全能光輝
立ち直った今は分かる。俺はメアリに支配された町を見て完全に心を折られていた。俺とメアリのどちらが正しいかなど、客観的正義について考えてしまった時点でそれは明らかだ。俺の行動に正義なんてものはない。強いて言えばそれは視える者の最後の矜持であり、そこに客観的正義など求めても賛同は得られまい。相手がメアリでなくても結果は同じだ。個人の正義に善悪は無い。それを俺は、ずっと前から分かっていたのに何故か後退した。否、心が弱っていたから後退した。
人は前に進むばかりではない。時には後ろに戻る事もある。一度通り過ぎた場所であっても、足跡は残っている。俺達は心の持ち方一つでいつでも戻れるのだ。己の足が踏みしめた場所、その全てに。
「茜さん、美しかったなあ……」
戻るとは何も後ろに下がるばかりではない。茜さんと出会った事で俺の心はかつて歩んだ轍を進み始めた。彼女とはもっと一緒に居たかったが、取り敢えず街を見て回りたい(打倒メアリの為にも現状把握は必要な行動だ)。そこに彼女が居ると俺はきっと甘えてしまうから、別れた。
己の頬を撫でながら、記憶に新しい感覚を想起する。茜さんからのキスは、冷たくて気持ちいい。未だにひんやりとした感触が残っている。こういう事をしてくるから俺は彼女を異性として意識してしまうし、ずっと一緒に居たいと願ってしまうのだ。彼女からの悪戯を期待する自分が心の何処かに必ず居る。その場では言い返しても、彼女に弄られると不思議と生きている実感が湧いてくる。
勿論、怪異に欲情するのも生者でもない存在をきっかけに生の実感を得るのもおかしい事だ。気が狂っているとしか言えない。だが、俺の気が狂っていない日があっただろうか。少し視点をずらせばそこら中に幽霊が居る。山を登れば神が居て、街を歩けば怪異に出くわす。
只一人、全てを統一的に認識出来る存在を、誰が狂っていないと保障出来るのだ。
俺は狂っている。
だからメアリに抗える。正常な人間として。
「しかし、また馬鹿みてえな世界になったなあ」
メアリが市長に当選した話。俺に言わせればかなり腑に落ちていない。市長にはなれるだろう。なろうと思えばなれる。だが知っての通りアイツには欲が無い。野心がない。宝くじを「当たってばかりじゃつまらない」という理由でやらないような奴だ。
言うまでも無いとは思うが、フグは自分の毒で死んだりしない。メアリだってそうだ。自分の力に影響を受けたりはしない。だからこそおかしい。この町において彼女は数少ない自由意志の保持者だ。反メアリ派を鎮圧したとかしてないとかはこの際どちらでも構わない。
問題は、何故市長になろうと思ったか。
野心が生まれたとして、その理由は?
何が目的で市長になった? 単純に偉くなりたければ総理官邸にでも突撃して入れ替われば良いだけだ。そしたらこの国で一番偉くなれる。先程は心が病みすぎていた故に考えが及ばなかったが、今までの彼女とはまるで行動方針が違う様に思う。
打倒メアリを掲げるならば、俺は必然的にこの違和感について調べなければならない。それが絢乃さんの為にもなるだろう。付き合いが短くても、彼女は俺と同類だった。メアリによって作り替えられた世界に置き去りにされた、憐れな旧人類。
彼女が死んだ理不尽を、俺は今でも許しちゃいない。こんな事にさえならなければきっと友達になれただろう。二重人格者と視える男。変わり者同士、仲良く出来そうだったないか。その未来を潰したあの女を、俺は絶対に許さない。
という訳で、電話する。気は進まないが、本人の動きを探れば何か分かるかもしれない。
プルルルル…………
プルルルル…………
『はいはい! 創太から電話かけてくるなんて珍しいね!』
市長メアリは個人的な電話にも気軽に応答してくれた。僅か一日で市長になった者とは思えないくらい軽い。一瞬だけ、市長になったのは嘘なのかとさえ思った。
その幻想を砕いてくれたのは街中に広がるメアリの顔、名言、声。感謝してもし足りないが、目と耳が腐りそうだ。
『市長になったんだってな?』
『あ、もうバレちゃった? えへへ、そうなんだ! 何? もしかしてお祝いでもしてくれるの?』
『んな訳ねえだろぶち殺すぞお前。単純に聞いてみただけだ。あんまりにも馬鹿馬鹿しくて信じる気にもなれねえよ』
『でも本当だよ。人助けをしただけなのにこんな事になっちゃうなんて、運命って分からないね!』
『白々しいんだよなお前が言うと』
前言撤回。腹が立ち過ぎて本人の動きを探る気が起きない。罵倒の一つでも残して電話を切ってやろうかとも思ったが、ふと沈黙した際に、何やら向こうの電話口が騒がしい事に気が付いた。
『……お前、何してんだ?』
『パーティだけど? 就任祝いって言うのかな。街のみんなが厚意で開いてくれてね! 創太も参加しない?』
『それは厚意じゃないし、俺は参加しない。そもそもそういうパーティ用の衣装なんか用意してないしな』
『遠慮しないで! 今から迎えをあげるから、見に来てよ! パーティは延長するから!』
『要らねえっつってんだろ! そもそも俺が何処に居るか分からねえくせに適当な事ほざくんじゃねえよ!』
『分かるよー。私、創太の事なら何でも知ってるから。でも無理に来させるのは良くないから…………そうだ! じゃあ来てくれたら、プレゼントあげるよ!』
『生憎今日は特別な日でも何でもないんだ。どんなに高価なものを貰っても丁重にお返ししてやるよ。人に借りを作っちゃいけないって教育されてるもんでな!』
俺の意思を尊重してくれたのは実に幸運だ。こう言ってやれば、彼女は何も言い返せなくなる。おれを来させたいなら端から尊重しなければ良かったものを、ツメの甘い奴だ。一日程度ビーチで一緒に過ごしたからと言って絆されてたまるか。こちらは大切なもの……檜木創太が本来歩む筈であった人生そのものを奪われているのだから。
頑なに拒まんとする俺をあざ笑う様に、メアリは陽気な声音のまま呟いた。
『パーティに来てくれたら、私の秘密を一つだけ教えてあげる!』
思考が絶対零度の誘惑に停止。怒りのままに上昇した血の気は引き、瞬きさえ許されない硬直状態が俺の身体を襲った。この状況、この流れとは一切関係のないピンポイントな報酬。俺が彼女を打倒せんと狙っている事を知らなければ、まず出ない発言だ。
『…………お前、何処まで知ってるんだ』
『創太の事は何でも知ってるよ。幼馴染じゃない、私達』
違う。
お前は幼馴染じゃない。
人間ですらない。
『パーティ会場は学校だよ。早く来てねッ』
向こう側から通話が切られる。携帯を握りしめる手が耳から離れると、否応なしに垂れ下がり携帯が落ちてしまった。拾おうとして、また落とす。力が入らない。手が震えている。
「……冗談じゃねえよ」
アイツの目の届かない所で動いていたつもりが、掌の上で踊っていたにすぎないだと?
じゃあ何でアイツは、妨害をしてこないんだよ。
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