天涯孤独の狼は異世界で幸せを求める
末野ユウ
第一部 餓狼、異世界に転生する
第1話 『生まれた命』
なんだ、なにが起きた。
体に力が入らねぇ、声も出せねぇ。
視界がぼやける……おぉ、見えてきた。誰かいるのか?
「エケチェ~ン、パパラケロ~」
見えたのは、間近に迫った男の変顔。
俺と同じ二十歳くらいだろうか。顔に合ったふざけた声で、話しかけてくる。
なんだてめぇごらぁ! ぶっ殺すぞ!
怒鳴ると同時に拳を突き出した。
はずだった。
「おぎゃあ!」
口から出たのは、覇気とは程遠い泣き声。
そして見えた手は柔らかく、小さいものだった。
……は?
なにがなんだか分からない。
というか、目の前の男がやたらデカい。俺を抱きかかえて、そのまま別の人間に渡した。
「アラアラ、ベクリセッチャテネ」
次に出てきたのは、すげぇ美人。
汗ばんでいて、息が荒い。ベッドの上っぽいし、ヤったあとか?
いや……そんな感じではないな。男は明るい水色っぽい髪で、女は金髪。女のほうは胸もデカいし目も緑だし、外国かここ?
「カーイイネー」
「イッパダオスノコダ」
顔を覗き込む別の男女、こっちは中年くらいか。
首が思った方向に動かせないけど、他にも何人かいるようだ。天井は見覚えないし、こんな奴らも知らない。
「オシオシ」
美人が俺の頭を撫でる。
妙にくすぐったくて、あったかくて、優しかった。
やめろ、何様だてめぇ。
ってか、さっきからなに言ってんだてめぇら!
また怒鳴ろうとして、女を睨みつけた。だが、微笑む女の顔よりも、胸に下がったペンダントに目がいった。丸くて金色で、俺の顔が映っている。
いや……これ、俺か?
イメージする自分の顔ではなかった。
見たこともない小さな顔。
生まれたばっかの赤ん坊が、くしゃっとした顔で睨もうと必死になっていた。
なんだこれは。
なにがあった。
思い出せ、俺はなにをしていた。
思い出せ、俺は誰だ。
ゆっくりと息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
なにがいいのか分からんが、周りの大人がキャッキャと騒いだ。
名前は
年は二十。性別は男。日本で生まれた。あだ名は
仕事は、殴り屋。
そして……あぁ、そうだ。
俺は、死んだんだ。
――――
我ながら、ろくでもねぇ人間だったと思う。
学校なんてほとんど通わなかった。誰彼構わず喧嘩して暴れまくったせいで、みんな餓狼なんて言って怖がった。殴り屋なんてのも、俺が勝手に名乗っていただけだ。
依頼があった相手をボコって、金をもらう。ガキの頃から似たようなことをしてきたからか、裏稼業の奴からも仕事をもらった。そのせいで、真っ当な生き方は十五のときには出来なくなっていた。
でも、こんな俺でも決めた筋ってもんがあった。
絶対に、弱いものいじめはしない。
依頼のあと、必ずターゲットのことを調べる。恨み抱かれても仕方ねぇクズなら、徹底的にボコボコにする。でも、逆恨みとかなら断る。結果、元依頼主を代わりにボコボコにしたこともあるし、武装した奴とか集団相手に立ち回ることもあった。何度も死にかけたが、ギリギリでいつも生きてきた。
そんな俺に友達はいない。
絶対に誰にも言わなかったが、女を抱いたこともない。
常に誰かに狙われていたし、恨まれているのも自覚していた。だから、一人のほうが生きやすかった。
家族のことは……考えたくもなかった。
あのときまでは。
「おい、大丈夫か?」
なんで声をかけたか、今でも分からない。
でも、平日の昼でバス停には俺以外いなかったし、急にうずくまった女の腹が大きかったから、なにかしなくちゃと思ったのかもしれない。
「う、うま、れ、」
女の足下に血が流れる。
