第16話 『窓の景色』

 あったかい。天気が不安だったけど、晴れてくれてよかった。

 空には俺たちを祝福するかのように、光の贈輪フォトン・リースが出ている。


「おめでとう!」

「おめでとうございます!」


 みんなの喜ぶ声が聞こえる。

 分かってはいたけど、ちょっと照れくさいな。


「汝、病めるときも健やかなるときも、妻リース・ローガンを愛することを誓いますか?」


 太った神父が尋ねる。

 そんなもん、決まってるじゃねぇか。


「はい! 誓います!」


 ここまでいっしょに生きてきた。

 待ちに待った十五の誕生日。やっと迎えた結婚式だ。プロポーズしたあのときから、俺の気持ちは変わってない。


「汝、病めるときも健やかなるときも、夫ケイン・ローガンを愛することを誓いますか?」


 となりには、白いドレスに身を包んだリースがいる。

 シルクの白と金色の毛が、本当にきれいだ。もちろん、着てる本人が美人だってのが大きいんだけどさ。


「……せん」

「リース?」


 か細い声が聞こえた。

 リースらしくない。俺よりもハッキリ断言してくれそうなもんなのに。


「リース、どうした?」

「ごめんなさい、ケイン様。あーし、誓えません」


 頭を殴られた気がした。

 嘘だろ?

 俺なにかしたか?


「え、ちょっと待ってくれ。俺、嫌われるようなことしたか? 言ってくれ、直すから!」

「ちがうっす」


 俯いていたリースが顔を上げた。

 

 きれいに化粧をしていた顔は血の気が引いて、ドレスはボロボロになり、血が流れ始めた。


「あーし、死んじゃったんすよ。もう……ケイン様と結婚できない」


 血の涙を流して、リースが囁いた。


「うわああああああああああ!」


 胸が苦しい、息ができない。

 助けて、誰か助けてくれ。

 俺はいい、リースを、誰か助けてくれ!


