青い、蒼い

さめ

幕間 2015年7月7日(火)17時54分

 「圭太、あの色彩豊かな植物は何だ?この前来たときはなかったぞ」

 横からちょんちょんと袖を引っ張られた巳浦圭太みうらけいたは、食パンを片手に手を止めた。すらりと伸びた褐色の指先の向こうを見ると、びっしりと釣り下がったカラフルな紙切れたちが、サッカー台の一部を占領しているではないか。

 「ああ、そっか。今日は七夕か」

 食パンをビニール袋に放り込み、二人は出口に向かいながら、ぐったりと頭を垂れた笹の前で立ち止まった。

 「この細い紙に願いを書いてこの木に吊るすと、空のお星さまが叶えてくれるかもっていう毎年恒例のお祭りだな」

 紙箱の中を覗くと、数本の色ペン、青と白の短冊が2枚しか残っていなかった。そりゃそうか、明日には無くなっているんだろうし。

 「そうだ、イーシェも書いてみれば?まだ短冊残ってるし」

 「……願いをこの紙に書くのか?願いなんてものは私には存在しないが。何故なら私は……」

 「あーはいはい。分かってる分かってる。ほら、このたけし君みたいに『べんきょうがんばる』とか、めいちゃんみたいに『あいすいっぱいたべたい』とか。ほんのちょっとしたことで良いんだよ。お星さまにお願いごとなんて」

 よくよく見れば、『お母さんに会いたい』、『2くみのななちゃんとけっこんしたい』など、結構重圧を感じるお願いが視界をチラついていた。しかし口には出さず、首を傾げ眉根を寄せて真剣に悩むイーシェの前に青い短冊を取り出した。

 留学生として日本の色々な行事を体験するのも悪くないだろうという純粋な親切心4割、宇宙の果てから届く虹色の怪光線を受信してるコイツが、短冊になんて書くのだろうという不純な好奇心6割で形成された執拗な促しでもあった。

 すると、ややあってイーシェは頷き、ペン2本と最後に残った短冊を手に取った。そしてその流れのまま、青いペンと白い短冊を圭太にずいと突き出した。

 「…え、俺も?」

 「願いや祈りは、人が必ず内包するものだと聞いた。きっと人間も同じだろう。ならば圭太も書くべきだ」

 まーた何か受信して真面目な顔で言ってるし……。まぁ、慣れたけどさ。

 未就学児や小学生に交じって高校3年生が仲間入りをするのは、正直言って恥ずかしいの一言に尽きた。背後をキョロキョロと確認する。平日の夕暮れ時、スーパー内は不況知らずの活気に満ちているが、珍しく子どもの姿は見当たらず、大人たちは目立つ風貌のイーシェを二度見しつつ足早に帰路に着くだけだった。

 ……気にしてんのは俺だけか。余計に気恥ずかしさが湧き上がってきたところで、振り払うように分かった分かったと了承した。通学鞄とビニール袋を台に置き、仕方なく短冊セットを受け取った。

 うむと大仰に頷いたイーシェは、すぐに自分の短冊に向き直り、黒いペンをゆっくり動かし始めた。圭太も習ってペンを走らせようとするも、ピクリとも動かない。

 くるくると青いペンを指で弾いて回す。自分で『ほんのちょっとしたお願い事』なんて言いつつ、全く思いつかない。大きな野望に小さな不満は多々あれど、お星さまの不思議な力で解決してと願うほど、焦りは感じてはいないようだった。自分は欲深い人間の代表例だと思っていたが、案外謙虚な部分も持ち合わせているらしい。

