第33話 『剣聖の修業 化身』
魔の森での修業が始まって三ヶ月。
剣聖の修業は、たった三ヶ月を一年以上に感じさせる濃密さと、死にそうな過激さで溢れていた。
「いででででで!」
俺は初日から変わらず、他の流派を教わっている。
エルフの流派、風耳流は師匠の攻撃を避ける以外にも、風に舞う葉や花びらを捕まえたり、蜂の大群に突っ込んで無傷で出てこいなんてものもあった。
「ぬおおおおおおおおお!」
ドワーフの流派、鉱腕流は岩を背負ったまま手合わせをしたり、もっと馬鹿デカい大岩を動かそうとしたり、滝に打たれながら剣を振ったりを繰り返している。
「ぬうぅぅぅぅん!」
魔族の流派、魔角流は三つの中で一番筋が良かった。
普通の人は魔法以外で魔力を制御するのが難しくて、体に留めておくのはかなり苦労するらしい。でも、一度も体から離れたことのない俺にはいつものことだ。魔法剣以外の使い道が見えて、飛ばない魔法も捨てたもんじゃねぇなと思えた。
「構えは……こう……もっと腰を落として」
最近はそれと合わせて、古今東西色んな刀剣の扱いについても学んでいる。
俺が悲鳴上げてる間に、岩を切り裂いて本物そっくりな石剣を作って教えてくれていた。こんなこと、剣聖じゃないとできないだろう。
「全部極める必要、ない……でも知ること……大事……知ってれば使えるし……対処も……できる」
そう言いながら基本はもちろん、自分よりデカい大剣や鞭みたいにしなる剣まで、思わず見惚れそうな剣技を見せてくれた。
本当にたくさんの経験を積んでいると思う。
けれどまだ化身習得どころか、その糸口すら見えていない。
「疲れたー!」
小太刀との手合わせのあと、クズハが寝っ転がって声を上げた。
束の間の休憩時間。
師匠はゴクウを連れてどこかに行ってしまっている。
「俺も体中が痛い」
「わたし、ずっと鳥を追っかけてばっかりなのよ? やっと捕まえてもどんどん数が増えていくし、魔物だって出てきたんだから!」
クズハは一週間で一羽目を捕まえて、嬉しそうに見せてきた。
でも、次の瞬間五羽の鳥が放たれて絶望してたっけ。
やべっ、思い出したら笑えてきた。
「なに笑ってんのよあんたぁ!」
「いたたたた! わ、悪かったって!」
今じゃ十羽にまで増えてるし、たしかに大変だよな。
ちょっと申し訳なくなった。
「えっと……そうだ。妖力って、闘気や魔力となにが違うんだ? 教えてくれよ、なんかきっかけが掴めるかもしれないだろ?」
クズハは顔を上げて、耳をピコピコさせた。
「そうねぇ、妖力は白狐の一族とか魔族の一部とか、限られた血族にしか使えないの。身体能力を上げるのは闘気に近いけど、合わせて魔法とは違う能力があるのよ。わたしの狐火や変化の術とか。あとは、難しいんだけど形状変化とか……」
赤い瞳が丸くなって、クズハはどんどん笑顔になっていった。
「そうよ、その手があったわ! ありがとうケイン、本当にきっかけが見つかったわ!」
抱きついてきた白いモフモフをなんとか受け止めた。
リースよりも少し柔らかくて、すべすべしてる気がする。特にこの尻尾とか。
「どどどどどどさくさに紛れてなに撫でてんのよ!!」
「いってぇ!」
思いっきり顔を蹴飛ばされたが、今のはたぶん俺が悪い。
師匠が戻ってくると、またそれぞれの修業に分かれた。
するとすぐに森からクズハの喜ぶ声が聞こえてきて、師匠がさらに十羽の鳥を放った。
そして、今日も夜がやってくる。
「くっそ~、上手くいかねぇな」
魔の森の夜は本当に暗い。
岩山から見下ろす木々が、空よりも深い闇を作っている。
あのあと、クズハは一日で十五羽の鳥を捕まえられるまでになった。俺のおかげだって言ってくれたけど、きっかけ掴んだのはあいつだ。すごいのは、あいつ一人だ。
俺は修業を始めてから魔角流以外、正直手応えがない。化身に関しても師匠は「時が来たら分かる」って言うだけだった。
師匠は本当に強い。そして、まだ二十歳だ。
俺が生まれて、ライオスとソランが親になったのも二十歳。そして、前の人生で俺が死んだのも二十歳。同じ二十年なのに、ここまで積み上げたものが違うのかと愕然とする。なんだか改めて、前の自分がちっぽけに思えてくる。
……ダメだ、なに弱気になってやがる。
「そういえば前に変な感覚があったな。獣の気配っていうか、なんていうか……」
ため息をついて、空を見上げる。
なんだか、いつもより夜空が明るい気がする。
「おぉ」
理由が浮かんでいた。
見たこともないくらい大きくて丸い満月が、神々しく輝いていた。
「……月といえば狼男……変身できねぇかな」
自分で言って馬鹿らしくて、鼻で笑った。
「してみるか?」
体の芯まで震えさせる声がした。
聞こえたのは耳元、気配はすぐ後ろ。
なんでこの距離に入るまで気づかなかった!
