刻休み
鈴ノ木 鈴ノ子
第1話
会社の新年会を終えた帰り道だった。
静岡駅へと続く一本の繁華街の道を同僚たちと歩いていて、ふと1人だけ姿が見えないことに気がついた。少し前までは新年会はみんなで参加したものだったが、時代の流れによって自由参加となり、そしてそうなると必然的に年齢層が高くなる。まぁ、そんなおじさんばかりがほとんどの新年会軍団で紅一点の存在であったので余計に気になった。
もちろん、姿の見えなくなった1人は点数稼ぎではなく、実力も伴っている。昨年の四月に入社した新人でありながら、その持ち前の恐ろしきまでの行動力で単身で乗り込み数社との契約を結んだ強者でもあった。
「大丈夫?」
おじさん軍団の列から離れて、繁華街の通りに設置されたベンチに座り込んだ彼女に声をかけた。彼等は先程まであんなにチヤホヤと持て囃していたのに、足速に駅へと移動して行った。
「あ、課長、大丈夫です」
可愛らしい笑顔を浮かべた彼女はそう言った。
ほんのりとお酒で蒸気した頬に右目下の泣きぼくろ、白い首元に光るネックレスと、その下のほっそりとした首元と素肌のほんのりとしたピンク色の素肌が街路灯に照らされて、なんとも言いえない色香を醸し出していた。
「タクシーを呼ぼうか?」
動くのが辛いのならと言うと彼女は首を振った。
「いえ、それより課長、少しお話ししたいことがあります」
「ん?なんだい?」
「隣に座って聞いてほしいです」
真面目な表情と声が話が新年会の延長線上で済まされる話ではないことが伺えた。心の片隅に退職の話かもしれないと一抹の不安が宿った。
「いいよ、ここでいいなら聞くよ」
私は彼女の隣に感覚を開けて座り、近くの防犯カメラに私の姿がよく見えるように微調整をした。ないとは思うが、何かの拍子にセクシャルハラスメントで訴えられる可能性もある。この辺りは社会人男性としては注意しなければならない。
「えっとですね」
「うん?」
緊張して声が上ずったのがわかった。
仕事でも新しい契約先を開拓する許可を得に来たときはこんな声であったのを思い出した。
「課長って奥さんいないですよね」
少々、拍子抜けした質問が飛んでくる。
確かにもうすぐアラフォーに手が届きそうではあるが今だ妻はいない。東京の本社にいた時はそれほど気になることもなかったが、地方都市に移動となるとそうはいかない。失礼な言い方になるが『この年で妻がいない』と言うのは中々のブラックステータスになっていた。
「うん、いないねぇ」
別の意味で身構える、取引先から見合いの話でも頼まれたのだろうか、まったく若い新人に対して無理難題をふっかける人間もいたものだと邪推した。
それほど、お見合いを進めてくる連中も世間には多いのも事実だ。
「彼女さんは?」
「いるわけないよ、取引先で何か言われた?」
居たら お見合い などという問題も発生せず対処しなくて済むのだが・・・。東京から出向して5年経つが、東京で彼女と別れてからというもの、そのような出会いはなかった。その彼女は2年前に結婚したと風の便りで聞いた。
「あ、仕事じゃないんです」
「そうなの、じゃぁ、誰かから見合いの話を持ってくように言われた?」
「いえ!そうじゃないんです」
そう言って彼女は立ち上がると私の前に立った。ほんのりと蒸気していた顔つきが、いつの間にやらお酒とは違う感じで真っ赤に染まっている。
何かを決心したようなそんな顔つきだ。
「移動する?歩きながら話そうか」
私は立ちあがろうと腰を上げたところで、予想もしていなかった言葉が彼女から発せられた。
「課長、いえ、大河原誠さん、貴方が好きです。私とお付き合いしてもらえませんか?」
「え!?」
上げた腰がストンとベンチに落ちる、驚いて顔を上げると彼女の真剣な表情が眼前に迫っていた。
「えっと、その、お付き合いをお願いしたいです」
「斬新な告白だね」
「え・・と、これでも課長をずっと見てきたつもりなんですけど・・・」
「そうなの?」
「周りから何も言われてません?」
「そんなことはなかったなぁ」
