どうにも彼女は可愛らしい



 梧医院を後にした俺は黄泉平山に向かっていた。命様と空花はメアリの行動を知らない。仮にも協力者ならば情報は共有せねば(空花は一人では神社まで辿り着けないので、基本的に入り浸っている)。


「あ、おにーさんッ」


 山の外から彼女の声が聞こえてくるとは思わず、少しだけ驚いてしまう。声の方を振り返ると、黒いパーカーに身を包んだ空花がパタパタと走り寄ってきた。いい加減な走り方に反してその動作は俊敏だった。服の丈の問題から下には何も履いてないように見えるが、如何に俺を揶揄いがちな空花と言えどもノーパンで町を歩く度胸は無いだろう。


「空花。山下りてたんだな」


「うん。私良い事思いついちゃったからさ、一旦下りたんだー。でも私一人じゃ神社に辿り着けないでしょ? だから待ってたの」


「へえ。良い事って?」


「私ずっと思ってたんだけど、神社の中って不思議な環境でしょ? 暑くもないし寒くもないし、でも水に入ると冷たくて気持ちいいの。あれを水浴びだけに使うのってもったいなくないッ? だから水着持って来たの!」


 空花は左手に提げていた袋を見せつけるように突き出した。


「もしビーチが人で一杯になっても、こっちに持って来ておけば泳げるよねー! 私って天才ッ!」


「天才か……? まあ他に使い道を見つけるのは凄いと思うけどな」


 特に尋ねはしなかったが、俺が山の方へ歩き出すと空花も手持無沙汰の腕を俺に絡ませてついてきた。周囲に人の視線は無く、恋人の振りをする意味は全くないのだが、それでも空花は俺から離れたがらない。恋人の虚偽を見せつけなければならないメアリは海外に行ってしまったので、これ以上接近されると俺も本気になってしまいそうだ。



 ……今はそんな事を気にしてる場合じゃないんだけどな。



 世界が掌握されかねないという時に色恋に現を抜かすのは馬鹿のする事だ。現実逃避はしたいけれど。


「泳ぐの好きなのか?」


「んー? 今までは付き合いだったり、碧姉の行方を探す為に来てただけだよ。でも今は……えへへ。おにーさんが一緒に来てくれるなら好きかもね!」


 神と妖の持つ魔性の色香とは訳が違えど、色気と純粋さを両立させている女性は空花くらいなものだ。彼女の屈託なき笑顔を見ていると心が安らぐ。メアリの張り付いた笑顔とは違う生きた表情だ。暫し空花と目が合った。俺達は互いに微笑んだまま、前方不注意も構わず歩き続ける。


「ねえおにーさん。もしメアリさんの一件が解決してもさ―――ずっと、一緒に居てくれない?」


「え?」


「変な意味じゃないよー? 私はおにーさんと命ちゃんの傍が心地良いから一緒に居たいだけ! 変かな?」


「いや―――そういう意味なら、全然変じゃねえよ。これからも宜しく―――」



「きゃッ!」



 木にぶつからない奇跡は長く続いたものの、流石に空気までは読んでくれなかった。地面から浮き出た根っこに空花の脚が引っかかったのだ。腰と臍の辺りを抱え込むように俺が受け止めなかったら怪我をしていただろう。彼女の生足に傷をつけさせるつもりはない。


「大丈夫か?」


「せ、せんきゅ……! 私もちょっと焦ったー」


「前はよく見て歩け」


「おにーさんが言わないでよ!」


 そりゃそうだと笑ってごまかす。実は転んだ本人以上に焦っていたせいでうっかりお尻を掴んでしまったのだが(慌てて腰に手を動かした)、本人は気付いて無さそうだ。そう言えばホテルで出会った時もパーカー姿だったか、あの時はミニスカートだったが、今回はホットパンツらしい。それもちょっとお尻が出てるタイプの……


 これ以上は考えない様にしよう。本人が気づかなかったのだからノーカンだ。俺は何も触らなかった。揉み心地とか知らない。


 ん? パーカー?