「なんでって、当たり前だろう」
心を読んだように笑う。
殴りかかろう拳を握り、素早く振り向いた。
「我は貴様なのだから」
そこにいたのは巨大な狼。
「この日を待っていた。我の力が最も高まる、この満月を」
大きな口で笑みを浮かべる。
なんでそんなに大きいのか聞いたら、キレるかな。
「……意外に余裕だな貴様。くだらんことを考えるわ。だがまぁ、答えてやらんこともない」
並んだ牙が見えたかと思うと、視界が一瞬で真っ暗になった。
「貴様を食べるためだよ」
なにもできないまま、頭から噛みつかれた。
痛みはない。けど、なんだか体がふわふわする。
「目を開けろ、馬鹿者」
ハッとして見ると、俺は岩山にはいなかった。
どこまで続いてるのか分からない黒い空間に、白い靄が漂っている。目の前には伏せの姿勢であの狼がいた。
「な、なんだよここ」
「安心しろ。とりあえず、死んではおらん」
「てめぇ、俺になにをした!」
「ちょいとひと噛みしただけだ」
「てめぇは」
「だぁ! もうやかましい! 少し黙れ小童が!」
一声吠えられただけで、とんでもない波動に晒された。
見えない力に押さえられてるみたいで、口も動かせない。
「よし。改めて、ここは貴様の精神世界。肉体はあの岩山に倒れておるよ。眠った状態だ……限りなく死に近いレベルでな」
例のデカい口が笑った。
いや、そもそもてめぇはなんだよ!
「我か? 言っただろう、貴様自身だと。我は貴様のもうひとつの姿、化身と呼ばれる存在だ」
当たっただけで骨が折れそうな尻尾が揺れた。
てめぇが化身なら、なんでこんなことするんだよ!
「貴様が求めたからといって、そう簡単に力を貸すわけなかろうよ。そんなに欲しければ、我の与える試練を乗り越えてみせろ」
「なんだそりゃ? 化身なら黙って協力しやがれ!」
解き放たれたように声が出た。
なんとか体も動く。
「化身とは」
頭に直接声が響く。
狼を蒼白い光が包んで、姿が見えなくなっていく。
「貴様らにとって鏡の存在。魂に潜む本質が姿を成し、超常が宿り生まれる力。己も気づかぬ己自身」
「意味分かんねぇよ」
光の中で、狼がこっちを見ている気がする。
「我が名は■■■■」
「あ?」
「聞き取れんだろう? まだ貴様にその資格がないからだ。我の力を使うというのなら、半端な使い方は許さん。この名を聞けるまでになってみせろ!」
「……分かったよ、どうせ修業中なんだ。で、その試練ってやつはなんなんだよ」
光が小さくなっていく。
さっきまでいたデカい影はない。けど、代わりに立っている奴がいる。だんだん輪郭が見えてきた。
まるで人間みたいだ。
「なに、簡単なことだ。我に触れるだけでいい」
光の中から男が出てきた。
俺はこいつを知っている。いや待てよ、こいつは死んだはずだろ。
だって、その姿は俺じゃねぇか。
「かつての貴様、餓狼と呼ばれた男。殴り屋、田中狼をどうにかできるならな」
前世の俺が、ニヤニヤしながら立っている。
馬鹿にした目で見下して、ポケットに手を突っ込んだまま唾を吐いてきた。俺が心底嫌いな奴にやっていた煽り方だ。
「……上等だよ」
こんなに悪趣味で腹立つことはねぇ。
名前なんて今はどうでもいい。ただそのツラは、俺が一番殴りたいツラだ。
「ドラアアアッ!」
腹の底から怒鳴り上げて、俺は俺に殴りかかった。
「ふんっ!」
「うおっ!」
先手必勝のつもりだったのに、いつの間にか持っていた金属バットがフルスイングされた。
間一髪避けたけど、危なかった。
「てめっ、汚ぇぞ! どっから出しやがった!?」
「ここは精神世界だと言っただろう。想像次第で武器くらい手に入る。安心しろ、我は田中狼の記憶にあるものしか造り出さん」
「そうかい! そんじゃ遠慮なく!」
理屈は分からねぇが、できるならやるだけだ。
冒険者になってから毎日握っている剣。重さも切れ味も全部思い出せる。
「オラァ!」
渾身の振り下ろし。
安物の金属バットなんかじゃ絶対に防げねぇはずなのに、いい音立てて弾きやがった。
そうか、想像のバットだから強度も上げられるのか。おもしれぇ!
