エピソード23 カラダ
光が収束し、やがて例の部屋に戻った。
さっきと少しちがう点は、外の雨が小さい窓を叩きつけているところのみ。
床で横たわるレラ。見た感じ、あの幻想に包まれる前と変わりがない。
一瞬キモを冷やしたが、呼吸は自然で、落ち着きをみせていた。
(あれ、これって──)
そして肝心の僕はというと、すぐさま自身の違和感に気付く。
順を追って、まず視線が高い。
今までは身長なんてものがなかったため、ほぼすべてのモノが見上げる対象だった。しかし、いつもより頭三つ分ぐらい高くなっている。
視線を下ろして、”自分の体”を見る。
手足がある。胴体がある。小さいながらもヒトの形に似た、立派なカラダがあった。
色は黒一色。マナのドロである。
手を握ったり開いたりして実感を噛み締める。三本しかない指だが、第一から第三関節までしっかりと動く。
足は指先こそ分かれてないが、ヒトと同様、跳んだり走ったりできそうだ。
かるく
なんでこんな成長を
(体を手に入れたぞぉーー‼︎)
押し寄せてくる感情の津波。それを体現するかのように、僕は踊り続けた。
どんぶらこ〜どんぶらこ〜。
どっこいしょ〜どっこいしょ〜。
(って、こんなことをしてる場合じゃない)
すぐにレラを助けてくれるヒトを呼びに行かなければ。
──バタンっ!
そこで玄関から扉を開ける音がした。
続いてドタドタと
「レラ!」
まず入ってきたのはあの男──ノーツが
「アイン!」
後ろからカナリアとヴァン、クリスも
雨に打たれたのだろう。床をびしゃびしゃに濡らしながら、狭い部屋は一気に
「どいて!」
部屋に入るなり、真っ先に行動を起こしたのはクリスだった。
どうして彼女がここにいるのか、それは分からない。ただ、レラの元まで駆け寄って体を起こす。
「レラ……!」
「下手に
スッパリと断られる。
「ごめん。苦しいかもしれないけど、少しガマンしてね」
そこから少しのあいだ、沈黙が流れた。
脈を
クリスの
適切な処置。おそらく、そこらの治癒師であるなら適当に魔法をかけているところだろう。
彼女はそれをしない。
何が原因で、何が体に影響しているのか。把握し、理解する。今後の治療のために。
「これは──」
手が止まった。
レラの心臓。それより少し上にある胸骨あたりを
「……先生?」
カナリアが不安を感じ、声をかけたところで、
「ん……っ」
彼女の目が開いた。
「レラ!」
ノーツが喜びの声をあげる。
「うん、彼女は無事だよ。驚くべきことにね──」
「立てる?」とレラに聞きながら、クリスは彼女をベッドまで誘導させた。
ようやく緊張が解け、部屋は安堵に包まれた。
心なしか、外の雨音も弱まってきているようにみえる。
「ごめんよ、レラ。俺が
落ち着きを取り戻したところで、ノーツはベッドに座るレラに謝罪を述べた。
「兄さま。レラはまた、生きて兄さまに会えたことに感謝してるの」
「────」
「レラはもうだいじょうぶだから。だから兄さま……もうどこにも行かないで……」
「先生、これって──」
兄妹の感動シーンを
彼女は片目を
「アインくん、だね」
たしかに僕がやった。
しかし、具体的にどうなったのか分からず
「てか、コイツ見た目が──」
クリスが詳細を語る前に、ヴァンが気づいた。僕をひょいっと持ち上げて確かめてくる。
首筋を乱暴に掴んでくるのが
(ネコ……? ──ッ!)
突如、バチっと記憶がフラッシュバックする。
生前、僕が元いた世界。そこに『猫と
そうだ。”猫”とは、僕の世界にいた動物──
「おーい」
(……ヒトがせっかく思い出してるってのに)
いつまでも宙ぶらりんにしてくるヴァンに苛立ちを覚えた。猫の気持ちが少しわかった気がする。この世界に猫がいるかは
しかし、いつまでもやられてばかりじゃない。今の僕には、動かせる体があるのだ。
ありったけ腕を振りまわし、足もジタバタしてみせた。
「うおっ! 急に暴れやがった!」
「ちょっと、アインに何してるの!」
カナリアが頬を膨らませながら僕を奪還。脇に手を入れて抱えあげた。赤ん坊にやる『たかいたか〜い』のアレだ。
感想は、地面に足が着かないことへの恐怖感が
僕がじっと堪えていると、ヴァンが吹きだして笑った。
「カラダ、すげぇことになってるぞ」
視線を下げると、僕の胴体はデローンと伸びていた。もう少しで床に足が届きそうだ。
「わ、笑わないでよ!」
まるで抱き方がなってないという気がしたのか、赤面。すぐさま床に下ろしてくれた。
うん。床はいい。足が地につく幸せ。
「あの……」
そうこうしている内に、ノーツが申し上げにくそうに手をあげた。
「どうしてレラ──妹が無事だったのでしょうか。しかも、前より元気になってる」
「それを説明する前に、アインくんと何があったのか聞いた方がいいね」
クリスがそう言うと、視線の先をレラに向けた。
「え、っと……」
少し戸惑っている様子だが、ノーツが
話を聞いて、クリスは息をついて人差し指を立てる。
「結論から言うと、彼女の気管部──肺に至るまでの道のりに”マナの炎”を見つけた」
「マナの炎?」
カナリアが首を傾げる。
「灯火、と言ったほうが正確かな。燃えているのにも関わらず、人体には影響がない。むしろ、マナだけを喰らって燃え続けている印象だよ」
「その”灯火”ってやつもマナなんだろ? 抗体がないヤツはそれすら危ないんじゃないのか?」
