4

 陽咲の満足そうな表情を見た僕は普段から答えられるようにしようと早速、色々な料理を調べていた。片手は陽咲と繋がりながらもう片方の手で握るスマホに映るのは色んなレシピ。


「何見てるの?」


 すると陽咲はそう言い横からスマホを覗き込もうとした。

 でも僕は何だか照れ臭くなって咄嗟にスマホを遠ざけ画面を見られないように傾けた。さっき指摘された事をもう改善しようとしてるなんて、ちょっとからわれそうだったし。


「えぇー。なに?」

「何でもないよ」

「んー? 怪しいなぁ」


 言葉と共に訝し気な視線が僕を突く。


「それより。これからどうする?」

「そうだねぇ。どうしよっか?」


 上手く話を逸らす事が出来たのか陽咲の視線は僕から離れた。


「さっき話した映画でも――」

「隙アリ!」


 すると陽咲は突然、手を伸ばした。僕の目の前を通り過ぎ、気が付けば左手からスマホが連れ去らわれる。


「あっ! ちょっと!」


 咄嗟に手を伸ばすが陽咲は軽快な足取りで少し先へと逃げて行った。そして誰もいない横断歩道を背に立ち止まる。


「一体なにしてたの? まさか浮気ぃ?」


 それはわざとらしく、意地悪な表情だった。


「そんなんじゃないよ……」


 僕の中で息を吹き返す照れ臭さ。自然と声は小さくなっていく。今となってはさっき言わなかった事を後悔してる。その所為で大したことないのに重要性が増した気がしたから。どうせならサプライズプレゼントを色々調べてたって方が良かった。

 そんな事が脳裏で入り乱れる中、目の前で陽咲は画面を閉じそこなったスマホへと視線を落とす。

 覚えているのは、視界の端を走り去る猫と音量調節を間違えたようなスキール音。そして――日常生活で聞く事の無いような一瞬の爆音。

 それからの記憶は曖昧だ。救急車のサイレンと周囲の喧騒。でも全ての音がどこか知らない遠くで鳴っているかのように他人事だった。そんな中、僕の目には陽咲が映っていて……。僕は泣いてた。




 まるで幸せな夢から目覚めてしまったように。あの日、当たり前に流れていた僕の日常はプツリと途切れた。ついさっきまで見ていた幸せが嘘だって言うみたいに、僕を取り囲む現実は殺風景なものへと変わっていた。

 あの日から煌めく満月だったはずの僕の心は夜に紛れる三日月へ。一番大切なものを失ったんだ。色を失った画家、音色を失った音楽家、比喩を失った詩人。

 あの日から一日たりとも、一秒たりとも忘れたことは無い。毎日のように君に会いたくて胸が苦しい。僕にとって今日までの日々は生き地獄って言っても然程、大袈裟じゃないのかもしれない。

 そんな君が今、目の前にいる。かもしれない。


「心の底から愛してるよ。蒼汰。――こんな風になっても会いに来ちゃうぐらいね」


 袂を握り両腕を広げる陽咲は気恥ずかしそうに見えた。

 幽霊や宇宙人、未知の存在や常識では考えられない存在に出会った時、人はもっと戸惑いまずは自分を疑うのだろう。否定から入り徐々に現実だと受け入れいく。

 でも僕はこの瞬間、全てがどうでもよくなった。あれやこれと考えるのを止めた。だけどやでも、そんな言葉は全てかなぐり捨て目の前の彼女から感じる感覚だけを腕に抱える。その声、その言葉遣い、想い出や仕草に至るまで彼女は全てが陽咲。

 そうこの着物を身に着けた狐面の女性は、陽咲なんだ。今までずっと信じたりそうじゃなかったり、同じことを繰り返しては混乱してた。

 でももういい。


「……陽咲」


 僕はそれを望んでた。彼女が本当に陽咲であって欲しいと。

 だから信じた。だから陽咲はもういなくて、幽霊とか人が生き返るとかそんなのありえないって気持ちを飛び越えて信じた。目の前にいるのが、悪魔と契約してでももう一度会いたい陽咲だって。

 すると、その瞬間――彼女が陽咲だって受け入れた瞬間、体が誰かにハッキングされたかのように頬を撫でる温かな感触を感じた。雨上がりに滴る雨滴を真似るみたいに一定間隔で流れいく。もう逃がさないと言うように僕の瞳に映った彼女はもう陽咲だった。自分の事なのに最早、自身の中で入り乱れた感情が分からない。

