この上なく自由なカノジョを見ていたいだけ

くらんく

第1話 ワタベという女

 ――そいつは早朝の教室でひとり、天ぷらを食べていた。





 高校一年の春は人生の中で最も重要であるといっても過言ではないだろう。今までになかった新たな交友関係が構築され、それがこれからの人生を少なからず変えてしまうからである。少なくとも高校生活の3年間には大きな影響を与えるはずだ。であるならば今日の入学式という門出において最も大事なものは何か。


 『高校デビュー』である。


 高校入学を期に、中学時代までのキャラクターやしがらみから解放され、身も心もまっさらな自分で新たな生活を送ること、それこそが『高校デビュー』。今日のために、やや癖のある頭髪に生まれてはじめての縮毛矯正をかけてきた。まだ慣れないがサラサラの髪も悪くない。


 中学時代は友人もいたが部活動に勤しんでいたばかりに青春というものを謳歌していなかった。知り合いのいないこの高校生活でモテモテに過ごすため、爽やかでクールなキャラクターでいこうと考えていた俺が構築した初日のプランはこうだ。


 だれもいない教室で一人、少しだけ空いた窓の隙間から吹き抜ける風にサラサラの髪をなびかせながら、ただ静かに本を読むミステリアスな美少年。そしてそこに現れた少女が恋に落ちてしまう。


 これこそ完璧なシチュエーション。理想的なボーイ・ミーツ・ガール。あまりにも凡庸な作戦ではあるが、これこそが高校デビューの魔力というべきか。俺の脳裏には失敗という言葉はかけらも見当たらなかった。


 そんなマイナス思考よりも必要なのはオペレーションを成功させるための早起きと読むための本だけ。本は『ニーチェの言葉』を買っておいた。なんだか格好良さそうだったから買ったが2、3ページめっくてみた結果、よくわからないので読むのをやめた。


 前日は緊張と高揚感からなかなか寝付けなかったが、何重にもかけたアラームで朝五時に起床し、朝六時には学校へと到着した。当然といえば当然なのだが、通学路には人がほとんどおらず、世界には自分しかいないかのような不思議な感覚に襲われ、それがたまらなく気持ちよかった。


 玄関に張り出されたクラス分けの票を眺め、1年A組の教室へと向かった。シンと静まり返った学校を一人で歩くのは何か悪いことでもしているような違和感があるが、それもまた興奮へと変わっていった。数分ののちに教室の前にたどり着いた。


「今日からここが俺の城か…。」


 城という言葉に特に意味はないのだが、テンションが上がり何となく言ってみたくなったのだ。誰もいなくて本当に良かった。聞かれてたら恥ずかしくて高校初日から死んじゃう。


 少しだけ周りを確認して安心した後、ガラガラと鳴る扉を開け城へと踏み入った。否、踏みとどまってしまった。窓際の最後尾に先客がいたのだ。


 そこにいたのは紛れもなく美少女であり、肩までの髪を窓から差し込む光と風が撫でるように揺らしていた。他に誰もいない教室で一人佇むその姿は、まさに俺が思い描いていたモテモテ作戦そのものであった。ただ一つ違う点は、彼女がこの教室で哲学書を読んでいなかったところ。

 

 そいつは早朝の教室でひとり、天ぷらを食べていた。

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