第6話 楽しい授業。

廊下側の後ろから二番目の席になった僕は、目立つことのないこの席で先生に当てられずに平穏な生活を送ろうとしていたのだが——


「ねぇねぇヒデくん、これからよろしくね♪」


 運がいいのか悪いのか、僕の後ろの席になったのは香帆里だった。結婚しようなんて書いたやつを見つけたせいでなんだか緊張してしまっている自分がいた。ここは冷静に…冷静にだ。


「よ、よろしく…!まさか二人並ぶとはな〜、ははは…」

「どうしたの?なんだか様子おかしくない?」

「そんなことないよ、僕はいつも通りさ!先生も来たから静かにしないとでござる!」

「うぅん、なんだかおかしいんだけどなぁ〜」


 恐るべし長年の付き合い、恐るべし幼馴染。少しの動揺を見せただけですぐに気づいてくるとは。気を抜いていられないな…。

 そして授業開始の号令を終えた教室は水を打ったかのように静まり返り、聞こえてくるのは教科書を読む先生の声と鉛筆の音だけだった。

 これでやっと安心できると安堵したのも束の間、なにかが優しく背中を這うような感触が僕を襲った。


「ひゃうっ!?」

「どうした高宮、先生なにか間違えたところあったか?」

「いえ!ちょっとくしゃみが出そうになっただけです!」

「ちゃんと体調管理するんだぞ〜」

「はい、気を付けます…」


 はぁ…大変な目にあった。なんとかうまく誤魔化せたからいいけれども…。


「ヒデくん、これから背中に文字を書くからなにか当ててね」


 彼女がそう耳元で囁いてきたとき、僕は全力で拒めばよかったのだろうか。それとも無視をしていたらよかったのだろうか。どちらにせよ、僕は静かに頷くことしかできなかった。

 香帆里の細い指が僕の背中をなぞる。

くすぐったくて、恥ずかしくて、漏れそうになる声を抑えるのに必死でなにを書いているのかなんて考える余裕は一切なかった。


「——なんて書いたと思う?」


 ゆっくりと左右に首を振る。

 なんだか顔が熱い。耳まで赤くなっているのが自分でも分かるくらいだ。後ろの香帆里はこれに気づいているのだろうか。もし、こんなにも赤くなっているのに気づかれていたとすれば、どう思われるだろうか。そんな考えが頭を巡って止まらない。


「次はちゃんと集中して、当ててね」


 すーっ、と深呼吸をして目を閉じた。

今はこれに集中しないと!

 左から右へ背中をなぞる指が静かに震えているのを感じた。しかし、そんなのことなど気にせずに香帆里は文字を書き続けた。

一画、また一画と線を重ねていく度に答えへと近づいていく。


「——す、き、だ、よ?」


 思わず声に出してしまい慌てて自分の口を手で押さえる。

 周りの人は敢えて聞こえていないフリをしてくれているのか、それとも本当に聞こえなかったのかは分からないが、誰も反応はしていない様子だった。

 『すきだよ』ってどういう意味だ…?僕の背中に…わざわざ書いて…。もしかして香帆里は僕のことをそう思っていたのか!?いやでもそんなことはないハズで、そんなの絶対にあり得ないし…。


「ね、ねぇ香帆里、すきだよって書いた…?」

「……うん、正解だよ」

「それってさ——」


 言葉の意味を訊くべきか否か、迷いを捨てて真っ直ぐに問うことにした。


「僕の背中が隙だらけだ、ってこと?…あれ、どうしてなにも言わないの?」

「んんんんん、もぉぉーー!!ヒデくんのバカぁぁぁ!」


 突然大声をあげて立ち上がった彼女に驚き、誰もが手を止めて顔をこっちに向けた。


「おーい、痴話喧嘩はよそでやれー。俺の授業中にだけはするなー」

「す、すみません…」


 先生のその一言で教室中が笑いで包まれる中、僕の頭は疑問でいっぱいだった。


「一体どういうことだ…?」

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