飼ってるペットが人間になる世界

まる

第1話 レモンイエローの少女

 仕事終わりの疲れた体をなんとか動かしながら、自宅への家路を急ぐ。時刻は夜の8時を過ぎていた。今の職場に入って数年が経ち、そこそこ安定した収入は得られるようにはなったものの、20代半ばになっても彼女と呼べる恋人もいない有り様。唯一の楽しみといえば、自宅で飼っているインコと戯れることくらいだ。

 世話が楽そうだという理由で2年前からなんとなく飼い始めたのだけれど、インコのあまりの可愛さにドはまりしてしまった。“キイ”という名前のレモンイエローの羽が綺麗なセキセイインコ。黄色のインコだからキイ。我ながら安直なネーミングセンスだとは思うけど、けっこう気に入っている。

 インコという動物は思いのほか表情豊かで、愛らしくて、ヤキモチ焼きだ。自分がスマホやパソコンばかりいじっていると、嫉妬するのか攻撃を加えてくる。スマホにくちばしでかじりつくこともあれば、スマホを持つ僕の手をつついてくることもある。


「スマホよりわたしをかまえ!」とでも言いたいのだろう。微笑ましいヤキモチではあるけれど、小さなくちばしでも噛まれるとけっこう痛い。おまけにキイがパソコンに攻撃を加える時は、キーボードをくちばしで引っぺがそうとするものだから要注意だ。幸いにも使っているのがノートパソコンだったので、目を離すときには折りたたんで閉じることで何とか事なきを得ている。

 とはいえ、たまに目を見開いて怒り狂ったようにスマホに噛みついてくるのは、正直怖いからやめてほしいと思うこともある。まあ、そんなヤキモチも可愛いから許してしまうだけれど。


 今日も疲れたメンタルをキイに癒してもらおうなんて考えつつ、マンションの玄関に入る。キッチンとユニットバスに挟まれた短い廊下を通り抜け、部屋の照明を点けようとして、ふと気づいた。

 部屋の雰囲気がいつもと違う。

 12畳ほどのまあまあ広めのワンルーム。違和感の正体は、部屋のすみに置かれた鳥かごの入口が開け放たれていたこと。そして、ベッドの上の布団が妙に盛り上がっていたことだ。

 緊張のあまり一瞬だけ思考が止まってしまう。泥棒か、不審者か。それにしても堂々と他人のベッドで眠るなんて、どう考えてもマトモじゃない。せめてもの護身のために、キッチンにあったフライパンを片手にそっとベッドに近寄る。

 一歩、二歩。もう少しで布団に手の届く距離だ。嫌な汗が頬をつたう。布団をつかみ、意を決してめくり上げると、そこには――。


「……ぴぃ?」

 布団にもぐり込んでいたのは、何も身に着けていない少女。レモンイエローの前髪から眠たそうな瞳がこちらをのぞいている。いっそ見なかったことにして、もういちど布団を元通りにしようと思ったけれど。


「こしゅじん……? ねえ、ごしゅじん、ごしゅじんなの!?」

 ベッドから飛び上がってきた少女に勢いよく抱き着かれ、そのままいっしょに床に押し倒されてしまう。突然のことに理解が追い付かない。


「わたしね、キイだよ! ごしゅじん!」

 キイ。それは自分が飼っていたセキセイインコの名前だ。いま自分の上に裸で覆いかぶさっている少女が、なぜその名前を知っている? もしかして、いや、まさか。

 ようやく少しだけ冷静さを取り戻したおかげで、まともな思考ができるようになってきた。聞いたことがある。ペットとして飼育されていた動物が、人間と同じような姿になることあるらしい。そして、ペットから人間の姿になった者は“憐人りんじん”と呼ばれているのだ。


「キイ、お前……まさか、“憐人”になったのか?」

「りんじん……?」

 馬乗りになったまま上半身を起こし、不思議そうな顔でキイは首をかしげる。可愛らしい仕草ではあるけれど、胸のふくらみを隠すこともしないから、こちらも目のやり場に困ってしまう。まさか自分の飼っているインコが憐人になるなんて思いもしなかった。


「んんっ、ねぇ、ごしゅじん……!」

 ぷるぷるとキイが体をふるわせる。インコは犬や猫と違い、トイレで用を足す、ということを覚えることはない。つまり、どこでも用を足してしまうのだ。まだインコだった時のキイを部屋の中でケージから出している時は、フンの始末によく気を使ったものだ。


「頼むから少しだけガマンしてくれ! 今トイレに連れていくから」

「あっ……もうむり、かも……」

 裸を見たらまずいとか、そんなことは言っている余裕はなかった。とりあえず、キイを抱えて急いでトイレに連れて行ってわかったのは、彼女にトイレの使い方をしっかりと教えないといけないこと。それと、彼女の尾てい骨のあたりにもきれいなレモンイエローの尾羽が生えていることだった。

 

 何とかかんとかキイの初めてのトイレを終えて、とりあえず彼女には服を着せることにした。彼女の体には、インコと同じように羽が生えているところがある。髪の毛の一部と、お尻の尾てい骨の辺りだ。手持ちのスウェットは人間用のものしかないから、かつて流行した腰パン気味に履いてもらい、すきまから尾羽を出すしかなかった。