これは嘘であった。他の女子社員から課長気にされてますよとか、取引先の方々からも若い子に好かれていていいねぇなどと、聞いたことはあったが、そんな意味だとは露ほども思っていなかった。
「えっと、考えて貰えたら嬉しいです」
「いや、考えるも何もないよ」
「え!それって・・・」
「無理に決まっているでしょう。歳の差を考えてごらんよ」
彼女は25歳、私は38歳、歳の差実に・・・一回りは違うのだ。確かに素敵で魅力的な女性であることは間違いない。誰がなんと言おうとそれは認める。だが、年相応という言葉があるように勿体無い話だ。なにより彼女の為にもならない。
「え・・・・」
絶望した声が彼女から搾り出される。でも、こう言った話は中途半端で終わらせてはいけない。ごまかしてもいけない。
「私は付き合うつもりはないよ、気持ちは嬉しいけれど、君には私は相応しくないからね、もっと良い人がいるはずだよ」
「わ、私は課長のこと・・・」
「うん、その気持ちは本当に嬉しいよ。ありがとう」
そう言って互いに見つめ合ったまま沈黙する。彼女の目には大粒の涙が浮かび、悲壮感漂う表情を浮かべている。痛いほど心苦しいが、こればかりはいい加減には済まされない。
「そうですか・・・」
少し拗ねた声で彼女はそういうと、カバンからハンカチを取り出して目元を拭いて、その場を去っていった。
「ごめんなさい」
私は追いかけることもなく、その姿に黙って頭を下げて詫びを口にしたのだった。
翌日、気持ちが落ち着かないまま出社すると彼女もきちんと出勤しており、ディスクに向かって仕事の準備をしている真っ最中であった。私を見つけると机の上に置いてあった紙袋を持って小走りに近寄ってくる。
「あ、課長、おはようございます」
その元気の良い挨拶に思わず戸惑ってしまった。
「え、あ、おはよう」
上ずったような声で返事をして、昨日の今日であるのにその変わらない姿に心が軋んだ。だが、しかし、可愛らしい笑顔のどこかになぜか天邪鬼のような笑みが潜んでいるような気がしてならなかった。
「これ、課長のお弁当です」
可愛らしい絵柄の描かれた紙袋を目の前に差し出された。
「ん!?」
私の今日の出勤は最後の方であって、すでに課内には数十人が出勤していたが、その言葉に朝の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返った。男子社員は目を丸くして、女子社員は年齢が高くなるほどニマニマと笑みを浮かべている。
「えっと・・・、それはどういう」
「気にしないでください、ほんのお礼ですから」
紙袋に入った弁当を私の押し付けて、彼女は顔を真っ赤にしながら小走りに部屋の外へと出ていった。
「課長、なんしたんすか?」
近くの席の若林がこの空気感に耐えきれなくなったのか困り果てたように口を開いた。こういう時ほど空気を読まない者の存在はありがたい。
「いや・・・。なにも・・・」
戸惑う私に彼はさらにこう言ってつけ加えた。
「昨日、告られたんじゃないんです?」
「な、なんで知ってるの!?」
若林のしまったと言った表情と彼の指導を担当している源さんの舌打ちが聞こえた。ああ彼はこの後、盛大に体育会系の指導されるのだろう。
それ以上にその発言である程度、事態を理解できた。
昨日の新年会はお膳立てだったのだ。
「その分だと、断ったんだろうねぇ」
後ろから同期で課長補佐の東郷が呆れたと言ったような声で話しかけてくる。
「あ・・うん」
課内から盛大にため息の音が漏れた。それはもう、暖房の音が消え去るほどに素晴らしくよく響く。
「あのね、お前ね、甘いからね」
「ん?」
「まぁ、おいおいわかるさ」
そう言って東郷が去っていく。
言葉の意味を理解してそれに屈したのは半年後のことだった。半年ののちに、私は両手を上げて降参し、私から想いを彼女が告白した同じ場所で告げることになった。
今は新年会後の私をぶん殴りたいと心から思う。
半年間に及ぶ、怒涛の勢いの、若さと、意気込みと、活力と、想いが、私を惚れこませるには十分過ぎる時間だった。
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