ディストピアの日常
広晴
01.学生さんたち
この社会はもうずいぶん昔から上位者によって管理されている。
上位者が具体的にどんな存在であるかは、統治が始まった当時から様々に論議されてきたが、はっきりしたことは分からないままで、分からなくとも問題は何も起こらなかった。
僕らの生活は「代理人」と呼ばれる存在に常に監視され、まじめに努力していれば生活水準は徐々に向上していき、手を抜くことが多い人間や、やる気を見せない人間はその逆となる。
犯罪者は多くの場合、C級市民に落とされて別の町へ移送され、会うことはなくなる。
自由を求めてデモ行進を行う人たちはまだ時々いて報道されているが、犯罪や迷惑行為がない限り、放置されている。
この時代にもまだ学校はあり、家から通学を行っている。
健康維持のために通勤・通学は有効である、という理由らしい。
学生の僕にはあまり変わり映えのない穏やかな日々であったのだが、少し前はややごたついていた。
それというのも隣家の幼馴染(といくらかは僕)が原因だった。
幼馴染は美しい少女で、物心ついたころにはもう隣家に住んでいた。
家族の交流もあり、はっきりと男女の間柄であると口に出すことはなかったが、自然と互いに自身のパートナーとして見做すようになっていった。
休日にはできるだけ同じ時間を過ごし、買い物、映画、散策、互いの部屋でのんびり、と少しずつ仲を深めていった。
クラスも常に同じで、学校でも公認の仲と言って良かった。
18歳になった春に僕は自分の部屋で幼馴染をベッドに優しく押し倒した。
幼馴染が目を閉じ、体から力を抜いた時、それは起こった。
「代理人より警告。『野村由美』は統治歴352年5月2日より男性のパートナーがおり、現在の行為は不貞行為に当たる可能性があります。
現在の『野村由美』の等級では複数のパートナーを持つことは認められていません。
現在のパートナー『江口明泰』を含む全員に通知が送られましたので、『野村由美』『江口明泰』『原田大樹』の3名およびその保護者で相互確認の上、適切な対応を協議してください。」
その無機質な音声が部屋に響いてからは大騒動であった。
幼馴染は泣きながら「違うの」「好きなのはあなただけ」と繰り返し、江口とかいう男(同級生らしい。クラスが違うから知らない。)は「こいつは俺の女だヘタレ野郎」と叫び、うちの両親は険しい顔で黙り、野村、江口両家の親はお通夜状態であった。
◆◆◆
僕はといえば、「やっぱりこうなったか」とため息をついていた。
統治歴352年5月2日、今からおよそ1年前に僕には「代理人」から携帯端末へメッセージ通知が来ていた。
「代理人より通告。『原田大樹』のパートナー候補と見做されていた『野村由美』が別の男性からの申請に応え、パートナー関係になりました。
『野村由美』に通知を行いましたが、現在のところ返答はありません。」
この通告があったとき、僕は信じられなかった。信じたくなかった。
でも「代理人」は嘘をつかない。
「代理人より助言。『野村由美』が代理人からの警告を無視して本日パートナー関係となった相手と性的関係を結びました。
即座に『野村由美』との関係を解消し、物理的に距離を置くことを推奨します。
その場合、『野村由美』に『転校』してもらうことを含め、『原田大樹』の希望に沿う形にすることができます。」
僕はすぐには何も言えず、「代理人」に返信することもできなかった。
しばらく一人で泣いたあと、「代理人」に頼んで、1か月の間、政府のランダムモニターとして家を離れ、一切の連絡を絶ってもらう形にしてもらった。
家族、幼馴染、学校の友人から連絡があったそうだと後で知らされた。
与えられたワンルームマンションで、急で時間制限付きの一人暮らしをする間、「代理人」に依頼すれば、たいていのことは受け入れてもらえたが、健康を維持するために毎日の運動を強制され、食事は栄養が完璧に管理された。食事はすごく美味しかった。
はじめのうちは無気力に過ごしていたが、徐々に体を動かすことに没頭していった。
今まで授業以外ではやってこなかったが、運動している間は辛さを忘れていられた。
体をいじめることで逃避していたのだろう。
1か月が経ち、家に帰った。
「話すなと言われている」と伝えればそれ以上は誰からも追及されなかった。
