兄妹喧嘩の行方 1

 突破口は放課後になっても思いつかなかった。やっぱり無理かもしれない。土台無理な話なのだ。俺の事を嫌いな奴を好きにさせるなんて。


「思いつかねえよ~」


 絶対に正しいメアリはこういう時に当てにならない。何故なら彼女を頼った時点で俺達の目的は失敗しているから。完璧に頼れない事がこんなにもどかしいとは思わなかった。それは何の変哲もない、メアリが生まれるまで我々人類が当たり前の様にこなしてきた事だというのに。『完璧』があるだけでこうも人は堕落してしまうのか。


 …………まあ、便利な物があれば使いたい気持ちは分かる。俺でさえこんな時は頼りたいくらいだ。しかしそれは爆弾処理に何故かその爆弾を使う様なもので、全くの意味不明。問題解決の役割を一ミリも果たせないから使えない。


 やはり不謹慎で最低だが、どうにか事故に遭ってくれるのを―――それも俺が目撃出来て、助けられて、リスクも最小限な感じの事故…………そんなものがある訳ない。突然だから事故なのだ。示し合わされた交通事故など存在するだろうか。もしかしたら存在するかもしれないが、そんなものは極少数だ。可能性として言及するに値しないくらいの少数だ。大多数は突然で、お互いにその気も無く、些細な怠りが原因だ。それは不注意であったり、眠気であったり、はたまたイラつきであったり。そういう普段の綻びが事故を生んでいるのだ。


「…………今日の所は帰ろうかな」


 焦る必要はない。タイムリミットが存在する訳ではないのだ。これでもし三日以内にしなければいけないなどの期限があるなら俺は早々に諦めたが、そうじゃない。こちらには時間がたくさんある。絢乃の方にもたくさん時間がある。


「よし、帰ろう!」


 人間、時には決断を思い切りしなければいけない。ぐたぐだと考えていても名案が浮かばないのなら、その日はきっと何も浮かばないのだ。ならいっその事考えるのやめて帰るのも手ではある。これは決して考えるのが面倒になった訳ではない。只、いつまでも頭を悩ませていても仕方がないというだけの話だ。


 完璧ではない人物なら誰しも一度はあるのではないだろうか。テストで予習をばっちり済ませ、範囲もしっかり勉強した。実際のテストもすらすら解ける。しかし何故か一問だけ確信が持てない。やり方は正しい筈だが、どうしても脳が違うと告げている気がする。だが間違っていない気もする。いつまでも悩んでいる内にテストの終わりは刻一刻と迫り、最終的な決断を迫られる事になってしまう。


 仮にそこを後回しにして他の問題を解いたとしても、残り時間がある内はその問題と向き合わなければならず、また向き合ったとしても、答えが出る訳ではない。稀に答えが出る事もあるが、本当に稀で、多くの場合思考がドツボに嵌り、どちらがどちらだか分からなくなる。そして悩んだ末どちらかを書いたら、逆の方が正解だったりするのだ。


 俺が思考放棄したのはこれと全く同じ。考えても思考がドツボに嵌るだけなら、最初から考えない方が良い。その方がリフレッシュも出来て、改めて考えた時に答えが出るかもしれない。そう心の中で理由付け、俺は瞬く間に帰宅の準備を始めた。この学級に帰宅部は俺しか居ない。メアリすらも、部活動に勤しむべく、教室を後にする。俺の帰宅を邪魔する者は居ないのだ。


 廊下に出て、何気なく窓を見遣ると、屋上の方に珍しく人だかりが出来ていた。あんな所、メアリが居る訳でもないなら人だかりなど出来ない筈だが…………少しだけ疑問に思ったが、合流した所でリンチを喰らうのは目に見えている。大人しく帰宅しよう。


 屋上に人が固まっているお蔭で、誰からも睨まれずに済んだ。昇降口までスムーズに行けたのも久しぶりだ。一人くらい突っかかってくるかと思ったが、すれ違った何人かも俺の事など気にも留めず、一直線に屋上へ向かっている。本当に何があったのだろう。


「……気にしない気にしない」


 この学校に首狩り族は居ないが、迂闊に首を突っ込めば斬って落とされる危険性がある。俺にすら興味を無くすくらいだからよっぽどの事があるのだろうが、気にしたら負けだ。靴を履き替え、校門を出ようとすると、




「あ、兄貴…………!」




 清華が立っていた。何を基準にしているかはともかく、それなりに可愛らしい顔立ちだった筈だが、目の隈が絶望的に女性としての魅力を落としている。俺が居ないのだから、安眠は間違いないだろうに。


「…………俺に妹は居ない」


「兄貴、昨晩何処に居たの?」


「家族でもない奴に教える義理は無い。帰れ」


「―――ご、ごめん! あの時言った事が気に障ったなら謝るから…………家に、帰ってきてよ」


「時々帰ってるだろ」


「時々じゃダメ! いつも帰ってきてよ!」


「俺が居ない方が清々するんだから、別にいいだろ。どうして否定するんだ」


「だ、だってメアリさんが、兄弟は仲良くしてたら嬉しいって―――!」



「もういい。お前。お前は喋るな。メアリの名前をもう一度口にしてみろ、今度は二度と口も聞かないぞ」



 清華は本質を分かっていない。形だけの謝罪でどうして俺が許すと思っているのか。俺が欲しいのは、そんなものではないのに。


「…………私、兄貴と仲直りしたくて、絶対に仲直り出来る方法まで聞いてきたんだよ! でも怖くて……仲直りは出来るけど、でも―――!」


「出来ない。俺は金輪際メアリを赦すつもりはないし、お前達と仲直りする気もない。どんなくだらない事を聞いたんだか知らないが、本当に俺の為を想うならもう構わないでくれ。お前を見てると…………心が痛む」


 まがりなりにも家族。腐っても家族だ。嫌いこそすれ、憎む事は出来ない。元凶はメアリなのだから。そして清華は、俺が特に懇意にしていた家族でもある。そんな奴に涙で声を濡らしながら呼びかけられたら―――応じるつもりは無くても、心に針が刺さる。


 清華の事など無視してそのまま帰路に着くと、背中から悲しそうな叫び声が聞こえた。


「兄貴! 戻ってきてよ! 謝るから…………ごめん………………ごめんなさいするから……! ねえ、お願いだから、戻ってきてよ!」


 もう応えない。清華の声など俺には聞こえない。妹の涙を拭くのは兄貴の役目かもしれないが、兄貴をやめた俺には、もう聞く資格も、応える資格もない。これも全ては、皆の為なのだ。俺と、俺を嫌いな家族の為なのだ。



 …………それにしても、メアリの野郎、何を吹き込みやがったんだ。



 絶対に仲直り出来る方法だなんて、誇張表現も良い所だ。俺の頑固さは知っているだろうに、どうやって仲直りさせるつもりなのだろう。いや、清華が本質を理解出来ていれば、俺も仲直りは考えようかなと―――お人好しだと自覚した上で―――思っていた。しかし駄目だ。根本的に罪を履き違えている。それはメアリの支配を抜け切れていない証拠だ。罪悪感や家族の血脈すら、彼女への好意には敵わないのだ。



「兄貴―――ごめん」



 反応する間もなく、俺は意識を失った。






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