エピソード19 先生の正体

 授業を終え、僕たちは治療室へと足を運んだ。ヴァンの怪我を治すためだ。


 二人の決闘を思い返す。ヴァンの剣技は、素人目でもそこら辺のヒトとは一線を引いていた。他の生徒たち総動員で戦いを挑んでも、とある物語の主人公みたいにすんなりと勝っちゃいそうなものだ。

 対するグルツは接戦まで持ちこんだ。人は見掛けによらないとは、この事なのだろうか。


 カナリアとミラ、そしてヴァン。双方の活躍は決着後でも熱気が続いており、生徒間同士で「あそこはああするべきだった」とか「あの場面は自分ならこうした」とか、様々な議論を述べていた。さすがは貴族校と言うべきか。学ぶ意識は高い。


 ともあれ初日の授業はこれにて終了。

 アドニスからは「しごき甲斐がいがある」と評価され、三人は若干青ざめつつ、その場から退場して今にいたる。


「もう……ケガをしたなら隠さずもうしてください」


 部屋までの道案内はミラが担当した。学園内の地図は大方おおかた把握済みらしい。

 治療室といっても、中は質素で簡素なものだった。広さもそこまでない。

 奥にはベッド、窓際に作業机とイス。壁一面には棚が佇んでおり、薬品らしき小瓶こびんが並んでいる。


 室内に入るや否や、ヴァンを座らせて治療具が入っているであろう箱をたなから引っ張りだす。頬を膨らませるしぐさが可愛らしい。

 彼がソッポを向きながら否定した。


「こんなの、怪我のうちに入りません」


「軽傷もケガのうちです。見せてください」


「そうだよヴァン。さっさと脱いで」


「…………」


 カナリアからも催促されるが、渋い顔をしたまま動かない。断固拒否といった様子。


「もー、はやくするの!」

「わーかった! わかったから服を掴むなバカ姉!」


 強引にも服を脱がそうとする姉に、とうとう観念した。

 個室で男子に迫る女子ふたり。絵面的に大丈夫なのだろうか。カナリアの腕に抱かれながら別方向の心配をする僕。


 なんだかんだ和気藹々わきあいあいとした空気だったが、彼が上着を脱いだ途端、サァと場が冷え切った。


「ちょっと、血だらけじゃない……!」


 背中の左肩あたり。白いシャツに穴があいており、そこから下に続いて赤黒い色が滲(にじ)んでいた。

 おそらくグルツの魔法──高圧縮に放たれたレーザー。霧で見えなかったが、あの時に喰らっていたのだろう。


「ど、どうしましょう! 早くお医者さまを!」


 驚愕するカナリアの声に、ミラが顔面蒼白がんめんそうはくとなって取り乱す。

 そんな彼女をみて、今度はヴァンの方があわてはじめた。


「待ってください、本当に大丈夫なんでッ──!」


「ヴァン!?」


 痛みをこらえる素振りをして、うずくまる。カナリアもどうすればいいか焦って思考がまとまらない感じだ。

 場は混乱しつつある。


(仕方ない。ここは僕が──)


 首袖くびそでから腕を生やしてカナリアの肩をつつく。


「アイン……?」


 そして僕は手を自分の顔の横に立ててジェスチャー。『おーい』と呼ぶしぐさを見せつける。

 こういうときは誰かを呼ぶのが先決だ。大声で助けを呼ぶのもよし、呼びにいくのもよし。とにかく冷静に対処しなければならない。そのアドバイスである。


 しかし、彼女は首をかしげた。


「こんなときに遊んでる場合じゃないんだよ!」


(ディスコミニケーション!)