「なあ空花。もしかしてお前、上着の下って水着だったりするのか?」


 断じて下心は無く、純粋に疑問に思ったから聞いただけなのだが、空花は軽く頬を染めながら誘惑の伏し目で尋ねた。


「え、何? もしかして見たいの? おにーさん胸大好きだもんねー! ずっとエッチな目で見てるの知ってるんだからッ!」


「人を変態みたいに言うな! 俺がそんなスケベな訳無いだろっ? ああもういい! 駄目! お前、俺を弄るから駄目!」


「そんな必死にならなくてもいいのに、可愛いんだからッ」


 おかしい。人助けをしたのに変態のレッテルを貼られてしまった。俺は一体何処で選択を間違えたのだろうか。微妙に納得がいかず渋面を浮かべていたが、空花はすっかり元の調子を取り戻した……あんまり歓迎するべきではない気もする。つまりは弄られ続ける未来の確定でもあるのだから。たまには俺だって弄りたいのに。


 途中、空花の手が俺の指まで伸びた。されるがままに指を動かしていると、いつの間にか腕を絡めた状態での恋人繫ぎに変わっていた。くどいようだが今は恋人の演技をする意味はない。


「……ああ! そうだよ、お前のせいで危うく忘れるところだったじゃねえか! お前、ニュース見たか? 降りたなら見てるよな?」


「んにゃ。知らない。私もおにーさんのせいで忘れかけてた事を今思い出したけど」


「は? 何だ? 俺のは話すとしたら命様も一緒に居ないと二度手間だから後でいいぞ。知ってたなら話したが」


 少し歩いただけでも分かるが、メアリが海外に発ったニュースはありとあらゆる宣伝媒体を使って知らされている。何も知らずに戻って来るのは中々の偉業だ。あまり褒められた偉業ではないが。


「そう? じゃあ話すねー。えっと、私が信者になったのに命ちゃんの力が戻らなくて、奪われたかもーって話した事あるでしょ? あの時は遊んだけどもうすぐ夏休みも終わりじゃん? 私、夏休み終わったら帰らないといけないんだ―。で、私の家に書庫があるんだけどさ。もしかしたらそこに命ちゃんの力を戻す方法があるかもしれないんだよ」


「ほう。それで?」




「…………二週間くらい命ちゃん連れてってもいい?」




 死刑宣告にも等しいそのお願いに、我が目と耳を疑った。


「は!? え、いや……え? なんで連れて行かなきゃいけんのです?」


「自分の力の事は命ちゃんが一番詳しいでしょ? 一緒に探してもらおうかなって」


「二週間も要るか!?」


「私の家の書庫って本当に広いんだからそれくらい掛かるんだよ~。命ちゃんの許可は取ってあるから、後はおにーさんだけなの! ね、ね? お願い! 後で幾らでもお礼するから!」


「命様の居ない二週間はどう乗り切ればいいんだよ!」


「…………気合いッ!」


 ここに来て根性論にも似たペラペラな解決法を提示され、俺は呆れ果てるしかなかった。頷く訳が無い。空花も帰って命様も居なくなって、俺はどうすれば良いのだ。茜さんと四六時中一緒に居ろと? 茜さんと俺だけでどうやってメアリの打倒策を模索すれば良い。莢さんを足したとしても何の代わりにもならないのがまた痛い。


「なんで命様も許可出してんだよ! お前それ嘘じゃないよな? 嘘だったらお前マジで許さないぞ!」


「水鏡家の者に会いに行きたいって言ってたし、本当だよッ。絶対手掛かり見つけてくるって約束するから! ね!?」


 水鏡家。その家が命様にとってどんな意味を持つのかを俺は詳しく知らない。しかしその言い分なら確かに命様は快諾しそうだ。後は俺だけ……か。


「――――――ああ、もう分かったよ。好きにしろよ」


「やた~♪」




 檜木創太は押しに弱い。 


















「スキ」


 キライ。


「スキ」


 キライ。


「キライ」


 スキ。


「スキ」


 キライ。


「キライ」


 キライ。


「キライ」


 キライ。


 ペゴニアの花弁が全て千切れた。花占いの結果は『キライ』。


「いかがなさいましたか、メアリ様」


「何でもないよ! 所でもっと花無いかな!」


「花とは? 具体的に申し上げていただかないと手配しかねます。それにここは飛行機内ですから、どんなに早く渡せても現地でのお渡しとなりますが」




「アカシアが欲しいかな!」

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