今まで何度も怪我をしてきたし、相手の返り血だって浴びてきた。血には慣れてたはずなのに、このときは心底慌てて、軽くパニクっていた。
「ガ、ガキか? ガキが生まれるんだな? ちょっと待て、えっと、この上に横になれ!」
「で、でも、服が」
「どうでもいいこと気にすんな!」
上着を脱いで、道に敷いてやった。
女はその上に遠慮しながら座ると、また苦しみ始めた。
「待ってろよ! 今救急車を呼んでやる」
電話をかけ、二十分はかかると言われた俺は、電話に向かって怒鳴り散らした。
そのとき、運よく一台の車が通りかかった。
「おらぁ!」
全然減速しようとしなかった乗用車に蹴りを入れ、無理やり止めた。
「な、なにすんだ! 危ないだろうが!」
「うるせぇ! いいから乗せろ! ぶっ殺すぞ!」
状況を理解したのか俺の気迫に怖気づいたのか、サラリーマンらしい男は病院へ向かってくれた。
「うぅ……くうううう!」
「頑張れよ! 負けんな! 喧嘩は気合いで負けたら終わりだぞ!」
「兄ちゃん、これ喧嘩じゃないよ?」
普段なら絶対イラついていたが、サラリーマンにツッコまれてもなんとも思わなかった。
というか、余裕がなかった。
人を殴ったこともないようなきれいな手が、信じられないほど強い力で手を握る。俺はただ握り返しながら、意味のない言葉をかけるだけで虚しいほど無力だった。
病院に着くと、連絡をしていた旦那と合流した。
喧嘩は弱そうだが、言葉遣いも丁寧で人の良さそうな男だった。
少しして、無事に赤ん坊が生まれた。
廊下にまで声が響く、元気な男の子だった。
「本当にありがとうございます! なんとお礼を言ったらいいか……」
「いや、べつに」
真っ赤にした目で、旦那が頭を下げる。
普段言われる礼とまったく違うものに感じて、少し恥ずかしかった。
「お洋服は新しいものを買ってお返しします。それと、あまり多くはないですが」
「いらん。服は捨ててくれ。リーマンの車も気にすんな、俺が払っとく」
続く言葉は想像できたので、途中でぶった切った。
にしてもすごいな。
どうみてもカタギじゃない俺に、ここまで感謝できるのか。
「え! いや、そんな。そこまでしていただくわけには。せめて、車の清掃代はこちらで」
「……いい親だな、あんたら」
気づいたら、旦那の肩に手を置いていた。
「俺の親はどうしようもねぇクズだった。今は生きてるのかすら分からねぇ。でも、あんたらは違うと思う。ちゃんと、愛情ってのを注いでやれる人間だ。俺は見ての通り、胸張れる生き方してないからよ。あんたらみたいな人は、関わっちゃいけねぇんだ。俺に時間と金を使うくらいなら、息子に使ってやってくれ。あの子は、俺みたいにならねぇようにしてやってくれ……頼むよ」
語りながら、どんな顔をしてたんだろうか。
俺を見つめる旦那の顔は、悲しいような優しいような、なんとも言えない表情をしていた。
「じゃあな」
それ以上なにも言わず、病院の外に出た。
歩いて帰るつもりだったが、外にはあのリーマンが立っていた。
「あんた。すまなかったな、巻き込んで。さっきも言ったけど、車の修理と清掃代は俺が持つからよ」
「そんなこと分かってるよ。会社に電話して事情説明してたのが、今やっと終わったんだ。どうだ、兄ちゃん。飯でも行かねぇか?」
「あ? 俺と?」
リーマンは「おう」と笑った。
「すんげぇ仕事終えただろ? 祝杯くらい上げてもいいと思わないか? 車はここに置いてていいことになったからさ。パーッといこうぜ!」
不思議と嫌な気はしなかった。
そういえば、仕事以外で誰かと飯を食うなんて、いつぶりだろう。
「あの!」
声をかけられて振り向くと、あの旦那が息を切らせて立っていた。