殴り屋なんてただの喧嘩野郎、ケイン・ローガンの相手になるはずねぇ!
なのに……なんでだ。
なんで当たらない、なんで力負けする。
なんで倒せないんだよ!
「これ、覚えてるか?」
距離を取った俺に、田中狼の声が届いた。
完全にバッターの構えになってて、ど真ん中にはソフトボールが浮いている。
「小学生のときクラスの奴が打った球が、顔面に直撃したよな?」
言われて思い出した。
あの頃はまだ、クラスの奴らともいっしょに遊んでた。ある日、たまたま飛んできた打球が当たって、鼻血が出た。
それで、すぐ。
打った奴を殴りまくった。
「ぐあっ!」
もう名前も思い出せないクラスメイトが、一瞬だけ見えた気がする。
あのときと同じ打撃音のボールに、反応できなかった。
「それから一度も遊びに誘われなくなったよな? みーんな貴様を怖がった。そりゃそうだよな? 謝ってるのに聞かず、ボコボコにしてくるんだから」
「今さらそれがっ! どうした!」
殴りかかってくるバットを防ぎながら、ムカつく顔に吠えた。
「貴様は先生と話をしたときも、睨みつけて物に当たってばかりだったな。こんなふうに」
「や、やめろぉ!!」
ちょうど今の俺と同じ年頃の顔が、生意気に今にも噛みつきそうな目をしている。
「あのときから貴様は変わった。いや、終わったと言うべきか? その後は餓狼としての人生に一直線。あの死へと向かっていった」
離れた俺が右を指差す。
釣られて見てしまった先には迫りくる車。
あのとき俺を轢き殺した、母ちゃんが運転してた車だ。
「ぐあぁっ!!」
まさかもう一度、あのときの痛みを味わうなんて。
くそっ、体が動かねぇ。
「お前が! このっ!」
降りてきた赤いヒールに踏みつけられる。
「か、母ちゃ」
さらに踏みつける足が加わった。
小さい足は、俺にボールをぶつけたクラスメイトだ。
そいつだけじゃない。
ガキの頃、理不尽に泣かせてしまった奴ら。喧嘩でボコボコにした奴ら。殴り屋として手を出した奴ら。母ちゃんと、歴代の彼氏たちも全員集まって俺を踏みつける。
怒りと恨みを混ぜたような顔で、ぐしゃぐしゃの俺をかき混ぜる。
「やめ……やがれっ」
ここが精神世界っていうなら、心が折れなきゃ死ぬことはねぇんだろ。
残念だったな、俺には効かねぇよ!
