曰く、女神は命を愛している

「……創太。起きよ」


「………………………命様ですか?」


 熟睡出来たとはいえ、直ぐに目が覚めてしまうのはいつもいつも何かしらの方法で睡眠を妨害されている者の悲しき性だ。只、声を掛けられただけでも起きるとは自分でも思わなかったが、寝坊しなかっただけ良しとしようか。


「何じゃ、もう起き寄ってからに。妾はもう少しお主の寝顔を見たかったのじゃが」


「…………何時ですか?」


「卯の初刻を丁度過ぎた所じゃ」


「……は? え~と。子、丑、寅、卯…………ありゃ、随分早く起きてしまったようですね」


 正確な時間帯は分からないが、さしづめ四時から五時頃だろう。学校なんて開いてる訳が無いし、この山からの距離を考えても早すぎる。本当に、早く起きてしまった。少なくとも命様の身体が俺の良く知る大きさに、服装も巫女服に戻っているという事で夜は明けている。そもそも眠気があるのか分からないが、俺以上に命様の目はぱっちりと開いていた。


「…………何かしました?」


「ん、何故じゃ?」


「いや、凄く元気そうなので、俺の眠っている間に何かしても不思議はないかなあ……と」


「失礼な! お主には妾がその様に無粋な事をする輩に見えるのかッ? だとするならばそれは誤りじゃ! ―――まあ接吻程度ならば考えぬでもないが」


「それは躊躇してくださいよ! だ、大体命様。接吻なんてした事あるんですか?」


「ある訳なかろう。それともお主で済ませてしまうか?」


「え――――――!」


「……ククク! 冗談じゃよ、冗談。初心なお主にそのような事をするつもりはない」


 ないのか…………


 水浴びの時もそうだが、凄く残念でならない。一方で命様の言いたい事も理解出来るので、食い下がるつもりもない。


「それはさておき、お主はいつ頃ここを発つのじゃ」


「え? ああ……そうですね。今すぐって訳じゃないので、まだ居ますよ。それに朝食もまだ食べて……あ」


 昨日は浮かれていたせいで忘れていたが、朝食の事を全く考えていなかった。家族から逃げたかったからなのか、命様に頼まれたからなのか、それとも内心、一夜を共にする事実に興奮していたからなのかは分からないが、とにかく俺は阿呆だ。これからも登校し続けるつもりなら、朝食の事は考えておくべきだった。


「どうかしたか?」


「あ、いえ。その、朝食を用意し忘れまして……でも今更ですね。朝食を抜かすなんて今に始まった事じゃありませんし」


 俺的には毎日食べたい所だが、メアリ好きな家族がそうはさせない。無論この状況を只々受け入れていた訳ではなく、一人で料理を作り、それで何とかしようと考えた事はある。しかしメアリ信者な家族が頑としてキッチンを譲らない為、今までに至るまで俺は一度たりともキッチンに触れる事は許されなかった。なので不本意ながら料理は出来ない。アイツ等は俺が嫌いな癖に、自立を促そうともしないのだ。


「何じゃ、朝餉を欲しているのか、お主は」


「まあ、あればそれに越した事は無いですよね。まあでも……残った和菓子でも食べればいいですかね」


「ならん」


「え?」


「良いか創太。菓子というものはじゃな、昼や夜に食べるからこそ美味いのじゃ。朝に食べるものではない。妾とて余程の飢餓状態でなければそんな選択はせぬぞ」


「俺だって選びたくないですよ。でも準備を怠ったものは仕方ないでしょ」


「コンビニとやらで妾への捧げものを用意したのじゃろう? そちらで何とかならんのか?」



 ………………ああー。



 買い食いという発想がどうして浮かばなかったのだろう。意識ははっきりしていたつもりだったが、どうやら寝起きだったらしい。思いつかなかった俺が行っても説得力は皆無だが、買い食いなんて名案と呼べる様な発想じゃないのに、何故思い浮かばなかったのだろう。


 しかも俺と同じ現世の住人ならともかく、命様が発想出来ているのがどうにも納得いかない。


「……命様。物は相談なんですけど」


「何じゃ?」


「その発想、俺がしたって事になりませんかね?」


「……それを許したとして、お主に何の得があるんじゃ?」


「何となく得した気分になります」


「阿呆かお主は。もしや寝ぼけておるのか?」


「凄く情けない気持ちになったんです…………俗世は俺の方が詳しい筈なのに、どうして思いつかなかったんだろうなあって」


「それはお主、相手が悪いに決まっておろう。妾は神じゃぞ? 人が神に勝つなど百年早いわ! ……割と真面目に悔しがっておるな。妾とて反応に困るから、一先ず落ち着け。問題が解決するなら良いではないか」


