第6話 イヌの魂

 オレはどこかでまだ人間の身体になってしまった事に、実感が持てないでいたのかもしれません。

 でも人間のリリアンさんが間違いなく人間の身体だと言った以上、もはや疑う余地はなさそうです。


「コテツ殿、人間の身体になる病気とは一体何なのですか?」


 リリアンさんが心配そうにオレにいてくれました。この人はいつも優しいですね。


「オレ、柴イヌなんです。こんな人間の身体になってしまいましたが、本当はモフモフの素晴らしい毛並みと愛くるしい尻尾があったんです。四本の足でしっかり歩けて、声だってちゃんと吠えることが出来て……きっとリリアンさんもそんなイヌのオレを見たら、思わず可愛い! と言ってしまうでしょう。なにせ人気ナンバーワンとまで言われていましたからね……フッ。しかしご主人様と会うために病気になったのです」


「えっと……はあ……」


「ご主人様はそんな可愛い柴イヌだからこそオレを飼ってくれたんです……でもオレはもうイヌの身体でないから、ご主人様に捨てられてしまうかもしれません」


「あっ! そのコテツ殿の病とはもしかして

──」


 リリアンさんもようやくこの恐ろしい病気のことを分かってくれたようですね。


「はい……」


「そうだったのですか。でも無理ないと思います……そんな過酷な人生を歩んでこられて。もし私だったら気が狂っていたかもしれません……」


 ん、過酷な人生? いや、こんな身体になる前は幸せでしたが。


「なるほど、心の病ですか……それはさぞかしお辛いでしょうね……」


 は? 心の病?


「ご事情を存じ上げない私が申し上げるべきではないとは思います。でも! いくら主従関係だからと言って、人間を犬扱いしていいわけありません。ましてや犬でなけれは価値がないと思い込ませてしまうほど、コテツ殿の心を追い詰めるなど鬼畜の所業ですっ!」


「いやリリアンさん? オレ本当にイヌなんですけど……」


「いいえ違いますっ! コテツ殿は人間ですッ! 心の傷について他人の私が気安く言える事はありませんが……それでもどうか忘れないで下さい、コテツ殿は誰かの為に自分以外のものになんかならなくていいんですッ!」


 そう言ってリリアンさんはポロリと涙をこぼしました。何をオレに伝えたかったのかよく分かりませんでしたが、オレを思って一生懸命だったのは分かりました。

 

「オレ、早く病気を治したいです」


「はい、私では力不足でしょうけど、もしよければお役に立たせて下さい」


 だけど今のオレはイヌなのか人間なのか、一体どっちなのかな?

 

 あっ、そういえばご主人様に会えるからと、この知らない場所に連れて来てくれたおじさんが言っていましたね。オレはイヌのタマシイをもった人間になるんだって。


 タマシイって何なんでしょう?


「リリアンさん、タマシイって何ですか?」


「えっ、魂ですか? う~ん、難しいですが肉体を必要としない純粋で完全な自分……みたいな? よく分かりませんが!」


 肉体って身体のことですよね。それがなくても自分なのですか? ほんとよく分かりませんね!


「タマシイと身体はどっちが自分なんでしょう?」


「それはやっぱり魂じゃないでしょうか」


 なんとっ! おじさんはオレがイヌのタマシイを持っていると言っていました。それなら、身体は人間でもタマシイがイヌのオレはやっぱりイヌで間違いないですよねっ!


 そっか──人間の身体を持ったイヌというだけのことですか。


 なら焦らず病気が治るのを待ちましょう。尻尾もモフモフの体毛もなくて寂しいですが、我慢強い柴イヌに泣き言は似合いません。


「リリアンさんッ!」


「はい?」


「ありがとうございますッ!」


「へっ?」


 オレはリリアンさんへの感謝の気持ちを、おもいっきり顔にペロペロすることで表しました!


「ちょっ! こ、コテツ殿? ま、まさかドキドキプレイをここで!?」


 おや? ドアの向こうにいたモニカさんがすごい勢いで入ってきましたね。


「あらやだ、やっぱりこうなったんじゃないの! 油断も隙もないわねっ」


「も、モニカ! な、なんだよ急に入ってきてっ!」


「あんまり遅いからわざわざ仕事の手を止めて来てみたんじゃない。そしたらこれだもの……」


「こ、これってなんだ! 何もしていないからなっ! てか、タイミング良すぎだろ? お前外の鍵穴から覗いていて邪魔しにきたんじゃないのかッ!?」


「ひ、人をのぞき女みたいに言わないでよ、下で仕事してたわよっ! てか、するならするで仲間に入れろって言ったでしょっ!」


「するかっ! この変態女ッ!」


 はて? モニカさんは最初からずっと扉の向こうにいましたよね?

『おのれ、二人でさせるか』って呟きながら入ってきたのに、なんでウソを言うのでしょうか?


 あ、わかりました!