こうした政府からの急なモニター依頼は過去にも年一、二回、学年に数人くらいはあると皆知っていたからだ。
僕は幼馴染にパートナーのことを話して欲しいと思っていた。
「別の男から申請されて幼馴染はそれに応えた」と「代理人」は言っていた。
それは紛れもなく幼馴染自身の選択だった。
わがままを言えば男女の関係になる前に話して欲しかったが、すぐに話してくれれば何も言わずに距離を置くつもりだった。
幼馴染とそのパートナーの関係は続いているらしい。
「代理人」からは何度も離れることを勧められたが、その都度、「代理人」にはもう少し時間を欲しいとお願いした。
半年経っても何も言われなかったとき、僕は諦めた。
変わらない幼馴染の姿におぞましさを感じ、運動に没頭して幼馴染と過ごす時間を減らした。
それでも休日には幼馴染と過ごす時間を作り、互いの部屋を行き来する時間も作った。
踏ん切りがつかなかったのと、やはり諦めながらも話してくれることを期待していたのだろう。
両親はなんだか優しくなった。
いろいろな理由で、隣家と過ごす時間があからさまに減った。
助かったと思っていたが、今思えば、両親には知らされていたんだろう。
さらに半年が過ぎたが、幼馴染は何も言わず、態度も何も変わらなかった。
「最近、一緒にいられなくて寂しい」と目に涙を浮かべながら言われたが、僕は何も感じず、それらしい言葉を並べて笑顔まで見せた。
その瞬間、携帯端末に「代理人」からのメッセージがあった。
「代理人から警告。『野村由美』と距離を置くことを強く推奨します。
『原田大樹』に著しい悪影響がみられています。」
僕は家に帰り、「代理人」と相談した。
たくさん質問し、できること、できないことを確認し、「代理人」のおすすめと僕の希望をすり合わせていった。
翌日、僕の部屋へ招かれた幼馴染を僕はベッドへ押し倒した。
拒絶して欲しかった。
そして話して欲しかった。
でも幼馴染は、目を閉じ、体から力を抜いた。
微笑んでさえいた。
ああ、やっぱりか。
君のもとへも「代理人」からのメッセージは何度も届いていたはずなのに。
◆◆◆
「江口明泰」は「転校」した。
もう僕と会うことはないらしい。
彼のもとにも「代理人」から警告が送られていたらしく、それは無視されていたようだ。
彼の両親は最後まで真摯に謝罪しているように見えた。
「野村家」は引っ越した。
僕が1か月間いなくなったときに何も感じなかったのかと聞いたが何も答えはなかった。
「野村由美」はまだ同じ学校に通っている。
「ずっと好きだった。魔が差しただけ。『転校』はイヤ!」と頑なに主張したため、それが容れられた形だ。
僕はもう会いたくなかったので「転校」を勧めたが、聞き入れられなかった。
すぐに急なクラス替えがあり、クラスは離れ、教室は棟すら違うのでもう後ろ姿さえ見かけない。
「野村家」の引っ越しによって帰る方向も真逆だ。
幼馴染側から僕へ近づくことはあの日以来禁止してもらった。
一度、昼休みに遠い廊下でけたたましい警告音が鳴り響き、僕以外のクラスメイト全員の携帯端末が鳴動したことがあった。
般若のような顔をした女のクラスメイトたちが廊下へ飛び出していき、僕の友人たちが僕の近くへ急にやってきて生涯収入の話を始めた。
「どの職種がねらい目なの?」と聞いたら「知らん」と言われた。
だいぶ経ってからニュースの自由を求めるデモ行進で、幼馴染に似た顔を見た気がしたが、すぐに見えなくなったため自信はない。
両親には相談しなかったことを謝った。
「少し淋しかったが、『代理人』から話を聞いていたし、隣家との仲を考えると言いにくかっただろう。気にするな。」と言われた。
三人で旅行に行くことになったので、夕食のたびに三者三様の希望を互いに戦わせあっている。
あれ以来、正直にいって女性全般に対して引き気味であったが、なんとなく気になる女性ができた。
般若のような顔をして廊下へ飛び出していった子らの一人だ。
生涯収入の友人と下校中に、急に呼び止められ、「好きなプロテインは何ですかっ!?」と聞かれた。
「プロテインって食べたことないんだけど、おすすめある?」と聞いたら、「わかりませんっ!」と言われた。
生涯収入と般若三人娘ちゃんたちと過ごす休日は、楽しい。
<終>
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