第三幕:人は変われる?
第17話:【晴男】ようやく、終わりに
俺の住むアパートは、台所の他に二部屋がある。それに比べればこの家のほうが、独立した居間のある分、広い。建物の古さは似たようなものか。
――ここに六人はきついな。
十二月三十日。いよいよ押し詰まったこんな日の、しかも午後九時過ぎ。なぜ俺はまひるちゃんの実家に上がりこんでるんだ?
「もう、ほんと。まひるがお世話になったみたいで。お礼にもならないですけど、どうぞ」
顔のつくりがそもそも笑顔みたいな、優しい声のお母さん。急に訪れた俺に、刺し身とビールを出してくれる。
――これ正月用じゃないのか? 食っていいのか?
「荷物運びのお手伝いに来ただけなんで、お構いなく」
「いえいえ。私がね、来てもらいなさいって言ったんですよ」
「ええ?」
居間のコタツの対面から、まひるちゃんと同じく高くない背を伸ばし、お母さんは缶ビールを注いでくれた。
グラスで受けつつ、思わず隣のまひるちゃんに目を向けた。彼女は渋い表情を「すみません」と読み取らせる。
「こんな時間に、お父さ――ご主人にもご迷惑では」
「大丈夫。うちの人、もう寝ちゃったから」
「ええ?」
お母さんの指が、奥の二部屋の一方をさした。俺の上げた疑問の声は、さっきと意味が違う。
怖い目をした娘が戻ってきたのに、顔も見ないのかと思った。
「空上さんにはきちんとお礼を伝えるよう言ってましたから、気にしないでくださいね」
言って、お母さんは台所へ戻る。まだ何やら出してくれるつもりらしい。
「は、はあ」
そう言われてもな。ともう一度、閉ざされた横引きの扉を見る。するとその隣の部屋の扉に、少し隙間があった。
目が。ってほどはっきり見えないけれども、誰か覗いてるのは分かる。
「弟さん?」
「え? あっ、こら!
――おお、お姉ちゃんだ。
全然怖くないお叱りに答え、双子の男の子が姿を見せた。二人とも百八十センチくらいあって、スラッとカッコいい。
生まれて初めて見た双子は、いかにもそっくりだった。
「あ、ども」
「姉ちゃんが世話になって」
「いや全然。君らも刺し身食う?」
「いえ、もう歯ぁ磨いちゃったんで」
どっちがどっちか分からない。教えてもらっても、見分けがつかない。
双子はボソボソっと言って、自分たちの部屋に引っ込んだ。向こうで何やら話し、うひひと笑いを堪えてるのが分かる。
「すみません空上さん」
「男の子ってあんな感じだよ。俺もそうだった」
たしか高校生と聞いた。それで「世話になった」まで言えれば上出来だ。俺にこんな機会はなかったが、たぶん言えなかった。
「
まひるちゃんの隣から、真由美ちゃんの箸が伸びる。タコの薄造りが五枚ほど、しょう油の皿にどっぷり浸かった。
「それはお兄さん?」
「そうそう、愛知に住んでるの。二十五だっけ? 同い年だよね」
「うん、陵さんも二十五」
まひるちゃんと双子の法則性から、推測が当たった。きっちりした長兄はお母さん似と聞いて、なるほど以上は考えない。
「そうよ、まひる。品下さんとは話せたの?」
「ううん。あ、いや、話したけど――」
台所から、お母さんの声が飛ぶ。揚げ物の賑やかな音にも負けず。
むしろまひるちゃんの声が聞き取りづらい。まああんな顛末、そうもなるだろう。
「まひるがどんな人とお付き合いしてもね、文句を言う気はないの。でも暴力とか、お金の扱いがおかしな人はダメよ」
「暴力、だよね……」
まだ油の音をさせながら、お母さんはナスやレンコンの天ぷらを持ってきてくれた。娘の返答を聞き、そこはしっかり頷いて火に戻る。
「お父さんが誰かに何かした、って見たことある?」
「お店の物を蹴ったり?」
品下陵の悪行は、すっかり伝わってるらしい。お母さんは皮肉っぽくなく、むしろ楽しげな声で相槌を打つ。
「氷水かけたりとか」
「そんなことも? お父さんがするわけないでしょ」
「そうだよね」
お母さんの声には迷いがない。対するまひるちゃんは、膝上のこたつ布団にヒダを作る内職を始めた。
「するわけないって、そんなに気の長い人なの?」
考え込むまひるちゃんの頭越し、真由美ちゃんに聞いた。今度はタイを三枚、一度に頬張って頷く。
「うん、まあ。気が長いっていうか、気にしない? 富豪が宇宙に行ったニュースも、自分のお金じゃないしって。可愛いアイドル見ても、うちの嫁になるわけじゃないって」