「モニカさんは照れ屋さんなのですね! ずっと扉の外でハアハアしていたのになぜ入ってこないのか不思議でしたが、そういうわけでしたかっ」


「えっ? コテツさんはどうしてそれを知っているんですの!?」


「イヌは耳がいいので全部聴こえていましたよ!」


「やっぱりか……この覗き女めっ! コテツ殿、こいつは見掛けは金髪をアップにして、いかにも仕事の出来そうなクールビューティですが、中身は変態なので近寄っては駄目ですよっ! ちなみにメガネは伊達ですっ」


「と、とにかくッ! コテツさんの種族は判ったんでしょ? さっさと教えなさいよねっ」


「はいっ! オレは人間の身体をした柴イヌ族ですっ」


「えっ? コテツさん?」


「ちょ、ちょっとモニカこっちに来い……」


「な、なによ」


「あのな、色々とコテツ殿には深く辛い事情があるんだ。それで少々お心も病んでおられる……でも人間で間違いないからそう登録しておいてくれ」


 リリアンさんがモニカさんを引っ張って、コソコソ話をしています。

 しかもまだオレを人間だと言っていますね。でもまあ、もうどうでもいいかな。


 オレはオレですからね、どう見えようとオレが自分をイヌだとわかっていればそれでいいんですっ!


「よくわからないけど……まあ、わかったわ……チラッ」


 さっきからモニカさんとリリアンさんがオレのことをチラチラ見ていているのですが、まだ何か用があるのでしょうか?


「おいモニカ、あんまり裸を見るなよ! コテツ殿に無礼じゃないかっ」


「なによリリアン、あんただって見てるじゃないッ! チラッ、てかあんた、あの立派なモノを独り占めとか許さないわよっ?」


「ば、馬鹿っ、うるさいっ! コテツ殿、我々は先に行っておりますので、服を着たら下に降りてきてくださいね」


「いやよ、私はもっとイケメンの裸を見たいんだからっ!」


「モニカっ、黙れっ!」


 ほんとに不思議な人たちです。お互い敵意もないのに何であんなに仲が悪いのでしょうか?……


 ところでリリアンさんが服を着ろと言っていましたが、冗談じゃありません。

 こんな窮屈なもの二度と着たくはないです。なので全部み破ってしまいましょう!


 ボロボロになった服を見るのは、妙な満足感がありますね。というか、ここ最近ずっと噛んでいなかったので牙がウズきます。

 ちょっとだけここにある家具を噛ましてもらおうかな……いえ! 決してイタズラしたいのではありません。これはイヌにとっての健康法なのです。


 と言うことで──この硬そうな分厚いテーブルの端っこを……


──バキッ。


「……ぎゃっ!」


 お、おかしいです、ひと噛みしただけなのにテーブルの端っこが砕け散りました。見つかったら確実に怒られる……絶対にオレがやったと白状してはダメなやつですね。

 てか、何でしょうこの噛む力は。あきらかに異常でしょッ! もしかしてこれも『デキるオス』になったせいでしょうか?


 とにかく危険なので本気で噛むのは禁止にしましょう。甘噛みする時はとくに注意です!

 リリアンさんとモニカさんが今のテーブルが噛み砕けた音に気づいていないといいのですが……オレはそっと二人に聞き耳を立ててみました。


「ねえリリアン、さっき話してたコテツさんの深い事情ってなんなの?」


「うん……ちょっと私の口からは今はまだ言えないんだ。ただ……もし私がコテツ殿のような目にあっていたら、おそらくもう正気ではいられなくなっていると思う」


「そんなに酷い過去が?」


「ああ……だから、モニカもコテツ殿の変な言動には目をつぶってやってほしい」


「そっかあ、わかったわ……」


 ふう、どうやらオレの話をしていたようですが、テーブルのことはバレてはいないようです。ならばここは怪しまれないように、あえて堂々と登場した方が良さそうですね。


「あれ? コテツさん!?」


「モニカさん、リリアンさん、お待たせしましたっ!」


「こ、コテツ殿っ? な、なぜ裸のままなのですかっ!?」


 なぜとは? オレはこんなことに驚いているリリアンさんの方が不思議です。イヌがハダカなのは当たり前じゃないですか。


「服は窮屈でキライなのでビリビリに破いておきました。ハダカが最高です」


 なんだかこの家にいる人全員がオレを見て騒いでいますね。

 ん? リリアンさん、オレの前で手を広げて何をしているのですか?


「見るなーっ! コテツ殿の裸を見るなーっ! 見た奴はぶった斬るぞっ!」


「リリアンさん、何を怒っているのですか? ハダカはキライですか? ハダカは気持ちいいですよ? 一緒にハダカになりましょうよ」


「えっ? それは、あの、ふ、二人きりの時なら喜んで……」


「あら? リリアンが裸になるなら私だってなるわよ!」


「黙れモニカ! この変態女!」


 二人がまたケンカを始めました。オレはちょっと眠くなったので、隅っこのほうで寝ることにします。


「あれ? コテツ殿は?」


「あ、あそこよリリアン、あそこで裸のまま寝ているわ、|床(ゆか》にうずくまって……」


「コテツ殿……もしかしたらずっとああして生きてきたのかもしれない」


「えっ、まさか!? でもそっかあ、闇が深いのね……ああん、闇を抱えながら健気けなげに生きてるイケメンって萌えるわぁ~!」


「馬鹿っ! 馬鹿モニカっ! そんなこと言ってる暇があったらコテツ殿に毛布をかけてやってくれ!」


「はいはい、わかったわよ」


「私はコテツ殿に新しい服を買ってくる。それまでコテツ殿の面倒をたのんだぞ」


「リリアン、あんた結構本気なのね……」


「なんか言ったか?」


「ううん、なんにも。それより早く買ってらっしゃい」


 ああ、床がひんやりしてて気持ちいいですね。ハダカ最高です!

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