第4話 人の命はパンツと同じだと思う

 授業が終わり、昼休みに入った。入学してから二週間が過ぎ、クラスの中では既にいくつかのグループが出来上がっている。生徒たちはそのグループに分かれて和気藹々わきあいあいと昼食を取り始める。

 その中でも、隼人は当然のように孤立しており、自分の席から移動するようなことは一切無い。相変わらず彼の周囲の席はいくつか空けられており、まるでそこには近付きたくないという意思表示のようにも感じられる。しかし、それは今に始まったことではない。彼が中学二年生の秋の頃からこのように疎外され始め、今ではこれが当然のようになっている。

 そして今日もいつものように一人で昼食を取るのだ、と隼人は登校中にコンビニで買ってきた菓子パンとパックのいちごミルクが入った袋を、中が見えるように机の上に置いた。


「あら、可愛らしい昼食じゃない。ただ、それだけではとても足りるとは思えないわね」

「……どうして俺のクラスを知ってるんですか、先輩」


 声のする方へ視線をやる。そこには恭子がえらく堂々とした態度で立っており、後ろには好奇の眼差しを向けてくる生徒たちの顔が視界に入った。


「入部届に書いていたのを見ただけよ」

「なるほど…」


 恭子が手に持っているのは、恐らく自分の弁当なのだろう。それに気が付いた者たちは、『どうしてあの葵先輩がオークなんかと…⁉︎』『もしかして弱みでも握られてるんじゃないの?』『ほんっと、最低なんだけど』『葵先輩もオークの毒牙に…』などと好き勝手に口にし始める。

 その言葉を不快に感じる彼女だが、隼人自身がそれを一切気にしていない様子の為、更に腹立たしく感じられた。そんな状況に耐え切れず、彼の手を強く引いてその場から立ち去ろうとする。


「……っ!行きましょう、隼人くん。私はあなたと二人きりになりたいわ」

「二人きりって…いったい何処に行くつもりなんですか…⁉︎」


 クラスメイトたちに見送られながら、隼人は教室を後にした。


「…ねぇ、那由なゆはあの二人どう思う?やっぱりオークが何かしてるんじゃ…」

「んー、うちは別に興味無いしどうでも良いかなぁ…」


 そう言いつつ、少女は廊下を進む隼人を目で追った。

(厄介なことにならなければ良いんだが…)

 椅子の背にもたれかかり、後頭部で手を組む。


「…ねぇ、それ私への当てつけなの?そんなに巨乳を見せつけて那由はどうするつもりなの?」

「あっ、ごめんごめん!そんなつもりじゃ無かったんだ」


 ・ ・ ・ ・


「ここなら邪魔もあまり入らないでしょ」


 恭子に引っ張られてやって来たのは屋上だった。途中で手を振り解いても良かったのだが、昨晩の誤解を解く為には必要な機会だと考え、彼女に身を委ねることにしたのだ。

 屋上といえば学生の人気スポットであるというイメージを抱いていた隼人だが、どうやらここでは違うらしい。片手で数えられる程度の数のグループしかそこにはおらず、確かに恭子の言う通り誰かに邪魔されることなく昼食を取れそうだ。

 時折り恭子に熱い視線を送る男子も居るが、隼人に対して敵意を持つような者は居なそうだ。

 空いていたベンチに早速腰を下ろすが、生憎あいにく隼人はこのような場面で盛り上がるような気の利いた話題など一切持ち合わせていない。かと言って開口一番に昨晩の話をして相手の気分を害してしまうようなことは避けたかった。

 まずは緊張で渇いた喉をいちごミルクで潤わせる。

(俺に優しくしてくれるのは、美咲といちごミルクだけだな…)

 ぼうっと空を眺めていると、海苔の鉢巻を巻いたタコさんウインナーが突然目の前に現れた。


「やい、そこの男っ。お前は美咲って女とどういう関係なんだっ」


 見た目に反した高い声の持ち主であることに吹き出しそうになるが、笑いを堪えてその茶番に付き合う。


「…美咲は俺の妹だよ、タコさん。俺なんかとは違って良く出来た子でさ、今は中学三年生なんだ」

「けっ…、そうかいそうかい。そんじゃ、素直に答えてくれたお礼に、この俺様を食べてくれても良いぜ」

「そういうことなら、遠慮なくいただくよ」


 軽く焦げ目が付けられており、芳ばしい香りも漂ってくる。嗅覚と視覚で食欲を刺激されており、正直ひと目見た時から食べたいと思っていた。咀嚼する度に甘い肉汁が溢れ出し、これだけで米が何杯でも食べられそうだ。


「あぁ…っ、痛い、痛いよぉ…やめてくれ、俺様には家族が…大事な家族がぁぁぁっ!」

「……そんなこと言われたら食べづらいですよ‼︎」

「そう言う割にはちゃんと飲み込むのね」

「そりゃあ、美味かったんで…」

「そう?それなら作って良かった」


 幼な子のように屈託の無い笑みを溢す恭子を見て、隼人は不覚にも可愛いと思ってしまった。普段はクールに振る舞っている彼女の姿のギャップが大きいせいか、ほんの少しの笑みでも何故だかとても高価なものに感じてしまう。