「ぶっ殺すぞ! どけぇ!!」
見下ろす連中に怒鳴った。
でも、こんなドスの利いた声は俺じゃない。
いや、俺の声だけどもう俺のじゃないはず。
口から出たのは、田中狼の声だった。
「えっ……」
離れていたあいつを見る。
蒼白い髪と緑の瞳は、ケイン・ローガンそのもの。やったことのない冷たい笑顔で、俺が俺を見ている。
「か、返せ! それは俺のっ!!」
言葉を遮るように、落ちてくるものが増えた。
バット、椅子、木刀、石像、フライパン。
田中狼が武器として、人を傷つけるために使ったものたちが返ってきた。
「い、いでぇ! や、やべぼっ!」
痛みと恐怖が絶望になる。
体はデカくなったのに、膝を丸めて小さくなった。
涙が止まらない。
歯がガタガタ鳴って痛い。
なんでだよ、なんでなんだよ。
生まれ変わったのに、やっと幸せになれると思ったのに、こんな終わり方ってねぇよ。
誰か、誰か!
お願いだから!
「だれが……だず……げで……」
なんとか出した、掠れて捻れた声。
もう、それだけで限界だった。
『エケチェ〜ン、パパラケロ〜』
ハッと顔を上げた。
小さくて細い糸みたいな光が、俺を傷つけようとする人混みの隙間から射していた。
「今のは……ライオスの」
ハッキリと覚えてる。
生まれ変わってすぐに聞いた声。当時は初めて聞いた言葉だったから、意味が分からなかった。でも今なら分かる。これは「赤ちゃ〜ん、パパですよ〜」だ。
『愛してる』
ソランの優しくて温かい声。
あぁ、そうだ。あの微笑みが一番嬉しかったんだ。
『ケイン』
『にいさま!』
『ケイン様』
『ケイーン!』
いろんな声が聞こえる。
おじいさま、おばあさま、マリオス、ロア、メイ、ジョンやタイズ村の人たち。兄貴やクズハ、ティアさんに師匠、今まで出会ったいろんな人がいる。
みんなが、俺を呼んでくれてる。
「う、あぁ……」
無我夢中で、射し込んでいた光の糸を掴んだ。
それは手に形を変えて、しっかりと握り返してくれた。
『大丈夫っすよ』
聞き間違えるはずのない声と、見間違えるはずのない優しい手。
もう二度と感じられないと思っていた、リースのものだった。
「そうか……俺にはこんなに……」
引っ張り上げられるように立ち上がる。
姿は田中狼のままだ。
フラつきながら、敵意剥き出しで身構える人たちと向き合った。
「……本当に、すいませんでした」
誠心誠意、頭を下げた。
死ぬ前は、謝ったことなんてほとんどなかった。
言葉より先に睨んで、手を出して、追い打ちのように罵った。
相手の話なんて聞かない、気に入らないことは絶対に折れない。自分の言うことは、力づくでも聞かせた。
それがダメだった。
もっと、周りの人と話をすればよかった。素直になって、拳握ってた手を開くべきだったんだ。
だって、身分を越えて友達になったり、見た目が違う種族と愛し合ったりもできる。同じ人間なんだから、もっと簡単だったはずだ。
たった一言。
分からせるために傷つけるんじゃなくて、分かってもらうために言えばよかった。
ただ「助けて」って。
「……分かったか」
さっきと変わって、穏やかな表情の狼が佇んでいた。
今までのことが幻みたいに消えていて、体もケイン・ローガンに戻っていた。
「あぁ……なんでも一人で、力づくで解決しようとするのは俺の悪い癖だ。もっと、誰かに頼ってもいいんだよな。そうしないと、また同じことの繰り返しになる」
頭の上で、狼がフッと笑うのが分かった。
「そうだ、お前は一人ではない。これからは我もいるのだ。その命、勝手に散らすことは許さんぞ?」
「おう……なんだよ、お前優しいんだな」
「ふんっ、そう思うか? それは自分に言っているようなものだぞ?」
「それはちょっと恥ずかしいな」
なんだか得体のしれない奴だったのに、今は昔からの友達みたいに思えてくる。
「さて、そろそろ時間だ」
「……また会えるよな?」
見上げる顔が、嬉しそうに笑った。
「我は常に貴様と供にある。この力、存分に使うといい」
近づき、下げてくれた頭に手を置く。
触ることのできた体は、見た目よりも繊細できれいな毛並みだった。
「力が必要なとき、この名を呼ぶといい。我こそは魂の番犬、死を司る狼。我の名は……」
やっと聞けた名前を記憶に刻み、目を閉じる。
途端に光に包まれて、宙に投げ出される感覚が襲った。
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