 「……よし、書けた。圭太見てくれ」

 隣を見ると、イーシェは大仕事を終えた後のように大きく息を吐き、掛け軸の如く短冊の上下の端を引っ張って披露した。たどたどしくも、日本語で丁寧に書かれていたのは、


 『今日の夕食のデザートも、いもようかんでありますように。16さい。イーシェ』


 「……お前ホントに好きだな。昨日食ったばっかじゃねーか」

 「うむ、クレープも塩ラーメンも景子の肉じゃがも美味だが、いもようかんは毎日食べても良い。捧げものとしても間違いない一品だろう」

 「まぁ、確かにそのラインナップの中じゃ、土産物としては最適だろうな。芋ようかんは」

むふーっと小鼻を膨らまし、お気に入りメニューを自慢げに語るイーシェに脱力感を覚えつつも、圭太は知らずに小さな笑みを零していた。しなび切った笹のどこに短冊を括りつけようか、金色のポニーテールが忙しなく跳ねている。今では当たり前の光景。いつも通りの日常。ウチでも学校でも気付けば隣にいて、何か食べていたり、何で?と問いかけてきたり、笑ったり。最初は煩わしいだけだった。だけど、今は、そして、これからは……。圭太は無意識のうちに、ペンを動かしていた。

 イーシェが己の短冊を、もっとも目立つであろう笹の中央部分の飛び出した枝葉に四苦八苦して結びつけている間に、圭太は素早く短冊たちがひしめき合う上部の枝葉の根元に括りつけた。

 「じゃあ、さっさと帰るか」

 荷物を両手に下げスーパーから出ると、眩しい西日と湿気た熱気が二人を出迎えた。何気ない会話を紡ぎつつ帰路に着く途中でふと、何か思い出したイーシェがそういえばと声をあげた。

「圭太は短冊に何を書いたんだ?」

「……え?いや、別に大した事書いてねーよ。そんな、教えることでもねーし……」

「だが、私の短冊を見せたんだ。ならば圭太の短冊の中身を知りたいと思うのは、間違っているだろうか」

 圭太は言葉に詰まった。これだから賢いイケメンは好かないんだ。わくわくと好奇心に染まる、ただただ綺麗で真っすぐな青い瞳に見つめられ、言い逃れも出来ない。

 「……笑うなよ。あと、絶対誰にも言うなよ。特に紀子のりこ熊川くまがわには絶対!」

 圭太は後悔していた。なんであんな柄にもない願い事を、お星さま宛に送ってしまったのだろうか。今更、小遣いがアップしますようにとか、今度の期末テストの赤点回避しますようにとか、ほんのちょっとしたお願い事が脳内に生まれては消えていく。まるで流れ星のように。

 「全っ然面白くねーからな。よー分からんけど思いついただけだから。キモイも禁止な!」

 「ああ、約束する」

 夕日に負けず劣らず耳と頬を真っ赤にして、圭太は必死に言い訳を重ねていたが、譲らないイーシェにとうとう根負けした。そもそも、元は圭太の邪な思惑でイーシェを試そうとしたのが始まりだ。バチが当たったに違いない。ため息一つ零し、渋々口を開いた。

 「『今まで通りの普通の毎日が続きますように』だよ」

 黄昏色に傾く閑静な住宅街。温かな家庭を描く芳しい香りと、夜の訪れを告げるカラスとヒグラシの薄寂しい鳴き声。だのに、真っすぐ果てまで伸びる道路には、二つの影法師しか見当たらなかった。世界は広大で明白だ。しかし、窮屈で曖昧にも感じてしまう。

 穴が無くても掘って埋まりたい程の羞恥にかられる圭太は、斜め後ろを歩くイーシェの顔が見られなかった。きっと、いつものクソ真面目な顔で頷いているのだろう。イーシェは他人を馬鹿にしないし、嘘もつかない。時々変わった発言をするが、それがまた、不思議な重みを感じるのだ。

 そんな風変わりな留学生は、本格的な夏が来る前に、故郷くにに帰る。終わりはもう、目の前だ。

 だから、ほんのちょっと、願ってしまった魔が差した

 ああ、今日はやけに夕日が目に刺さる。

  “……言葉は火と同じだ。だから気を付けた方が良い。自分にその気は無くても、相手の心に火傷を負わせ、治らないままずっと燃え広がるかもしれないんだ”

 腕で顔を覆いながら、ふと、圭太は思い出した。今と同じ夕闇に包まれる中、誰かがそう、言っていたような気がする。



 もしも、あの時。振り返っていれば。

 あの、宝物が詰まったガラスビンのように雑多で、からからと移り変わるようになったキレイな青い瞳を見てさえいれば。

 今とは違う未来いまになっていた、そんな気がするんだ。

 









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