仕掛けんと肉迫すると、カウンター気味に骨の刀が突き出される。切っ先は喉元に向けられており、ギリギリで踏みとどまらなければ普通に突き刺さっていただろう。


 しかし甘かった。素人からすれば刃物を突き付けられて止まるのは当然の反応。彼が期待していたのは正しく止まる事だった。つかささんが地面をバネに接近。即座に刀が翻されると、喉を切り裂かれた―――



 ―――あれ?



 間違いなくそう考えていたのに、つかささんの動きがやけに遅い。走馬灯にしてはあまりに都合が良い瞬間ではないか。


 それともこれが、メアリのサポートという奴か。


「うおおおおおおおおおおおお!」


 刀を掻い潜って頭突きをかますとつかささんが大きく仰け反った。素人の俺が長期戦に望んでも勝機は薄くなるだろうから、勝負を賭けるならここしかない。全体重をかけて組み付き、ラッシュをかける。


 鳩尾に骨が突き立てられるも痛みは感じない。構わず殴り続ける。殴って、殴って、殴って、殴って。顎と喉の中間を指で突かれた時は呼吸が止まりそうになったが、構わず殴り続ける。彼の方も遂になりふり構わず俺の身体を突き刺し始めたが、最終的に勝利したのは俺だった。


 何十回と刺されたにも拘らず、体には一か所の傷も見当たらない。顔面をボコボコに殴られた事でつかささんは気を失っていた。命に別状はない……と思う。


 反撃が怖いので、念の為武器は遠ざけておく。メアリの方はまだ戦いが終わっていないのか、一向にステージの下から姿を現さない。



 彼に何か聞けるとしたら、この瞬間しかないだろう。



「……つかさ先生。つかさ先生。アンタに聞きたい事があるんです。どうせそんな大して効いてないんでしょ? だって全然痛がってないし」


「……………バレたか」


 虚ろだった瞳に光が灯る。反撃されるのは嫌だったが、もうそんな気は更々ないらしい。わざわざ頭の後ろで両手を組んだ事からも交戦の意識は途絶えたと分かる。無力化は成功した。これ以上の追撃は無用だ。


「アンタ、どうしてメアリの影響を受けてないんですか? 自分を呪ったとか?」


「…………は。僕がそんな非科学的な事をする訳が無いだろう……メアリはまだ交戦中か」


「清華が戦えるとはとても思いませんけどね。あいつが戻ってくる前に早く教えてください。もしかしたらそれで抗えるかも……」


 つかささんが頭を振った。


「……いいや。それは無理だ。特に医療の心得が無い君ではな」


「どういう事ですか?」


「……結論から言うと、僕は己の脳に術式を施した。一部機能を制限しているんだ」


「は?」


「理解出来ないのも無理はない。だけどこれはメアリという存在を知ってからずっと考えていた事なんだ。ずばり、信者の頭はどんな風になっているのか、とね。科学だけが全てじゃない。例えば地震一つとっても、宗教に属する人間からすれば神の怒りかもしれないし、預言者からすれば遥か先に起こる滅亡の兆しかもしれない。見る角度が違えばあらゆる事実の解釈が変わるものさ」


 要領を得ない。何処まで追いつめられてもつかささんは相変わらず迂遠な説明をしてくれる。


「つまり何が言いたいんですか?」


「どんな事象にも複数の解釈があると言いたいのさ。メアリの力は飽くまで理屈が科学的に説明不可能なだけで―――結果だけを見れば説明出来る。以前、言ったよね?」


 それはきっと集団自殺後の話だろうか。メアリに蘇生させられた俺は、何らかの者の手によって梧医院へと運ばれた。その時分かりにくい例えと共に似た話を聞かされた覚えがある。


 理屈は分からないが結果は分かる。


 もしかして同じ説明をされているのだろうか。


「周防メアリはね、対峙した人間の脳みそを改造してるんだ。そしてそこでセロトニンやドーパミンなどの俗に幸せホルモンと呼ばれる物質に酷似したホルモンを異常分泌させて、脳内を満たす。それが洗脳の正体だ」


「……まさか。キリトリさんの被害者が脳を切り取られてたのって」


「ご明察。分析の為のサンプルが欲しかったんだ。君の妹だけでは確信には至れなかったからね」


 全ての罪を白状する気満々のつかささんだが、その表情は常に陰鬱だ。脳の機能を制限した影響なのだろうか。普段の彼なら不敵に笑いそうなものだが。


「あれは体育祭でのことだった。君の妹が話しかけてきてね。君と仲直りしたかったんだそうだ―――」


 兄と仲直りするにはどうすれば良いかを尋ねられ、つかささんは『メアリをどうにかする事』以外にないと提案。清華は俺に内緒で協力を持ち掛け、彼はそれに頷いた。勝算を与えるなどと誘惑して、彼女を破滅に追いやった。


 つかささんの言う『協力者』とは妹の事だったのだ。


「死ぬ瞬間に、彼女には信者に戻ってもらったよ。そうでないと意味がないからね。その上で解体した。君が本当に見えるのなら、現実における肉体が無くなっても大した問題ではないと思ってね」


「―――筋は通ってますけど、でもなんかおかしい。先生は嘘を吐いてますね? 確かに俺の眼は視えます。だから普通の服装をされたらどっちがどっちかはさっぱりわかりません。でも清華は俺だけじゃない。他の人にも見えてるんですよッ。アンタにだって見えてるじゃないですか!」


