第57話 【世界各地の様子】人族の街のとある住宅地
-----人族の街のとある住宅地にて-----
「火事だあああぁっ!!!」
「助けてくれぇ!」
「きゃあぁぁぁ!!」
人々が悲鳴を上げ、逃げ回っていた。
原因は、今まさに燃え盛る一軒の集合住宅。
不運にも被害にあった者たちが、命からがら逃げ出してきたのだ。
原因は、火の不始末。
火元の部屋には、まだ幼い少女が取り残されている。
「だ、誰かぁ!!」
少女は必死に助けを求めるが、周りにいる人々は遠巻きに眺め、立ち止まるばかり。
それはそうだ。
この猛火の中を助けに向かったところで、その者も焼け死ぬのがオチである。
じきに少女がいる場所まで火が回るだろう。
誰も手を出せない状況だった。
「いやぁ……。お父さん……。お母さん……」
絶望し、座り込む少女。
「いやあああぁーっ! 娘がっ! 娘がああぁっ!!」
少女の母親が、泣き叫んでいる。
どうやら、彼女はなんとか一命を取り留めたらしい。
しかし、その足は火傷により引きずられている。
「お願いします! どなたか、うちの娘を! どうか、どうか……」
母親は地面に頭をこすりつけ、そう懇願した。
……だが、無情な言葉が返ってくる。
「無理だよ……。もう諦めるしかない……」
「火の手が、もう……」
周囲の人間も、母親の願いを叶えられない理由がある。
それは、炎の規模と建物の倒壊の可能性の高さ。
そして何よりも、恐怖心が大きかった。
誰一人として、救助に向かおうとはしない。
誰もが自分に危険が及ばないように、その場を離れていく。
致し方ないことだろう。
魔力に秀でた魔族であれば、水魔法の使い手がいたのだろうが……。
あいにく、ここは人族の街だ。
魔王が世界を平定してからというもの、魔族と人族の融和は進みつつある。
この街にも、まださほど多くはないものの魔族の移民はいる。
しかし、そう都合よくこの場から近くに水魔法に長けた者が住んでおり、かつこの異変に気付いて駆けつけるというような奇跡が起こるはずもない。
「誰か……。私にできることなら何でもするわ……。だから、誰か……」
母親が絞り出すような声でそう懇願し続ける。
「お母さん……」
少女のもとには、もう火の手が迫っていた。
だれもが沈痛な様子でそれを遠巻きに見ていた、そのとき。
ポツリ。
「え?」
1人の男が空を見上げ、思わず声を漏らす。
その男だけではない。
その場にいた全員が、同様に同じ行動を取っていた。
「雨? 雨だ!」
「大雨だ! これで助かるかもしれない!」
「神様……ありがとうございます……!」
突然降り出したのは、紛れもない雨だった。
ザァザアという音を立てて、まるでバケツを引っくり返したかのような勢いである。
瞬く間に、猛火は鎮火されていく。
だが、もう少しで完全に消火されるかという頃合いになって、その雨は次第に弱まり始めた。
「くそっ! あとちょっとだっていうのに……」
「にわか雨だったか……」
「後は俺たちで消化するんだ! もうずいぶん弱まっている!」
「やるしかねえよ!」
「あぁ!」
群衆たちが力を合わせて、消火活動に当たる。
そんな中、1人の男が自分の手のひらを眺めていた。
傍らにいた他の男が、彼に声を掛ける。
「何してんだよ、お前も働け!」
「……なぁ、さっきの雨、何か感じなかったか?」
「はあ!? 何をだよ! 今はそんなこと気にしている場合じゃ……」
「いいから見ててくれ……!」
男は、その手に魔力を込めていく。
そして、詠唱を開始した。
「慈しむ水の精霊よ。契約によりて我が指示に従え。水の球を生み出し、我が眼前に打ち出せ。ウォーターボール!」
男の手のひらに、拳大の水が生成される。
そのまま放物線を描いて飛んでいき、まだなお燃えている建物に落ちた。
「……おい。今の見たか……?」
「あぁ……。俺も久しぶりに見たけど、間違いない。あれは、水属性魔法だ……」
群衆たちがざわめきだす。
「お、おい……。何でお前が魔法を使えるんだよ。そりゃ、学校では全員学んできたけどさ……」
人族では、魔法の教育を広く行っている。
実際に使える者はかなり希少であり、そのほとんどの教育は無駄となる。
しかし、万が一にも希少な魔法の才能がある者を取りこぼさないため、最低限の教養として教えるのだ。
「いや、違う……」
「何が違うんだ?」
「さっきの雨のおかげだ! 魔力がずいぶんと含まれていただろ? 他にも使える奴がいるはずだ!」
先ほど水魔法を放った男がそう叫ぶ。
雨は、実は魔王ディノスと黒竜イリスの愛の結晶である。
男の言う通り、芳醇な魔力が含まれている。
雨を被った者は、本来は魔法適性の低くても一時的に魔法を容易に発動できるようになっても不思議ではない。
「本当なのか?」
「ああ! 俺も今まで使えたことがなかったが……。試したらできた! 皆もやってみてくれ! この火事を消すためにも、協力しようじゃないか!」
彼の呼びかけに応じ、何人かの人々が手を掲げる。
そして、同じように詠唱を始めた。
「「「慈しむ水の精霊よ。契約によりて我が指示に従え。水の球を生み出し、我が眼前に打ち出せ。ウォーターボール!」」」
その後、通常の消火活動に水魔法が組み込まれたことで、被害の拡大は防がれた。
少女の命が奪われることはなかったのである。
「お母さんっ!」
「ああっ! 無事でよかった……! 本当によかったわ……!!」
母親は娘を抱き締め、涙を流した。
周りの人々もまた、安堵のため息をつく。
「神様が助けてくれたのね……。奇跡の雨に感謝します。……それに皆様も、ありがとうございました」
母親が神に祈り、そして消火活動に尽力を尽くした人々に頭を下げる。
そうして、あわや大惨事かという火事は被害者なしで幕を閉じたのだった。
今回の魔法行使をきっかけにコツを掴み、魔法の才を開花させていく者がいるのだが、それはまた別の話だ。
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