「ああ、強いね。堅実な人なんだ」
自分に直接の影響がなければ、何ごとにも関わらない。自分がこうしようってことだけやるタイプなんだろう。泰然自若というのか、俺と真逆だ。
「お父さん、真面目なんです」
独り言みたいに、まひるちゃんが呟く。作り上げたヒダを、今度は戻しながら。
「でもアイドルとかスポーツ選手とかは凄いって、いつも褒めてます。これがダメなら後がない、そういう選択は途轍もない勇気が要る。だから自分には真似できないって」
「分かるよ、じゃないと大家族を支えられないし。経営者なんだよね?」
まひるちゃんが頷くのと同時に、お母さんがやって来た。両手で持った大皿へ、山と盛られた茶色い物体が載る。
「一応ね、一級建築士なのよ。いつか自分の家に住まわせるって、いつになるのか」
五、六人前の唐揚げを一つつまみ、お母さんは笑った。左右に視線を向け、狭いでしょと自嘲めいて。
「お聞きしてると、有言実行される気がします。俺なんかの言うことじゃないですけど」
「空上さんもそう思う? 私もよ」
あははっ、と今度は軽快に。実行されようがされまいが、どっちでも構わないんだろう。まひるちゃんのお母さんは、今のままでも十分らしい。見た目に線の細い人だけど、逞しく感じた。
「はいはい。おばさんはおじさんの言うこと、なんでも聞くんだから。参考になりません」
「ええ、そう?」
「そうですー」
俺がハマチをひと切れ食う間に、真由美ちゃんは四切れ食べた。
幼なじみの親って、こういうものなのか。ここまで親しい友だちが俺には居なくて、平均が分からない。
「うん、決めた!」
「ん? どしたのまひる」
小さく、叫ぶように声を張って。用意された箸にも湯呑みにも触れてなかったまひるちゃんが、冷めたお茶をぐいぐい飲み干す。
俺もお母さんも視線を向け、真由美ちゃんが問いかけた。
「やっぱり私、陵さんとお別れする。だっておかしいよ、嘘吐いて、みんなに迷惑かけても謝らないで」
「うん。ずっとそう言ってる」
呆れた風に言っても、真由美ちゃんの声は冷たくなかった。
あれだけのことをされて、まひるちゃんは品下陵を悪く言わない。きっと批判をするのが苦手、嫌いなんだと思う。
そんな彼女の決心を、当然という顔で頷く。
「でも逃げ場がないうちに言ったらダメだよ。年が明けたら、住むとこ探そ」
「分かった、真由美の言う通りにする」
今のまひるちゃんの家を出てから、とはたしかに。しかし住むところを探すという部分に、「ん?」と首を傾げた。
「あれ、実家に戻るって話じゃないの? そのために荷物を運んだと思ってた」
大きなスーツケースを二つ、リュックサックが三つ。この家に持ち込んだ量は、三人で手分けするのに十分だった。
「いえ、ええっと」
「三が日までは、うちのアレが居ないから。その後ここに」
すっと言葉の出なかったまひるちゃんを、真由美ちゃんが代弁する。だが一月四日からというだけで、実家へ戻るのに間違いはないと聞こえた。
「でもやっぱり狭いし、ひと駅遠くなるし。ね、まひる」
「う、うん」
「あー」
聞いてた通り、まひるちゃんのアパートと実家は近かった。実家と言ったってここもアパートだけど、五、六百メートルくらいか。
ただし京玉線の最寄り駅が、
「俺、なんか手伝えることある?」
「そんな。これ以上、空上さんに迷惑をかけられないです」
「迷惑ではないけど。不動産屋の知り合いとか居なくて、役には立たないね。荷物運びくらいなら」
乗りかかった舟というやつで、まひるちゃんが頼むと言うならいくらでもだ。
しかし彼女はさすが、両手を振って遠慮する。
「まひる、お願いしたほうがいいかもよ。不動産屋さんも、大人が居ると居ないとで違ったりするから」
「私も大人なんだけど」
「ちょっと意味が違うの。お母さんでもいいけど、女より男だったりするの」
そんな期待をされても、実は俺も賃貸の契約とかしたことがない。
でも店に出入りするお客さんや業者さんには、年齢や性別で口の聞き方の変わる人は居る。
「ええと……空上さん。そういうことみたいなんですけど、お願いできますか」
「俺で良ければ」
自分が納得すれば、決断は早い。おずおずと頭を下げたまひるちゃんは「良かった」と微笑む。
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