第13話 お届け物です

 赤羽あかばさんの部屋のテレビを直した後、僕は急いで自分の部屋に戻った。きっとキイがお腹を空かせて待っているはずだから。


「ごーしゅーじーん!」

 ドアを開けた瞬間視界に飛び込んだのは、キイのレモンイエローの髪の毛。勢いよく飛び込んできた彼女の頭突きを何とか受け止めたものの、ぶつかったところは正直痛い。


「ごめんごめん、お腹すいたよね。早くご飯にしよう」

「……ご主人、お姉さんと何してたの」

 上目づかいで僕をにらんでくる。キイは怒っているつもりなんだろうけれど、怖いと言うよりも可愛らしさのほうがどうしても勝ってしまう。


「ただテレビを映るようにしてただけだよ」

「ほんとに? ほんとにほんと? ご主人、ウソついたらキイは冷静じゃいられなくなるよ?」

 くわっ、とキイが目を見開いた。幼い女の子とは思えない迫力に思わず腰が引けそうになる。さっきまでの可愛らしさはどこへ飛んで行ってしまったのだろう。


「本当だってば! ていうか顔が怖いって」

「……だって、お姉さんきれいだもん。キイより大人だし、背も高いし」

 慌ててなだめようとすると、キイはふてくされてたように口をとがらせた。なるほど、確かにまだ幼いキイから見れば、大人の女性である赤羽さんは羨望の対象なのかもしれない。セキセイインコから憐人りんじんとなったキイと同じように、赤羽さんもまたヨウムから憐人になった人だ。憧れや目標とするなら悪くはない気がする。


「それに、キイよりおしりと胸も大きいもん!」

 これには僕も思わず苦笑いしてしまう。確かにキイより赤羽さんのほうがスタイルはいいけれども。何もまだ子供のキイがそこを目標とする必要はまったくないのに。

 僕に抱き着いたまま駄々をこねるキイの頭をなでていると、彼女はいつの間にか僕のワイシャツをがじがじと噛んでいた。まだキイがインコだった頃、ご機嫌斜めの時にくちばしで噛みつかれたのを思い出す。


「キイもあと少しすれば大人になるから、焦らなくてもいいよ。いっぱい食べて、いっぱい大きくなろう」

「……わかった。ねぇねぇご主人、いっぱい食べればおっぱいも大きくなる!?」

 大きくなるのはそこじゃない。いや、もしかしたらそこかもしれないけれど。心の中でツッコミを入れつつ、とりあえず夕ご飯の支度に集中することにした。


 翌日。職場で昼休みに入る少し前に部長のデスクの内線が鳴り響いた。受話器を取った部長は、少しだけ驚いた表情で僕の方に視線をよこしてくる。


「おう、泊木とまりぎにお客さんだそうだ。渡したいものがあるって女の人が来てるから、エントランスで待ってもらってる」

 まさかキイがひとりで家を抜け出して会社まで来たのだろうかと肝を冷やしたが、どうやらそうではなさそうだ。もしキイが来ていたなら、きっと“女の人”ではなく“女の子”と言うだろうから。


「お、女の人……!?」

 部長の言葉を聞いて、なぜか隣のデスクの烏丸からすまさんがものすごい形相で僕を見てくる。烏丸さんの突き刺さるような視線を背中に受けながら、僕はそそくさと一階のエントランスへと向かった。

 自分の部署がある三階のフロアから、階段を下りながら考える。来客に心当たりはなかった。しかも女性。渡したいもの、なんて想像もつかない。そうこうしているうちに一階まで降りたので、エントランスへ向かう。入口近くに置かれたソファに、その“女の人”は座っていた。


「泊木さん、お疲れ様です」

 セミロングの灰色の髪、赤いフレームの眼鏡。ソファから立ち上がりこちらに手を振る女性は、僕のマンションの隣室に住む赤羽さんだった。


「赤羽さん、どうしたんですか」

「昨日のお礼にと思いまして。いきなりですみません、もしよかったら……お昼に食べてください」

 驚く僕に、赤羽さんは可愛らしいパステルカラーの包みを差し出してきた。大きさといい、持ってきた時間帯といい、何となく察しが付く。


「もしかして、お弁当ですか」

「はい。空き箱は洗わないでそのまま返してもらっていいですから。絶対に洗わなくてもいいですからねっ」

 変なところで念を押すんだな、なんて不思議に思う。お弁当には使い捨てではないきちんとした箸もついていたし、さすがに洗わずに返すのは気が引ける。洗わないで欲しい、と強く言う意味もよくわからない。けれども赤羽さんの何とも言えない迫力におされて、僕は彼女からお弁当を受け取るしかなかった。


「じゃあ、午後もお仕事頑張ってくださいね」

 微笑みとお弁当を残して、赤羽さんは僕の前から立ち去ってしまった。とりあえず自分のデスクに戻り、もらったお弁当を食べることにした。せっかくもらった物を無駄にするわけにもいかない。

 少しして烏丸さんもデスクに戻ってきた。どこかかから急いで戻ってきたのか息が荒い。


「せ、先輩……どうしたんですか、そのお弁当っ」

 ずいぶんと気迫のこもった烏丸さんの問いかけに、僕はごまかすようにほほ笑んだ。いや、よく考えれば別にごまかす必要なんてないのだけれど。普段はおとなしい烏丸さんの気迫に押されて、つい後ろめたい気持ちになってしまう。


「知り合いの人がお礼にって作ってくれたんだよ」

「し、知り合い……? だってそのお弁当明らかに手作りじゃないですかっ。本当にただの知り合いなら、わざわざそこまでしませんよ」


「本当にただの知り合いなんだってば。たぶん料理が好きなんだよ」

 興奮気味の烏丸さんの言葉にたじたじとなりつつ、僕もふと疑問を感じた。たかがテレビを直したくらいで、わざわざ手作りのお弁当なんて作って持ってくるだろうか。いや、そもそも。


――どうして赤羽さんは僕の職場を知っているんだ?


 昨日の会話では、僕の勤め先に関する話は出なかったはずだ。もし赤羽さんが僕の勤め先を知る機会があったとすれば、キイが憐人になった時の手続きで市役所に行った時。確か、何枚か書いた書類の中には勤務先を書く欄があったはず。

 勤務先だけじゃない。住所、生年月日、連絡先、マイナンバー。あらゆる僕の個人情報を書いた書類を、赤羽さんは見ることができる立場にあった。


「どうしたんですか、先輩?」

 急に動きが止まってしまった僕を見て、心配そうに烏丸さんがのぞき込んでくる。僕は少しだけ、赤羽さんからもらったお弁当を開けるのが怖くなってしまっていた。


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