 叱られてしまった。そんなつもりはないのに。


「そうです、治療具を──」


 ミラが我に返ってそばに置いていた治療具の箱を開けようとして、


「キャっ」


 手を滑らせてしまう。よほど焦っていたと思われた。

 中身が床に落ち、包帯やら清潔な布やらが散乱。ミラがさらに困惑する。

「はやく拾わなきゃ!」とカナリアも屈むが、そんな悠長ゆうちょうなことをしている場合じゃない。


 いまだに背中を向けてうずくまっているヴァンをみて──ひらめいた。


(仕方ない。ここは僕が──)


「アイン!?」


 二度目の挑戦。

 僕はカナリアの腕から降りて、近くに落ちてる白い布を拾った。次に腕を曲げて伸ばし、跳躍ジャンプ。矢先にあるのは彼の背中。傷口に目掛けて布を叩きつけてやったのだ。


──バチン。小気味いい音が鳴る。


 こういうときは止血するのが先決だ。血を止めれば、後ろの二人も落ち着くはず。とにかく冷静に治療を進めなければならない。その手助けである。


「──ッ‼︎ なにすんだこのちんちく鎧兜っ!」


(あれぇ〜〜!?)


 ヴァンが激怒して僕を掴んで投球。部屋の壁に当たって大きな音を立てた。


「ちょっとヴァン! なんてことするの!」

「るせぇ! 傷口を叩くやつがいるか!」


 怒らせてしまった。そんなつもりはないのに。


 なんだか上手くいかない。僕ももっとみんなの役に立ちたいのに、ここんところ空回りばかりだ。

 なんでだろうと、冷たい床に転がりながらかえりみる。


(あ、そっか……)


 僕もヴァンの傷をみて冷静じゃなかったんだ。まさに『ミイラ取りがミイラになる』とはこのこと。


 そうこうしているうちに、


「なんかすごい音したけど、誰かいるのかい?」


 突如として部屋の戸が開いた。

 顔を覗かせるのは、桃色の髪をした少女。ダボついた服とサイズの合わないメガネが特徴──講義の授業を受けもった先生だった。


 全員が目をパチクリさせて固まっていると「はぁ、なるほどねー」と先生が入室。そのままヴァンの元まで歩んだ。

 突然現れた第三者の登場により、場はスンと静けさに包まれた。


「背中向けて。服、めくるよ」


「あ、ああ」


 授業の時みたいな軽いノリとは違う真剣な眼差し。

 あまりのギャップに彼も思わず従う。


「ふむ」


 服をまくりあげた。たくましい背中が露出し、じっと傷口を観察。イスに座っているヴァンと並ぶが、それでも少しだけ彼の方が背が高い。

 動かない先生をみて不安になったのか、後ろの二人が恐る恐る聞いた。


「先生──」

「ヴァンの傷、治りますか……?」


「……うん、これなら魔法でなんとかなりそうだね」


(え、魔法?)


 傷口に手をかざして唱えはじめる。

 淡い灰色の光が灯った。


「灰の知恵よ──の者は傷にさいなまれる仔羊。癒しを与えたまえ」


 光が傷口をみるみる塞いでいく。

 あっという間にヴァンの背中は傷ひとつないキレイなものになった。


「どうだい? ほかに痛むところは?」


「おどろいた……まったく痛くない、大丈夫だ」


 これには彼も感嘆かんたんの意を口にする。

 ためしに腕をぐるぐる回すが、なんともないようだ。


「よかったぁ……」

「ありがとうございます、先生」


 二人も安堵あんど。ミラにいたっては胸をでおろす仕草しぐさすらみせていた。


「感謝にはおよばないよー。これも先生としてのつとめだからね」


 先生はメガネをクイっと持ちあげて無い胸を張る。雰囲気はもう、授業とおなじ軽い感じに戻っていた。

 彼女はそのまま二人に向けて続ける。


「キズ自体は軽度なものだったよー。出血してからしばらく経ってたでしょ? そのせいで服にベッタリついてたんだねぇ……見た目ほどじゃなかったよー」


「だから言ったじゃないですか、大したことじゃないって」


 解説のあとにヴァンが恥ずかしそうに付け足す。

 たしかに僕らは血だらけの服をみて取り乱していた。ちゃんとしっかり傷口をみたのは先生が登場してからだ。


 彼の小言を耳にして、ミラは照れくさそうに笑った。


「そ、それにしても回復魔法ってすごいですね。初めてお目にかかりました」


(あ、話題らした)