「みてみてー、ごしゅじん! にあってるかなー?」

 初めて人間の服を着たのが嬉しいのか、キイは得意げにくるくると回ってみせた。尾羽を出すために少し下げ気味にしてあるスウェットが脱げてしまいそうで、こちらとしては気が気でない。


「ああうん、ちゃんと似合ってるよ。俺はシャワー浴びてくるから、キイは大人しく待っててるんだよ、いいね」

「いやだ! キイをひとりにしないで!」


「そんなこと言っても、いっしょにシャワーは入れないよ」

「しゃわー? しゃわーってなに?」

 シャワー、という単語をどう説明したらいいんだろう。少し悩んで思いついたのは、キイが水浴びを好きな事だ。キッチンの流しで水道の水を細く出してやると、キイは喜んでその水を浴びて遊んでいた。


「シャワーってのは、水浴びだな。キイもよくやってただろ」

 キッチンまで行って水道を細く出して、キイに見せてやる。


「しゃわー……? みずあび……!? キイもやる! ごしゅじんだけずるい、キイもしゃわーするの!」

 キイにしっかりと腕を掴まれ、おまけにがじがじと服を噛まれ。こうなっては、もはや彼女の言う通りにするしかなかった。


「ああもう、わかったよ。でも慣れたらキイもひとりでシャワーを浴びれるようにするんだ」

「えー、やだ! ごしゅじんといっしょがいい!」

 がくり、と肩を落としつつ。トイレのあとは、このレモンイエローの髪色の少女にシャワーの使い方をマンツーマンで教えることになってしまった。詳しい過程は割愛するけれど、なかなかに理性を削られる大仕事だったことは、言うまでもない。


「しゃわーってすごいね! あったかくて、きもちいい!」

 バスタオルでキイの髪を優しく拭いてやる。彼女の髪の毛のところどころには羽毛が混じっているから、傷つけないように拭いてあげないとといけない。ドライヤーは使ってもいいのだろうか。髪の乾かし方の他にも、調べないといけないことがたくさんあるのだ。

 ある程度髪を乾かしたキイは、ベッドに寝っ転がりながら枕を抱っこしていた。そんな様子を横目に見ながら、スマホを手に取り『憐人  初めにやること』で検索する。とりあえず最初に開いたホームページに書いてあった内容によれば。


――はるか昔より、ペットとして飼われていた動物が人間の姿を得ることは「まれによくある」ことだった。原因はわからないが、愛情を持って育てられたペットが不思議な力で人間の肉体をたまわるそうだ。

 そうして人間の肉体を得た彼ら・彼女らは“憐人”と呼ばれている。「隣人」と字面が似ているが、「となり」ではなく「あわれむ」の字を使っている。容姿端麗の憐人は可愛らしい姿を活かしてアイドルとして活躍することもある。ただ国によってはその容姿の良さが災いし、商品のように取引されたりすることもあるようだ。

 日本では江戸時代に『生類憐みの令』が制定されたことで、昔から憐人に対しては他国と比べて手厚い保護政策が敷かれている。今では役場には『隣人課』という課があり、憐人になった子たちの戸籍の作成、生活のサポートなどを行っているそうだ。

 となれば、やるべきことは一つ。明日にでもキイを連れて、役場の憐人課に行かなければ――


「――ねえ、ごしゅじん」

 スマホでの調べ事に集中しすぎていて、つい忘れてしまっていた。キイがすぐそばにいたことに。そして、彼女がひどくスマホをいじっていると機嫌を悪くしてしまうことに。


「ごしゅじんがいつもいじってる、それはなんなの?」

 突き刺すような視線。キイはスマホをどんよりとした瞳で見つめていた。


「ああ、これはスマホって言うんだ。キイがこれから生きていくのに必要なことを調べるのに必要だから。明日にも役場に行かないといけないみたいだ。それから――」

「それ、きらい!」

 右手にキイが噛みついた。いつものインコがくちばしでつついた痛みとは、比べ物にならない。だって彼女は今、人間の体なのだから。そんな彼女が思い切り噛みついたなら、並の人間なら、タダではすまない。


「痛っっっ!」

 痛みが全身を突き抜け汗が噴き出る。驚いたキイが、噛みついていた私の手から口を離した。くっきりと付いた歯形から、一瞬だけ遅れて鮮血が流れる。当然だろう。少女とはいえ、人間の歯で噛みつかれれば。


「ごしゅじん……? え、なんで……!?」

 さらに遅れて傷口が熱を持ち始める。キイも異変に気付いたようだ。インコにかじられたのとはわけが違う。思い切り人間の力で噛みつかれたならタダではすまない。


「なんで、ごしゅじん、けがしてるの……? だってキイ、かじっただけだよ……?」

 痛む右手をおさえる。おさえた手のすき間から、わずかに血が垂れてきた。


「わたし、ごしゅじん、けが、させた……?」

 その様子を見つめるキイは、ひどく怯えた表情をして部屋のすみっこにうずくまってしまった。いくら声をかけても返事すらできず、会話もできそうにない。してあげられることといえば、せいぜい震える彼女に毛布をかけてやることくらい。

 ずきずきと痛む手に包帯を巻きながら、キイにはこれから教えないといけないことがたくさんあると、あらためて思い知らされた。

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