ヴァンが意見する。対して彼女は「さぁ?」と肩を
「ナゾが多いんだよ。
こればっかりは、僕にも重くのしかかってくる問題である。
生前の記憶──レラみたいに、”幻想”を映した際にカケラとして降ってくる。すべて思い出せないのが、もどかしい。
わざわざ希少な『ソル・マナニア』なんかに生まれ変わったこともそうだ。希少と言っても、カラダが生えたばかりの矮小な存在。希少ゆえに、誰も正体を知らない。
あげくは、悪魔の
『ナゾ』という言葉に、僕がもやもやと悩んでいるうちに、カナリアがまた抱えてくる。今度は腕に座らせるように。自然と心地いい。
「キミは悪い子じゃないよ。私が
その一言で、頭にあった山積みの問題が、いったん白紙になった。
カナリアは僕のおかげで救われたと言うが、僕は彼女に救われている。本当に、彼女と一緒にいて良かったと心から思う。
「灯火っていうなら、コイツの頭の火と何か関係があるのか?」
一連の動作を横目において、ヴァンが仕切り直すように問いかけた。
「もちろん」とクリス。
「関係は大いにあるだろうね。仕組みはどうあれ、現在進行形でマナが取り除かれてる。今の状態なら、普通の人と変わりなく過ごせるはずだよー」
そこまで聞いてノーツとレラの表情が明るくなるが、
「ただし──」
と待ったをかける。
「効力がいつまで続くか分からない。
シーデン兄妹よりも表情を固くするのは、ヴァルヴァレット姉弟の方だった。
それは暗に、僕の身に何かあれば、レラの容態は一変すると告げているようなものであったからだ。
カナリアの手に力がこもるのを感じる。
「それと追い討ちをかけるようで悪いけど、キミたち二人はしばらく会うことができないからね」
クリスがとうとう兄妹の間にメスを入れた。
「キミは自身の罪を告発すべきだ」
「え、あ……それは……」
顔を
「兄さま──」
レラが彼の
手が震えているのは、愛する家族がもう会えない恐怖を誰よりも知っている証拠。
だが、首を振って恐怖をはらう。まっすぐ兄の目を見つめて
「レラは、だいじょうぶだから。いつかちゃんと、いっしょに暮らせる日をまってるから」
「────」
彼にとって、その一言が効いたのだろう。大のオトナが、静かに泣き
しばらくいたたまれない空気になると思いきや、クリスがいつもの調子で切り出した。
「まぁ安心して。罪はキッチリ
「それを今言うのか……」
ヴァンが溜息をつく。感動のシーンが台無しだと言わんばかりだ。
「一日三食、お風呂もベッドも完備してるよー」
「そうじゃない。研究所っていうのは何のために──」
「そりゃあ、例の”灯火”についてだよ。
「だいようひん?」
「そ。アインくんのおかげで、今までにない治療法が見つかれば、もっと多くの人の命を助けることになるからねー」
そう説明する彼女の横顔に、少し
『もっと多くの人の命を助ける』
ありふれたセリフだが、この先生が
「そうは言っても、マナのない場所で安静にすればいいことだろ。そこまですることか?」
「そこまですることだよ。仮にも命に関わるからね。人の命というのは数や労力で
ヴァンの
「人間、誰もがその思想に
「それは……」
めずらしく、ヴァンが言い
仮にクリスのいう世界になったとして、僕にできることは限られている。手に届かないものは、どう
「未知の病気に対する治療法は、はやいに越したことはない。解決策が
ことが起こってからじゃ遅い。
それが例え、ひとりの少女が抱えるちっぽけな欠陥であっても。
「その点、今回アインくんの”力”はすごいよ。その
だから、これは大事なことなのだと、先生は
隣で聞いていたカナリアも、説き伏せられたヴァンも、このときだけは、学園の生徒として
着想ですら、応用すれば革命なのだと。そして、これは医療に限った話ではないのだと。
「それよりもキミたち──」
クリスが一方的に話を切りかえた。
「休日に教員を散々こき使ってくれちゃって、いい
ニッコリとした表情。目は、笑っていなかった。
まずい。
不穏な空気を察知して、カナリアとヴァンがそぉーっと
「街中走り回されて、銀貨も使ったなー」
「先生、本当にありがとうございました……」
「連れてきたのは姉さんでしたよね……礼を求めるなら姉さんに──」
「ちょっとまって! なに押しつけようとしてるの!?」
「元はといえば、姉さんが
「それはヴァンが──」
二人して、いがみ合う。姉弟喧嘩が始まった。
身内とはいえ、しばらく離れて暮らしていた二人だ。いつもどこか遠慮している節があったが、こうして真正面から言い争うのは初めての光景である。
(僕にも兄弟とか
ヒートアップしていく二人を眺め、僕は
せっかくカラダを手に入れたのだ。活用しないわけがない。
「アーイーンー?」
「お前は逃さねぇぞ」
あえなく捕まってしまった。
「だれのせいで」
「こうなってると思ってんだ」
(ひえッ)
ついに矛先が僕に向く。息ぴったりなところは、さすが姉弟。
僕も
「二人とも
心を読む天才か。思ったことがそのままブーメランで返ってきた。
彼女が判決をくだす。
「一週間、学園内の掃除♪」
ズルズルと引きずってシーデン兄妹の家から出る。
おそらく、これから
雨がやみ、再び快晴となった空の下、ヴァルヴァレット姉弟の悲鳴が街中に響き渡ったのであった。
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