 皇女たりとて、失態はある。

 それが彼のことに関するものなら尚更──と言うのであれば、両者ともに脈ありとなるのだが……どうなのだろう。


「どうしてあんなに傷を見ていたんですか?」


 ヴァンが服を着なおす中、カナリアが先生に質問。彼女の疑問はもっともで、傷口を見つけたのならさっさと魔法を使えばよかったはずなのだ。

 眺めていた時間は一分ほど。短いと思われるが、意外と長く感じたのは僕だけじゃない。どうしてあんなにも診断する必要があったのか。


 先生は「チチチ」と指を振って答える。子供っぽい。


「まずは"回復魔法"なんて陳腐ちんぷな呼び名じゃないよー。治癒師として、そこは訂正をさせてもらわないとねー」


 そういえば"コクマー"は『治癒』だと習った。彼女のなかでは『回復』と『治癒』は同義ではないらしい。同じだと思うが。

 そして彼女は声色を低くした。


「そして治癒魔法は万能じゃない……ヴァンくん、だっけ? 傷に見合わない魔法をかければ、彼の自然治癒力を腐らせてしまう恐れだってある。傷口に異物なんてまぎれてたらそのまま体内に残ったままになるし、ちゃんとるのも大切なんだ」


 要するに後遺症を残さないため。だから時間をかけたのか。

 見た目と雰囲気に反して慎重しんちょう直向ひたむき、誠実せいじつに。これが灰色のセフィラの持ち主なのかと驚くばかりだ。


「アンタ、何者なんだ?」


 上着を羽織り、ヴァンが不躾ぶしつけながらに問う。

 何者もなにも、先生じゃないのか。


 僕を拾い上げつつ、カナリアも疑問符を浮かべている。ミラが補足した。


「治癒師は貴重な人材。とりわけ"コクマー"は国家資格を持たなければ魔法の使用すら禁止にされてて、本当なら国のお抱えになるようなかたなの」


「へぇー」


 そうだったのか。

 僕もカナリアも納得の声。

──となると、そんなすごいヒトがなんで学園の教員をしてるのか。ヴァンはそれが聞きたいのだろう。


 ミラが先生の方向に向き直って、お辞儀をした。


貴女あなたがそうなのですね、グレイ・アムリタス──ドーラきょう


「その呼び方はあんまり好きじゃないかなー」


 先生はそう答えながら頬を掻く。

『グレイ・アムリタス』とは、何かの称号だろうか。

 否定はしないが好きじゃない──妙に呼び方にこだわる少女は、ダボついた服をヒラヒラさせながらその場で小躍こおどりし、やがてポーズを決めて自己紹介。


「遅れまして、私は『ハルバード・クリュス・ドーラ』だ。呼びにくいから"クリス"と呼んでくれたまえー」


 バーンと効果音が入りそうなほど堂々とした名乗りであった。

『遅れまして』とは、紹介が『遅れた』と『初めまして』を掛け合わせた造語だろうか。意味としてはそんな感じだと解釈。


 "クリス"というのも、クリュスから取った愛称だと思われる。

 なるほど確かに。ハルバードなんて物騒な名前、この見た目の少女には似つかわしくない。ましてやドーラなんて重々しい家系名──


(ん? ドーラ……?)


ベール国王ミラのおとうさんが言ってたドーラ家の才女って、まさか……」


 カナリアが確認するように呟くと、クリスが平然と答えた。


「ベール国王から色々聞いてるよー。なかなか魔法生物の扱いに困っているみたいだねー」


「ええぇー!」


 よもや、こんな形で見つかるとは思わない。というか、容姿などについても聞かされていなかった。

 あの王様、学園の教員にいるならいるって言えばいいものを……


 驚愕の声が響く。もう日は傾きはじめていた。

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