 下らない会話だと自分でも思う。中身なんて無い、話の発端がそもそも下らない。でもこれでいい。こういうのが雑談だ。他愛もない事を話せる関係こそ、俺が求めていた愛情の一つだ。残念ながら本来それを与えてくれる筈の存在は……俺と雑談はしたくないとの事。


 少し話は変わるが、メアリ嫌いを意地でも貫かんとする俺は、ある時『馬鹿じゃねえの』という言葉を受けた。俺に向けられる罵詈雑言にしては随分理性的で―――というのも孤独に悩んだ俺が、己の正しさを証明するべくネットで相談をした時にコメントで言われたのだ。理性的なのは、コメント主がメアリの影響下に無い証拠である(メアリの名前を隠した上で相談しているので、影響はしない) 



『それは只の逆張りで、お前の行動はおかしいのではなく恥ずかしい。もう中学生なんだからガキみたいな事すんのやめて受け入れれば良いじゃん。馬鹿なの? そんなんで孤独がどうとか単純に痛いから一回死んだ方が良いよお前』



 メアリの影響を受けていない……真の意味で赤の他人とも言える視点から見れば、俺の意地は恥ずかしいものらしい。特筆したのは一つだが、掲示板そのものに相談を置いているので、この他にもいくつかコメントを貰っている。その殆どが前述したコメントとほぼ同じだったので、紹介はしない。これだけで十分だ。 


 それが総意だとは言わないが、俺は馬鹿なのだろうか。


 反発がガキみたいな事なら、大人になるとは『メアリを受け入れる』事なのだろうか。


 それについて論じるつもりはない。嫌われる事もあれば好かれる事もある。人間とはそういうものだ。だからこそ、俺以外に……あらゆるルールを押し退けて好かれるメアリが気持ち悪いという話で。


 そんな彼女を受け入れる事が大人になるというステップなら、俺は一生子供のままでいい。


 馬鹿で、恥ずかしくて、痛い奴でいい。俺はメアリが完璧である限り、アイツを嫌い続ける。アイツを受け入れる事で、しがらみが全て解決するとしても。正論が正しかった事なんて一度も無い。正論は正しいから反発されるのだ。


 失敗続きでも良い。俺は俺の人生を歩みたい。俺自身の能力が優秀か否か、良い子か否か、そういうステータスを決めるのは他人かもしれないが、自分の人生が良かったか良くないかを決められるのは自分だけだ。俺はそこで後悔したくない。自分の意思を捨て、正しいものに巻かれて生きてそんな人生が楽しいなんてとても思えない。だから俺はこのクソみたいなプライドを、誰に何を言われても抱えている。


 だから命様と出会えた。正しさだけで紡がれた縁では、きっと辿り着けなかった奇跡に恵まれたのだ。


「…………命様。少し話しませんか?」


「ん、話とな?」


「はい。俺の話のネタはもうないんですけど。命様にはあるじゃないですか。例えば……俺が来る前、つまり命様が孤独になる以前にここを訪れた人の話とか」


「おお、そういう事か。妾は構わぬが、お主は楽しいのか?」


「それは命様次第ですね!」


「それもそうじゃな。よしッ、では語り聞かせてやろう。泣かぬ赤子を抱えた母の話などどうじゃ?」


「お、なんかそれっぽいですね。お願いします!」


「あれはいつ頃の話だったか―――」









 









 時間はあっと言う間に過ぎ去り、山を下りる頃には時刻は七時四〇分。一度も信号に捕まる事なくノンストップで走れば間に合うが、そんな幸運はそうそう訪れない。もう二つ目の信号で捕まっている。


 無視すりゃいい話と言えばそうなのだが、轢かれたくないので排泄物が漏れるとかでもない限り、無視はしない。


「命様ったら話が長い長い!」


 俺が寂しさのあまり脳内で処理すべき言葉まで独り言にしている様に、命様も俺以外に話し相手が居ないから、好きなだけ話せるというのは嬉しかったのだろう。まるで言葉を詰まらせる様子も見せず、俺が強引に中断させるまで滔々と話し続ける能力には感嘆する他なかった。凄く続きを話したそうだったので、放課後に戻ろうものなら、また話そうとするだろう。


 無論、その時は徹底的に付き合う姿勢を見せるつもりだ。


「あ、後輩君!」


「ん?」


 命様……ではない。茜さんなら俺の事は少年と呼ぶ筈なので違う。そもそも彼女の声はもっと低くて落ち着いているので、声質からして選択肢から外せる。信号の様子を窺いつつ振り返ると、背後に恐るべき女性の姿があった。


「あ、あや…………!?」


 四季咲絢乃。俺が口説かなければならない女性であり、二重人格者。昨晩、俺を鞄でフルボッコにしてくれた人物でもある。触れられる事はおろか、名前で呼ばれる事も嫌っていた奴が、一体どの面下げて声を掛けに来たのだろうと思ったが―――


