第四章 夕月夜

1

「は?」


 口を開きお菓子を食べようとしたのを中断した彩夏は、眉を顰めた顔を僕へと向けて零すような声を出した。


「だからさ。合コンをね。ちょっと行ってみたいなぁーって」

「誰が?」

「僕が」


 そっと口元を離れ袋へと戻っていくお菓子。


「え? ――なんで?」

「いや……」


 つい数日前、彩夏の問いかけに対してあんな風に答えたばかりで気まずい。でも脳裏には釘を刺すように陽咲が思い浮かんでいた。


「そろそろ、前に進むのも必要かなーって」


 皮肉にも心では思ってないという気持ちの所為で少しぎこちなくなったのが、それっぽさを演出していた。


「なるほどねー」


 でもそんな僕を見て何故か満足気に頷く彩夏。


「よし! 分かった。大丈夫。このあたしに任せなさい!」


 陽咲との約束があるからとは言え、彩夏は申し訳なくなるような自信と気合いを見せた。

 それから数日後、仕事を終え家で着替えを済ませた僕は――。


「かんぱーい!」


 八色の重なり合う言葉を追うようにハイタッチを交わしていくグラス。


「はーい! それじゃあまずは自己紹介ね。私は内海彩夏っていいまーす! 仲良くなりたいからあやちゃんとか気軽に呼んでね! あっ、可愛いあだ名とか付けてくれると嬉しいかも。いろーんな事に興味あるから趣味とか教えてくれたら嬉しいかもっ! よろしくね!」


 それはいつもとは違った彩夏の声。その後、横に並んだ三人の女性は順番に自己紹介をしていった。そして僕とは反対側の男性(翔琉の友人)がバトンを受け取り自己紹介をすると、圭介、翔琉と流れ最後は僕の手へ。


「旭川蒼汰です。よろしくお願いします」


 多少のぎこちなさはあったが、何とか自然に言い切るとバトンは再び彩夏へ。それから彩夏が主体になって注文を済ませると全員で互いのグループを探るようなお喋りが始まった。次々と料理が到着してある程度、落ち着くまで盛り上がりつつも緩やかに進んでいく。

 そして最初のように彩夏が声を上げた。


「それじゃあここら辺でちょっとゲームとかどーかな?」


 ゲームアプリを使った遊びだ。彩夏がアプリを起動して始まったのは所謂、お絵かき伝言ゲーム。僕の絵心は本当に普通だったが、中には(こう言うのは悪いけど)とんでもない絵を描く子もいて中々に盛り上がった。正直、開始早々にやっぱり合コンの雰囲気が苦手だと知った僕でも楽しめたほどだ。


「はーい! それじゃーあー。そろそろみんなの期待に答えててきとーにおしゃべりターイム」


 その言葉を機に席を移動したりと本編とも言うべき時間が始まった。少し意外でもあったが、立ち上がった一人の女性が僕の隣へ。


「蒼汰さんでしたよね?」

「あっ、はい」


 直に言葉を交わすのは初めての人だったが、座った瞬間からその距離感はまるで陽咲のようでもあった。今にも凭れかかって来そうな感じさえする。


「ちゃんと話す機会はなかったですけど、私の名前覚えてます?」


 女性はどこか意地悪をするように尋ねた。


「清水さん、でしたよね?」

「下の名前は?」

「杏さん」


 大金の掛かったクイズ番組の司会者さながら僕の双眸を真っすぐ見つめ答えを焦らす彼女。もっともあれほど長くは無かったが。でもちゃんと聞いていたし、当たっているという僕の自信を微かに揺らすぐらいの沈黙がそこにはあった。


「――嬉しい! ちゃんと覚えててくれたんだ」


 その瞬間、彼女は長い髪と良く似合う笑みを浮かべた。


「まぁ、はい」


 もし僕がもっと手慣れた男なら更に相手の喜ぶような返事を返せるのだろうけど、生憎、僕にはその術が無かったようだ。


「蒼汰君は仕事何してるの?」

「会社員ですよ。清水さんは何してるんですか?」

「杏」

「え?」

「下の名前で呼んでくれると嬉しいな」

「じゃあ、杏さんは何を?」


 それから合コンらしいと言えばそうなんだろう。杏さんとは少しの間、話をしていた。彼女は気が良く柔らかで話しやすく、いつの間にか万年の友達であるかのように良い感じに弛緩した状態で話をしている自分がいた。きっと話が上手いんだろう。

 でも僕はハッと我に返るとある異変に気が付いた。いつの間にか彼女はより一層近づいており、腕に抱き付いているような距離にいたのだ。それに気が付いたのは、彼女の手がそっと僕の太腿に触れた時だった。一度、確認するように視線を落としてから彼女へ戻すと待ち構えていた双眸と目が合う。その瞬間、彼女は誘惑的で妖艶な笑みを浮かべた。

 そして徐に寄ってきた顔は動けぬ僕の耳元へ。


「この後、二人でどう?」


 這うような声が僕を誘惑する。


「い、いや。ちょっと僕は……。すみません」

「いいじゃない、ねっ?」


 撫でながら更に内側へと滑り込む手。


「杏~」


 すると、聞き覚えのある声に呼ばれ彼女は少し僕から離れた。

 そこに立っていたのは彩夏だった。


「ちょっと席変わってよ」


 明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた彼女は僕へ笑みを浮かべると、立ち上がり彩夏へと近づいた。そして二人で何やら話をした後、杏さんは笑顔で僕へ手を振り他の場所へ、代わりに彩夏が隣へと腰を下ろした。

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