「しばらく、妻と子どもはここに入院しています。どうか、顔だけでも見に来てください。どうしても、あなたに見てほしいんです。あなたが救った命を」
今まで出会ったことのないタイプの人間。
こんなに眩しいと思える人がいるのか。
俺の中で、返答の選択肢がひとりでに絞られていった。
「……分かった」
俺の言葉に、旦那はパアっと明るい顔になった。
「おーい、オレもいいですかー?」
「はい! もちろんです!」
「おー、よかった。あ、今から二人で一足先に祝杯上げにいきますけど、旦那さんも落ち着いたら一緒にいきましょう!」
「いいんですか? じゃあ、楽しみにしてます!」
リーマンの人懐っこい笑顔に、旦那の緊張もほぐれたようだった。
そして、気づけば俺も笑っていた。
「よっしゃ、いくぞ兄ちゃん!」
「……おう」
今日初めて会ったリーマンの元へ歩く。
なんだか、生まれ変わったような気分になっていた。
もしかしたら、今日から今までと違う人生を生きられるかもしれない。
俺みたいなクズでも、幸せってもんを感じられるかもしれない。
そう、思ったのに。
「兄ちゃん!」
「危ない!」
聞こえたのは、二人の叫び。
感じたのは、俺を轢く古い乗用車の冷たい感触。
見えたのは、運転席の女の顔。
久しぶりに見た、母親の顔。
「お前が! このっ!」
壁に衝突したあと、わざわざ降りてぐしゃぐしゃの俺をさらに踏みつける。
ひでぇな、母ちゃん。
俺だって分からねぇのか?
俺は一目で分かったぞ?
いや……分かったうえでやってんのかもな。
リーマンが母ちゃんを殴った。
旦那が必死で俺を呼ぶ。
でも、もう答える力もない。
なんだか異様に寒くて、目の前が真っ暗になっていく。
そんな中、最期に浮かんだのはクズの俺らしくない言葉だった。
神様がいるなら、どうかあの赤ん坊を幸せにしてやってくれ。
俺たち親子のようなクズを、近づけないでくれ。
あの両親といっしょに、毎日笑える人生を送らせてやってくれ。
でも、嗚呼。
ちょっと、羨ましいな。
あったかい家族って。
――――
……生まれ変わってるよな?
改めて周りを見てみる。
きっと水色髪の男は父親で、この金髪美人は母親。
中年の男女はじいちゃんとばあちゃんで、他に感じる気配は医者かなにかだろう。
今の俺が赤ん坊なのは間違いない。
生きてる間にいい行いをしたとは思えないが、とりあえず神様と仏様には感謝しておく。
でも言葉は分からないし、ここが病院だとは思えない。
きっとあれだ。
めちゃくちゃ田舎の海外だ。
「……アイミーテル」
なにを言っているのか分からないが、母親が俺の額にキスをした。
なんて優しい顔なんだ。
最期に見た、前の母親とはまったく違う。
顔を覗き込む誰もが、幸せそうにしている。
まるで、あのときの旦那のように。
温かい気持ちの内側で、昔の記憶が蘇る。
子どもの頃の嫌な記憶。
痛くて、寒くて、腹減って、悲しくて、寂しくて、辛い。
『あんたなんて、生まなきゃよかった!』
毎日のように母親に言われた言葉が反響した。
……嫌だなぁ。
この人たちも、いつかあんな風に睨んでくるんだろうか。
俺がちゃんとしていれば、前みたいなクズじゃなければ、ずっと笑ってくれるんだろうか。
……なぁ。頑張るから、俺。
ちゃんと言うこと聞くし、なんでも食べるし、勉強もする。
わがままも言わないからさ、だから。
ずっと今みたいに、笑ってくれよ。
溢れてきたものが抑えられなくて、大声で泣いてしまった。
信じられないことに、両親や祖父母はそれすら嬉しそうに笑った。
いくらやめようとしても、涙は止まらなかった。
きっと、赤ん坊になっちまったせいだ。
そうに決まってる。
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