「………………君の妹から聞いたよ。兄貴に視られた瞬間、体が温かい物に覆われた気がしたってね。もしかしなくても君、何か心当たりがあるんじゃないのか?」


 俺に視られた瞬間。その言葉の示すものは他ならぬ『鬼妖眼』の力。不可視の存在を定義し、神と同様の安定を与える力。月喰さんの婿に選ばれた証でもあり、俺がメアリの影響から逃れられる様になった原因でもある。


「……俺の目は、不安定な存在を定義して、安定させる力があるんです。でもそれが何だってんですか。存在が安定するだけで、不可視が可視になったりはしない!」




「…………僕にはそっち方面の話はさっぱりだが、仮定は話せる。君のその力……少なからず君が『それ』をどう思っているかに依存するんじゃないか?」




「要するに君の力は、不定形の存在すらその時見たままのイメージで固定してしまうんだろう? 君がその存在について何も知らなければ害はないかもしれないが―――例えば、もし君が生前の『それ』を良く知っていて、死後も『それ』が生きていると誤認していたらどうなる?」


「………………え?」


 その仮定は、命様達と触れ合っている間は絶対に生まれない仮定。そして単なる死人相手でも生まれない状況。想定されうる状況は只一つ。俺と親しい人間が俺の知らない間に死んだ時。メアリの仕業により俺は碌に友達も作れずここまで生きて来たので―――当て嵌まる人間は自然と限られてくる。今の所一番親しい人間と言えば空花と莢さんと幸音さんだが、三人とも出会う前から各々の人生を過ごしていた。


 となると想定される人物は清華のみだ。俺が―――生きていると思い込んだまま視る様な人間は(他の三人は生きているも何も最初は他人だった)。


「それ……は」


「何度も言うが僕はそちら方面にはさっぱりだ。だが今までの事実がその答えを物語っているんじゃないか? 僕は確かに檜木清華を安楽死させた。その彼女が何故か生きているなら答えは一つ―――君の妹は死んだまま生きている。『生きている清華』として死人を定義してしまったんだ」


 そう。


 つまりは。


 事の発端は。



 俺だ。



 俺がビーチで清華を発見しなければ。


 あの時清華と一緒に帰っていたら。


 俺が清華の事など全く気にもしていなかったら。


 彼女が殺人を犯す事はなかった。



『先生、ありがとね』



 清華の独り言が、俺の中で初めて意味を結んだ。あれは一度死に、そして肉体を得た事で俺を助けられる様になったのを感謝していたのだ。つかささんと清華が繋がっているのなら、そもそも彼女があそこに居た理由も何となく想像出来る。何せ彼は先程言ったばかりだ。どうせ見えるなら現実の肉体などあっても無くても問題ないと。


 大方、清華を殺す直前に、もし死んだ後も動けるならビーチに行けとでも言っていたのだろう。俺の力が嘘ならそれはそれで良し、真実なら彼は信者の脳を貰えて、清華は俺と再会できてウィンウィン……になる筈だったのかもしれない。『鬼妖眼』に抜け穴さえなければ。


 言葉を失い、どういう表情で向き合えばいいかも分からない内につかささんは容赦なく畳みかけてきた。


「君から妹の話が出た時は驚いたよ。でも君が帰った後実際に来てくれた。それで志願してきたんだ。『メアリさんを倒す為なら何でもするので、これからも協力してください』ってね。一度死んだ人間が生き返るなど甚だ非科学的で不愉快だが、不死身の駒程使いやすいものはない。それに生者の性質を持った死者なんて都合が良すぎてね。過激派共を襲わせたのも、その特性故に証拠が全く残らない事に気付いたからだ。見える透明人間は実に使いやすくて助かった」


「―――うちの妹を何だと思ってるんですか」


「良識じゃ未知には対抗出来ないんだよ、檜木君。何の意味も無かった訳じゃない。現に僕はメアリの支配に抗える様になった。君の妹も、脳を取られた信者も、全て必要な犠牲だ。世界を救う為のね」


「―――そんなものは、殺人の正当化ですよ。アンタはメアリじゃない。その気になったら幾らでも罪が生まれるッ」


「僕は殺してない。殺したのは君の妹だ。だが死人を罪には問えないし、刑も死人には無意味だ。勘違いしちゃいけない、生者の性質を持った死者は決して生者ではないんだ。飽くまで死者は死者であり―――」





「糞みたいな御託はもうたくさんなんだよ!」






 抵抗の意思はない。攻撃する必要性は全くないが、それでももう一発殴らずには居られなかった。


「死者だの生者だのどうでもいいんだよ! アンタが清華を利用した事実はこれっぽっちも消えないじゃねえか! 使いやすかった、じゃねえよ! 本人が許可したって、そんなの駄目だ。アンタは止めるべきだった! 一人の大人として! 常識人として!」


「犯罪者を勝手に常識人にしないでくれたまえ。僕は神様なんてものがこの世界で一番嫌いなんだ。まして実物まで出てこられたら……殺さずには居られないよ」


 反省の色など欠片も無い。この男は性根から犯罪者なのだと今更ながら思い知った。幸音さんが好いていたくらいだし、少しは人間味があると思っていたのだが。


 俺からの軽蔑の視線は、彼にとって何の意味も持たないのだろう。


「…………馬鹿に決着が遅いな。檜木君、様子を見に行けばいいさ。君は確実に後悔するだろうね」


「……何言ってるのかさっぱり分かりませんけど、言われなくても見に行きますよ」



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