 だけど今の僕は陽咲しか見えてなかった。


「ずっと会いたかった……。もう一度でいいから」


 堪えようとしても震える声。


「あんな別れ方……あんまりだよ」


 もう幻だろうと何でもいい。そんな気持ちだった。


「そうだよね。私も、会いたかったよ」


 あの日の出来事を思い出しながら僕は一色に変化した感情に導かれ、一歩前へ踏み出した。でもそんな僕を避けるように陽咲は一歩後ろへ。その行動に僕は陽咲の言葉を思い出す。


「ごめんね」


 それを察したのか、陽咲は少し顔を俯けさせそう一言謝った。


「いや。僕の方こそ。君が君だって思ったらつい……。ごめん」


 言葉の後、何とも言えない沈黙が互いに逸らした僕らの顔を覗き込む。


「あの(あのさ)」


 その静けさに耐え兼ね出した声は、いつかみたいに陽咲のと重なり合った。もう何度目だろう。同時に合う目。言葉は無くとも一拍の間を空けて先に陽咲が続きを口にした。


「もっと話したいな。いい?」

「もちろん」


 一秒でもいい、出来るだけ長く。今の僕が思うのはそれだけだった。

 そして改めて僕と陽咲は欄干に寄りかかり触れない程度で――でも出来るだけ近い距離に並んだ。


「じゃあ、何の話しよっか? デートから帰ってそのまま泊まった時に見た映画とか? 二人して大絶賛してたやつ。それとも温泉旅行とかどう?」

「それもいいけど、私はもっと日常的なのがいいな」

「って言うと?」

「今日はどうだった?」


 それは本当に何気ない質問。でも僕は胸が締め付けられる思いだった。それは僕が仕事から帰って一緒に夕飯を食べてる時、彼女がよく訊く質問だったから。何も無い日もあれば何かある日もある。そこから話が広がっていくんだ。

 だから僕にとって彼女からされるその質問は、まるであの日々を取り戻すかのようだった。


「ん? どうしたの?」


 思わず黙り込み見つめる僕に彼女は首を傾げた。


「ううん。何でもない。今日かぁ。そーだなぁ」


 若干の動揺を抑え付け返事を返すと、僕は今日という日を思い返してみる。ざっと記憶を眺めてみても、今日は何も無い日だ。でもずっとそこにあったモノはある。


「特に何も無かったけど、ずっと君に会いたいって思ってたかなぁ」


 混乱と希望。あの時はそんな感じだった。度々に陽咲を感じるけど現実がそれを阻む。疑いながらも心のどこかでは彼女であってほしいって、もう一度会えたらって思ってて。

 その時の感覚を思い出しながら僕は正直に――ただ事実を口にした。つもりだった。

 でもすぐに返事はなく、隣へ目をやってみると顔を俯かせた彼女が居て。耳は目の前の夕焼けより赤く染まっていた。


「――君って不意にそんな事言っちゃうよね」

「あっ、いや……」


 きっとその言葉の裏に隠れた僕の疑いは伝わってないんだろう。そう思って若干の罪悪感が突き刺さりながらも訂正しようと思ったが、それを彼女の言葉が遮った。


「そうだ。私がいなくなってからちゃんとしたご飯食べてる?」


 ――まぁいいか。

 少し見上げる狐面越しの陽咲を見ながら僕はそう思うと詰まっていた言葉を飲み込んだ。そして彼女の質問に向き合い、最近の自分の食生活を振り返る。


「あー。えーっと。うん、そうだなぁ」

「ふーん」


 抑え切れなかった動揺が答えとなり彼女は分かったと言うように唸り声を上げた。腕組みも添えて。


「ちゃんとバランス良く食べないと駄目だよ? もう私は作ってあげられないんだから。今だけでもちゃんとね」

「はい。頑張ります」

「毎日作れ、とは言わないけど少しでもね」


 ちょっと最近の食生活を思い出しただけだが今まで家に帰れば温かな食事があった事に改めて感謝の気持ちが溢れ出した。


「今まで作ってくれてありがとうございました」


 そう言って改めてお礼を言う。


「こちらこそ、毎日お仕事頑張ってくれてありがとうございました」


 そんな僕に対し陽咲はそう返してくれた。


「でもごめんね。これからは料理も仕事も君がしなくちゃ。ごめん」


 すると彼女は続けて真剣味を帯びた声でそう続けた。

 その言葉に僕はどう返していいか分からず黙り込む。


「そう――そうだ。さっき言ってた温泉旅行。その話でもしよっか」


 その沈黙を無理矢理に破ろうとしたんだろう、彼女はそう言った。


「そうだね」


 僕もそれに乗らない手はない。

 それから僕らはこれまで通り想い出話に花を咲かせた。

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