「ただ…」


 彼女は態度を一変させ、今度は隼人を睨みつけて怒りを露わにした。今まで誰からも感じたことの無い程の威圧感だ。

 こうなってしまった原因に心当たりがあり、その怒りは確実に自分に向けられているものだと自覚する。


「昨晩、突然電話を切ったのは何故なのかしら…?」

「それはスマホの充電がなくなったからで…決して悪気があったわけではないんですよ」

「それなら良いのだけれど…電話したくないなんて言ってたから、てっきり嫌われてるのかと思ったじゃない。……隼人くんのばか」


 仕返しに隼人は二の腕をつねられるが、それは不快に感じるような痛みを生じさせるものではなかった。それでも何となく『いてて…』と反応はしておく。

 些細なことではあったが、こうして誤解を解くことが出来たお陰で、彼は胸の中でつっかえていたものがすっと消え去った。


「——ところで隼人くん。あなたは、今日の私を見て何も言うことは無いのかしら」


 恭子は自分の前髪を指差し、大きなヒントを与える。しかしながら昨日出会ったばかりの隼人には何のことだか分からず、とりあえず当てずっぽうで答えてみることにする。


「ヘアピン…ですか?」

「正解よ。分かっていたなら、顔を合わせた時から褒めて欲しかったものね」

「いやぁ、あはは…生憎そういうのには慣れてなくて…」

(本当は何のことだか分からなかっただけなんだが…)

「そう。気分転換に付けて来ただけなのだけれど…あなたの新しい一面を知れてなんだか得をした気分になったわ」

「そんな大したことですかね…?」


 パンを一口齧り、またまた視線を上げる。

(どうしてこの人は俺と関わろうとするんだろうか…。そもそも唐突に好きだなんて言われても、信じられないんだよなぁ…)

 隼人はおもむろにポケットの中からスマホを出して一枚の写真を表示させる。そこに写されているのは、暗がりの路地裏で服をはだけさせて尻餅をついている少女と、その子に懐中電灯の光を浴びせている男の姿だった。何故か男の顔は、雑に黒く塗られて隠されているようだ。それを隣の恭子に見せつけ、彼は問う。


「——これが何の写真か知ってますか?」

「ええ、よく知っているわよ」

「……これを見てどう思いますか?」

「最低だわ」


 彼女の素直な答えに息が詰まりそうになる。誰もが同じような意見を持っていることくらい分かっていたはずなのに、慣れていたはずなのに、何故かその言葉は隼人の心に深く突き刺さった。


「——決して許せるものでは無いわ。こんな下劣な写真を撮って、挙げ句の果てには拡散するだなんて」

「…っ、本当にそう思いますか?ここに立っている男——俺が下劣だとは思わないんですか?」

「この写真だけであなたを下劣だなんて決めつけられないわよ。これっぽっちの物では真実は分からないもの」

「……そうですか。先輩は変わってますね」

「そうかしら。それじゃあ、そろそろお昼休みも終わりそうだし行くわね。後片付けは頼んだわよ」


 いつの間に食べ終えていたのか、恭子の弁当箱は空になっており、彼女は手をひらひらと振ってその場を立ち去った。


「後片付けってどういう…」

「そこの一年生…きみは葵恭子とどういう関係なんだい…?」

「私たちと少しお話しましょう…?」

「あー、なるほどー、こういうことかー…。それでは先輩方、失礼します!」


 先程まで昼食を取っていたはずの者たちが、じりじりと距離を詰めてくる。恐らく恭子が言い残した後片付けというのは、この者たちの相手をすることなのだろう。

 隼人は慌てて食べかけのパンを袋に入れ、まるでゾンビのようにふらふらと近寄って来る彼らを背にした。


「あっ、逃げたぞ!捕まえろー!」


 ・ ・ ・ ・


「あっ、お兄ちゃん帰ってたんだ。なんだか今日はやけに疲れてるね…」

「まあなー」


 ソファで大の字になってだらける隼人の顔を、美咲が覗き込む。


「今日は放課後お見舞いに行ってたんでしょ?どうだった?」

「あと数日で退院するんだってさ。退屈だって嘆いてたよ」

「元気そうなら良かった。事故に遭ったって聞いた時は、お兄ちゃん真っ青になって心配してたもんね」

「べっ、別に心配なんてしてないし…」

「男のツンデレは需要無いよ。けど、数少ない友達は大切にしないと、いつ居なくなるか分からないからね。——私ね、人の命はパンツと同じだと思うんだ」


 これまでの人生で一度も耳にしたことも無いような台詞に、思考が追いつかなくなる。しかし、美咲は冗談を言っているような雰囲気ではなかった。


「どういうことなんだ?」

「はかないってことだよ」

「…………んん?」

「ん?」

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