第2輪③

 白代くんに促されるまま、サラダ油の入った鍋にドーナツをすべり込ませる。パチパチと音を弾かせながら、油の池を漂う。そこに続けてまた二つ、三つとドーナツを揚げていく。クリーム色がきつね色に変わっていく。ひっくり返して、両面をしっかり揚げたら完成だ。

 白い皿にこんがりきつね色をしたリングドーナツが四つとボール状のドーナツが一つ。揚がるのを待つ間に潮見先生が淹れてくれたハーブティーと一緒に夜食の時間だ。誰かと一緒に夜食を食べられるのも、夜行生物部の醍醐味なのだろう。試食室に移動して、食べる前にまた潮見先生が手を叩く。

「では、さっき出した問題とみんなの回答を振り返ってみよう。今日の議題は『ドーナツの穴は食べられるか、食べられないか』。新くんは食べられる。心有ちゃんは食べられるし、食べられない。成瀬くんはそもそも食べ物じゃない。各々この回答でいいかな?」

 二人が首を縦に振ったのに釣られて、僕も首を縦に振った。未だに、潮見先生が何を言っているのか理解できない。

「じゃあ、どうしてそう考えたのか聞いていこう。心有ちゃんはどうしてそう考えたの?」

「ドーナツの穴は実体がないので、噛むことも飲み込むことも出来ませんが、ドーナツの円環と一緒に食べることは出来ると思います。円環と穴がセットでドーナツ、みたいな」

「ドーナツは円環の部分だけじゃなくて、穴を含めてドーナツということかな」

「そういうことです」

「ありがとう。新くんはどうかな?」

「実体がなくても存在しているなら、穴を食べることは出来ると思う。というか、穴は円環があってできるものだから、黒弓と同じで俺も円環と穴はセットでドーナツだと思う!」

「なるほど。成瀬くんは?」

「えっ」

 当たり前のことにどうして、と聞かれても僕には返す答えもない。それならどうして空は青いのか聞いてくる子どもの相手をしているほうが答え甲斐がある。どうして空が青いかなんて僕は知らないけど。まだ頭の中でまとまっていない言葉のピースを力ずくではめていく。

「ドーナツには穴が開いていて、その円環部を食べているじゃないですか。穴を食べるってどうやって?無いものを食べることって出来るんですか?」

 そう答えると、潮見先生はまた指を鳴らした。

「いい質問だね。たしかに、実体の持たないものを食べることは出来ない。でも存在を問うのであれば、君の目の前にあるドーナツに穴は無い?」

「有ります……」

「そう。君の目の前にはドーナツが有って、そのドーナツには穴が有る。穴が有るのに食べることは出来ないというのは、『存在しないものを食べることは出来ない』ということと、どう関係があるかな」

 僕はドーナツの穴を見つめて考えた。穴は確かにある。穴は実体をもっていないだけで存在はしている。目には見えないけれど存在しているものの一つだ。目には見えなくても、食べることはできるのだろうか。もしそうなら、白代くんや黒弓さんの言う通り、穴は食べることが出来る。しかし、それは円環があるから穴があるということで、円環がなくなれば穴はなくなる。そうなると、穴を食べることは出来なくなるのではないだろうか。

「ドーナツに穴が開いているのは、円環があるからですよね。じゃあ、例えばドーナツを四等分すれば、穴は無くなりますか?それとも、穴も四等分されますか?」

「面白い質問だね。それじゃあ、ドーナツを四等分してみて」

 潮見先生に促されるままに僕はドーナツを二等分にして、さらにまた二等分にした。円環が切れ、歪な半円を描いたドーナツが四つ、皿の上に転がった。

「これを見てどう思う?穴は無くなった?それとも無くなってない?」

 頭をひねらせ、唸っている白代くんの横から黒弓さんが言った。

「定義にのっとれば、これは穴が開いていないのでリングドーナツではないですよね?でも私たちは穴が無くてもこれをドーナツだと認識できるのはどうしてですか?」

「相変わらず心有ちゃんは難しいことを聞くね。答えは色々あると思うけど、これはドーナツであるっていう観念が頭の中にあるからだと思うよ」

「どういうことですか?」

 僕が聞くと、潮見先生の代わりに白代くんが説明してくれた。

「この揚げ菓子を『ドーナツ』っていう前知識が無いことを前提に、円環の状態で出されてから四等分にされるのと、最初から四等分の状態で出されるのとでは、この揚げ菓子の認識に違いが出てくるってこと。って説明でいい?」

「うん、その通りだね。僕たちは『ドーナツはリング状で穴が開いている』という概念を持っている。でも、最初から穴のない状態で出されてもそれがドーナツなのかはわからない。ただの歪な形をしたお菓子に見えるかもしれない。でも面白いね。穴がなくてもドーナツとわかるためには、どうすればいいんだろう」

「まこちゃん先生、その話長くなりそうなら今は止めた方がいいんじゃない?」

「そうだね。つい話を脱線させちゃうのは悪い癖だ。話を戻そう」

 潮見先生は僕が四等分したドーナツを一つ取って食べた。

「今、成瀬くんが切ったドーナツを一つ食べたけど、果たして僕はドーナツのどこの部分を食べていると思う?」

「円環部でしょうか?」

「四等分された穴と円環!」

 二人は受け答えが早い。夜行生物部は普段からこんな哲学的な議論をしているのか、元々二人の頭の回転が早いのか。僕は逃げる口実でわかりません、と答えた。

「意見が割れたね。根拠を聞きたいところだけど残念、もうそろそろ活動が終わる時間だ」

 時計を見るとすでに午前三時半を回っていた。ドーナツ作りに意外と時間がかかったらしい。もうそろそろということは、夜行生物部の活動は四時に終わるのだろう。それからまた数時間後には、ここで授業が始まると思うと変な感じがした。

「では、今日のまとめに入ろう。今日はドーナツを作って、ドーナツの穴が食べられるか、食べられないかを議論した。それから、ドーナツの穴の存在の有無について検討した後、四等分したドーナツに穴は有るか無いか、食べられるか食べられないかを検討した」

「結局、まこちゃん先生が食べたドーナツって、どこの部分なの?よく考えてみたら、円環が切れたドーナツって穴とセットじゃないように思えてきたなぁ」

「穴がなくてもドーナツと認識できるか、というのも気になりました。ドーナツって穴が無いとドーナツってわからないものなのかな」

「『ドーナツの穴がドーナツを証明している』か。面白そうだね。次の活動はそのことについて検討してみよう。さぁ、もうすっかり冷めちゃったけど食べようか」

 白熱した議論に脳が糖分を求めていたのか、またはお腹が空いていたのか、勢いよくドーナツにがっつき、熱を忘れたハーブティーを飲んだ。ハーブティーは口当たりがよく、花のような香りがした。


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