「…………『裏』だな、お前」


「あ、バレました? てへへ♪ 実は後輩君に話があって、今、家で待ち伏せしてた所なんですけど……昨夜は何処に居たんです?」


「ん、まあ色々と夜遊びを……で、何の用だ? 悪いけどまだ良い感じに口説く方法を思いついてないから―――」




「ほんっとうに申し訳ございませんでした!」




 絢乃は公衆の面前である事も忘れ、その場で土下座した。


「え…………え、ちょっと! おいおいおい! やめろって―――」


「ごめん! こいつの代わりに俺が謝る! 昨夜は本当に申し訳ない事をした! ごめんなさい―――ッ!」


 一先ずは顔をあげてもらおうとしたが、通り過ぎる車や通行人の視線が刺さる。ここで事態を処理するのは悪手に近かったので、俺は彼女の手を引っ張り、路地裏の方に連れていく。


「お前馬鹿なのかよ!」


「いや……ごめん。絢乃は謝りそうもねえから、謝罪出来るとしたら俺しか居ねえだろ」


「お前の性格だと謝るにしても『すまん』だと思ってた」


「そこかよッ! ……マジで悪い事したと思ってるんだ。そんな軽い謝罪は出来ねえよ。俺じゃねえけど、俺がやったんだからな」


「経緯はどうやって知ったんだ? 記憶の共有は出来ないんだろ?」


「交換日記にお前をボコった事が嬉々として書かれてたからな。筆が乗ったとか作家気取ってもいたし、何と言うか……普段のストレスが、お前へのリンチで発散されたんだろうなって思ったよ。体、大丈夫か?」


 絢乃はマジマジと俺の身体を見つめるが、神様に治癒してもらったなどと言っても信じてはもらえまい。日記にどんな事が描かれていたか知らないが、首を傾げる辺り、何らかの相違点がある様だ。


「お前、本当にボコられたのか?」


「まあな。傷が無いのは……アレだ。良い医者が居るんだよ。トラップジャックみたいな医者が」


「……治療費、幾らだった? 俺が言うのも何だが、お金なら出すぞ」


「いやいや大丈夫だ。大体お前に謝罪されても俺は許すつもりなんかない。本人が謝罪するならともかく、お前には何もされてないしな」


「そこはほら、あれだ。人格が分離してるとはいえ、こいつは『俺』だ」


「でも『お前』は『お前』だ。絢乃さんとお前が同一人物だったとしても、俺が今話してるのは『お前』だ。だから謝罪されても困る。謝罪っていうのは、普通当人がするものだ」


「…………そうか。じゃあ……謝罪の代わりと言っちゃなんだが…………もう、協力しなくても良いぞ」


「ん? 何でそうなるんだ?」


「これ以上関わったらまたお前に迷惑が掛かるだろ? それに……自分をボコボコにした奴を口説くなんて無理だろ。俺ならその場でぶん殴るぜ」


 俺だってその場でぶん殴りたい。でも女性を殴るのはいけない事だと、俺が生まれた瞬間から決まっている。メアリは例外だが、絢乃さんは間違いなく女性だ。幾らムカついたとしても、殴るのは駄目だ。そうでないと俺は、自分自身を善人だと認識出来なくなってしまう。


「本当にごめ……ああ、何でもない。じゃあな。もう俺に話しかけんなよ―――」



 立ち去ろうとする絢乃の右手を、俺は咄嗟に掴んで、引き戻した。



「うお―――ッ!?」


「あ、すまん」


 力加減を間違えた。その場で転びそうになった彼女をすんでの所で抱き留める。危うく暴力を振るう所だった。


「な、何だよッ!」


「いや、お前が勘違いしてるみたいだから訂正しようと思ってな」


「ああっ? 勘違いだあ……? まさかお前、ボコられてもこいつの事が好きだって言うのかよ!」


「そんな訳無いだろはっ倒すぞ。……お前は絢乃さんの為を想って俺に頼んできたんだろうが、俺が引き受けた理由はお前の為なんだぞ」


「ん?」


「メアリ嫌いのせいか知らないが、人に頼られた事なんて無いんだよ俺。まあ、間違うし、失敗もするから当たり前なんだけどさ。そんな俺に頼んできただろ? それが何つーか……凄い嬉しくて。だから安心しろ。引き続きお前には協力する」


 絢乃は何度も目を瞬かせていた。俺の言葉を幻か何かだと疑っているのだろうか。


「ただ、ここでもたついたせいで俺もお前も遅刻確実だ。反省文というかメアリ賛美文を作るのもう嫌だから、言い訳に協力してくれ。もし何か罰が欲しいって事なら、それでチャラだ」


「お、お前………………分かりました。それで、後輩君は私にどんなシチュエーションをお望みかしら?」


「その言い方は誤解を招くのでやめろ。そうだな、変に俺を擁護するとそっちが辛くなるから、ここはメアリ信者の性質を逆手に取る感じで行こう」


「……逆手に?」



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