「ケイン! ケイン! 大丈夫、大丈夫だからね。落ち着いて、お母さんがいるから」


 抱きしめられたところから、固まった体がほぐれていった。


「あ……あ、れ?」


 俺は自分の部屋にいた。

 ベッドの上で、汗だくで、ソランに抱きしめられていた。


「大丈夫、大丈夫だから」

「母……上。あれ? 結婚式は……リース、は?」


 あ、思い出した。

 思い出してしまった。

 リースは一週間前に死んだ。リースはもういない。リースとはもう話せなくて、触れられなくて、結婚もできなくて、二度と会えない。


「う……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺が俺でなくなる。

 いや、いっそ消えてしまいたい。

 なんだよ、なんなんだよ。

 こんなに辛いって、悲しいって知らなかった。

 なんで自分が死んだときより苦しいんだよ。

 なにが闘気だ、なにが魔法だ、なにが餓狼だ、なにが殴り屋だ。そんなものいらない。一人、たった一人いてくれるだけでいい。リースが生きてくれるだけでいいのに。


 愛した女一人守れなくて、なにが強さだ。


 叫んで、暴れて、ソランやみんなに抑えられて。

 何度も同じ夢を見て、何度も何度も同じことを繰り返して、気づけば窓から見える木の葉が色づいていた。


「……」


 あれから一度も部屋から出ていない。

 動く気力も喋る気力も湧かない。体はソランやメイたちが拭いてくれる。便所にも行かないからこの年でオムツを履かせられたが、なんとも思わなかった。


「ウキィ……」


 最近、ゴクウが窓辺に薬草や木の実を置くようになった。

 でも、いらねぇ。

 余計なことせず、寒いんだから森にいろよ。


「にい」

「……ん?」


 静かに部屋の扉が開いた。

 マリオスがとことこ歩いて、俺の顔を覗き込む。

 いつの間に歩けるようになったんだ、こいつ。


「にい、こえあげゆ。げんきだぁて」


 抱きかかえたぬいぐるみを差し出してきた。

 それは、生まれたときからずっと大事にしてるクマのぬいぐるみだった。


「……いらねぇ。お前の……だろ」

「めっ! くまたんぎゅーちて! ぎゅーちたら、げんきなぁる!」


 なんでだろう。

 なんか馬鹿にされてる気がして、無性に腹が立った。


「なるわけねぇだろ!」


 クマを投げつけて怒鳴った。

 あぁ、最低な兄貴だ。


「う……うわああああああああああん!」


 マリオスの泣き声に、メイとソランがすっ飛んで来た。

 勝手に入ったことをマリオスは注意されて、俺はなにも言われなかった。

 いや、おかしいだろ。

 どう考えても悪いのは俺なのに。


「なんだよ……」


 腹を立たせるのにも疲れた。

 もう、なにもしたくない。


「……ケイン」


 懐かしい声で我に返った。

 開いた扉の前にライオスがいる。いつの間にか、木の葉は全部落ちきっていた。


「父……上?」


 掠れた声しか出ない。

 いつぶりに喋ったかも分からない。


「大丈夫か? 王都に知らせが来てな。急いで帰ってきたんだ。その……いろいろ聞いた。村のことも、リースのことも」


 気まずそうに視線を逸らす。


 俺は久しぶりに聞いた名前に、体が動いた。自分でも、訳が分からない。


「あんたが! あんたが!」


 よろけながらベッドを飛び降りて、ライオスに掴みかかった。


「あんたがいてくれれば! リースは、リースは死ななかった! なんでいてくれなかったんだよ、なぁ! あんなに強いのに! なんで……なんでだよぉ!」


 自分でも情けなくて、ライオスに怒鳴っても意味がないことは分かってる。

 でも、言わないと気が済まなかった。

 気づいたら、体が動いていた。


「すまん……すまん」


 ライオスは悪くないのに、全部受け止めて謝った。

 

「うぅ……くそぉ……」


 力がそれ以上出なくて、ライオスに縋るように崩れ落ちた。

 まだ涙が枯れてなかったんだと、驚いた。


――――


 雪が降り始めた。

 まだ積もってはいない。遠くの家が、玄関先に飾り付けを始めている。年末が近いことを意味していた。

 

 また、なにも感じないまま時間だけが過ぎた。

 どんだけ無駄なんだ、俺は。

 ……あぁ、そうか。このまま生きていても無駄なんだ。

 そうだよ、簡単なことじゃねぇか。

 俺もリースと同じところに行けば。


「……ケイン様〜」


 久しぶりに動こうとしたとき、珍しい声がした。

 ノックのあとに入ってきたのはロアだった。なにか細長い箱を手に持っている。


「……」

「これ、ケイン様にお届け物です〜」


 俺に?

 そんな遠くに知り合いはいないのに。


「リースからです〜」


 体が反応した。

 思わず目を見開いて、ロアの手元を見つめた。


「そんな……わけ」

「生前に頼まれていたものを、先程ご友人の方が持ってきてくれました〜。なんでしょうね〜?」


 心臓が痛いくらいに鳴る。

 中身を知りたいのに、見たくない。自分がどうしたらいいのか、分からない。

 なんで、ロアはこんなものを持って来たんだ?

 ロアの声は、驚くほどいつもと変わらない。


「……ねぇ、ケイン様」

 

 柔らかく笑うエルフ。

 もう見慣れたけど、初めて見たときはCGかって思うくらいきれいに見えた。


「私、来年で二二七歳になるんですよ〜」


 数字がデカ過ぎて、ピンと来なかった。

 エルフの寿命は長いって聞いてたけど、ロアもそれなりに生きてたのか。


「百歳のとき里を飛び出して〜、ケイン様のひいお祖父様と出会って以来、ローガン家にお仕えしてます〜。もう、百年は経ちますねぇ」


 なんでこんな話を始めたのか、意味が分からない。

 荷物を置いていくなら早く行ってくれ、持って行くならそうしてくれ!


「その間に、いろんな人とお別れしました」


 いつも微笑んでいた顔に、初めて影が見えた。


「私ね、ケイン様。リースのこと、妹みたいに思ってて、とっても可愛くて、大好きだったんです。だから……私も悲しくて仕方なかったんです」


 そんなの知ってる。

 俺だって、いや、俺のほうが悲しい。

 今さらなにを聞かせてくるんだ。


「でもね、泣けなかったんですよ」


 ハッとして目を見つめた。

 悲しくて堪らない表情。いつでも泣いておかしくないほどなのに、涙は一滴も溢れない。


「……今になって、他のエルフが森から出ない理由が分かりました。私たちは、他の種族と共に生きるには時間の流れが違い過ぎる。いつから泣けなくなったのかさえ、思い出せません。当たり前になっていましたが、ケイン様を見ていて、とても大切なものを失くしたことに気づきました」


 優しい手が頬に触れた。

 まるで小さな花に触れるように、そっと。


「ケイン様、どうか自分を悪く思わないでください。誰かの為に悲しみ、死を嘆き、涙を流せる貴方は優しい。それだけで尊い命なのです。どうか、ご自分を捨てないで。暗い絶望に飲まれないでください」


 さっきまでの考えを読まれているんだろうか。

 ロアの言葉から、説明できない感情を感じた。心の底まで見通しそうな透き通った瞳に、俺は頷くことしかできなかった。


「……ありがとうございます。じゃあ、これ。置いておきますね〜」


 いつものロアに戻ったかと思うと、小包みを置いて部屋を去っていった。


 緊張が全身を駆け巡る。

 手が震えて仕方ないが、なんだかロアが背中を押してくれた気がする。どうにか、体を動かすことができた。


 まずは厚い封筒を開けて、手紙を読むことにした。

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