第17話 16 笑わない男
私は、今も兄から貰った水晶玉を持っている。この施設に入る時に、もしもポケット検査まであったとしたら、こいつも取られていたかもしれない。
私は、今も兄の言った言葉を信じている訳ではなかった。ただ、大好きだった兄の形見の品と思って持っているだけだった。
施設の小さな部屋で、その小さな水晶玉を取り出すと、親指と人差し指でつまみながら兄のことを思う。幸せに暮らしているだろうか。それだけだ。
然し、そうやって水晶玉を見つめ続ける時間も無くなっていった。最近では、あの黒い霧が一人歩きをしだしているように思えたからだ。落ち着いて水晶玉を見る気になれない。今も扉の窓の外で、廊下を音も無く黒い霧が伸びてきている。見えると言うよりも感じるのだ。扉の窓は、職員達が従順な子犬達を監視するためにある。
黒い霧は、別に何をする訳でもなかった。職員達のように私達を監視している様子もない。次の獲物でも探しているのだろうか? 私には黒い霧の意図は分からなかった。ただ、その不気味な霧は人の意志を自由に動かし、不幸を与える。それだけは事実のように思えた。
黒い霧が引いていくと、やっと私は我慢していたトイレに行く。不思議なことに、黒い霧が引いた時に廊下へ出ると、若く髪の毛を短く切り揃えた笑わない男が何処かに必ず居たと言うことだ。廊下の角や、職員室の扉の前、時には電灯を落とした暗い食堂の中で。
笑わない男と黒い霧、何かの関係が有るはずだと気付くには、さほど時間は掛からなかった。黒い霧は、笑わない男の口や鼻の穴から、水蒸気を噴き出す加湿器のように流れ出していた。この男は、私が黒い霧が見えていることを知っているのだろうか? もし知っていたとしたら、もし気付かれたとしたら、私は、どんな仕打ちを受けるのだろうか? 今までの子供達や職員のように、私は自殺をすることになるのだろうか? このまま生きていたいと思った事はないが、自殺をしようと思ったことも無い。自殺を試みるというのは、どんな気持ちなのだろうか? 自殺をした者達の中で、私は飼い慣らされた従順な少年の最後を見た。施設長の最後も見届けた。あの黒い霧と、空に向かって飛んで行った白い雲を。死にたくない、私は小さな声で呟いた。
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